叡智と真理を探究する者のために

【親の介護はカルマか】読者の質問に答えてみた。

 

【この記事は親の介護とスピリチュアルの側面の考え方がわかります】

・親の介護はカルマの問題なのかというスピリチュアル視点
・親の介護とカルマへの向き合い方
・親の介護と向き合うためのスピリチュアルなワーク

 

介護に向き合う自分の心の整理やケアのためにこの記事をお使いください。

 

 

 
 

Contents

【親の介護はカルマか】と言う問いを考える記事

あー、ども。夏樹です。


さて。
質問等に答えるシリーズだ。
今回は少し大変だ。

超高齢化社会における問題だ。2020年に厚生労働省に発表された資料によると

要介護(要支援)の認定者数は、平成31年4月現在659万人で、この19年間で約3.0倍に。このうち軽度の認定者数の増が大きい。また、近年、増加のペースが再び拡大。

とあるように、決して他人事じゃあない。

少子高齢化においては財源の問題も大きいので、介護保険料はあがる、でも仕事関係者はまだ薄給、介護報酬の実質的UPは難しい。

まぁ今回はそうした大きい国や社会レベルからの問題というより、もっと読者ひとりと向き合う形で、一人の神秘家として考えてみたい。

 

さて、初めての方もいると思うので、ちょっとここらで自己紹介も入れておきます。

 
 
 
 
 
 

 

親の介護はカルマか?


超高齢化に突入している日本らしい悩みでもある。


そう、親の介護だ。
自分を産み、慈しみ、
育ててくれた母。


しかし、寝たきりになったり、認知症になったり。


愛していても、心労、疲労は尽きない。


そして、生活を楽しめない自分に気づく。

 

「これは何かのカルマだろうか・・・」

 

思わず、そんな悩みがふっと心に湧く、と。


言葉にすると大変だが、
まずはお察しする。
大変だろうぜ。

 


うちは祖母が似たような状況になったが、親父(息子)が介護し、
それほど長びかずに逝った。


きれいごとは言うつもりはない。


介護をしていた親父も、
「夏は帰省するな」とわざわざ言っていた。
(ニオイがひどくなりやすい)

 


そう、それがリアルな現実のひとつなんだ。


長引けば長引くほど、笑えなくなるよな。

 

しかし、そんなすべてをふまえて言いたいことがあるんだ。

 

それでもな、笑え。


ニッと口を意識的に持ち上げ、ヘタでもジョークを飛ばせ。

 


人は楽しいから笑うんじゃない。
笑うから、楽しいんだ。

 

自分から笑ってしまえ。
楽しげなコトを口にしろ。
そんな話題を家族にふりつづけろ。

 


そして家族だろうがヘルパーだろうが、
巻き込める人は等しく巻き込み、
一人で抱え込むな。

 


その上で、ここにひとつの霊的な事実があることを知るといい。


人は、克服できない困難に出会うことはない。

 


それは霊的な事実だ。

介護がカルマというならば、
それがカルマの法則というものだ。

 


神的な配慮のもと、
「現世での時間を止めるために」
やってきたカルマの結果以外、
どんな困難も、
人はそこから学び、
成長し、
霊的進化への糧とする。


中でも、
病関連というものは、
学びの宝庫だ。


自分であっても、
家族のものでも。


いいかい、
忘れるんじゃねぇよ?


人は楽しいから笑うんじゃない。
笑うから、楽しいんだ。

 

介護を通して愛されるカルマの学び

そしてもう一つ付け加えたい話もある。このブログでよく登場し、今おれのメソッドの中心ともなっている方法論を遺したダスカロスと呼ばれた神秘家の最後だ。

彼は晩年、自分が病床でいるときでさえも、それでも動く限りは人が来たら他者にヒーリングを施したりした。

いよいよ動けなくなり、介護を必要とし、目の動きただけで家族に遺志を伝えなくてはならない状態にまでなり、そして世を去った。

その瞬間、部屋は百合の花の香に包まれたという。

 

そんな彼が最後に地上で学んだのは、超絶的なマスターでさえ、「愛する・奉仕する」だけでなく、「愛される・奉仕」ということを学ぶレッスンが残っていたのだ。

 

完全介護とは、まだ元気なダスカロスが元気だったころ、ダスカロス自身も恐れていたことだったという。

確かに彼は幽体離脱も余裕なので、不自由さは感じることはないだろう。

※病床中も、必要時以外は肉体に入っていることも多かった。

病の苦痛から逃げないこともカルマに向き合う一つの方法のためだったと思われる。

 

しかし、そんなマスターな彼も「他者に奉仕できなくなる自分になる」というのが辛かったのだと思う。

控えめな彼の野望は、キザにも聞こえるが、「人の涙をくハンカチであることが私の野望だ」なんていう人だったので。

晩年になるほどその能力が世界中に広まり、教えとヒーリングを求める人がやまなかったダスカロス。

 

老年ほど多忙になっていったが、それでもキリギリのところで時間を確保し、残すべき教えの記録、著書を遺し、この世界をやりきった。

偉大なマスター自身の最後のレッスンは、自分が「愛されること・奉仕される」ことだった。

 

だからきっと、もし今あなたが親の介護に苦労しているとしたら、それは最後の親御さんのレッスンを手伝うという崇高なレッスンを共にしている可能性があるのだ。

 

それはきっと、あなた自身も大きく成長させる糧となるだろう。

愛することも、愛されることも。

本来は等価なのだろうと思う。

 

ま。そんな話さ。

 

介護に疲れたあなたをリフレッシュさせる瞑想

では、今回はもうひとつリクエストに応えて、心身をリフレッシュさせる瞑想法に取り組むとしよう。

メルマガでは何回か紹介したことはある瞑想のテクニックだ。

 

手順は次の通りだ。


まずベッドに横になっても、椅子に座ってもいい。

 

リラックスしてから、
目を閉じて、
ゆっくりとイメージの中にいこう。


1.そこは牧歌的な草原地帯、あるいは緑の美しい牧場。
 小川のせせらぎがあってもいいだろう。
 そんななだらかな自然地帯を詳細にイメージする。
 詳細に、詳細にイメージするんだ。


2.そこをゆっくりと歩き、散策するんだ。
 蝶が飛び、川には小魚が泳いでいる。
 足をひたしてもいいだろう。
 ひんやりと冷たい。


3.風はどうだ?
 冷涼で澄んでいるはずだ。
 鳥のささやきも聞こえてくる。
 木陰に入れば、木の葉の音が心地いい。


4.そこは完璧なまでに、貴方を迎え入れる自然環境。
 貴方はそこでは一人静かになり、どこまでも自由に、
 自然に包まれる。


5.いつまでも、好きなだけそこに滞在するといい。
 ゆっくりと散歩して、
 五感をフル活用して周囲のすべてを観察するんだ。
 そこは完全に安全だ。どこまでも癒されるのだから。

十分にリラックスできたら、
最後に自分に言い聞かせること。

「私は安全であり、静かであり、満たされている。」


そして目をあけて、
こちらに戻ってこよう。

 

おまえさんが少しでも安らかに
なっていることを願うぜ。

 


 

 

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