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今回も講座サマリー

はいはい、ようやく更新と思ったら、また講座のサマリーでごぜぇますだ。オレさまのキュートかつララバイな通常記事をご期待な皆様にはすまんこって。(藁



え? いないの? あーそう。



しかしなんだなー。月2回の講座を無理にでもキープしようとしたら、不覚にも来週も講座だったんだな!(涙



3週連続、結構しんどいな、おい・・・。



しかしなんだ。とくに今まで1回も休んでいないエラい子ちゃんは、根性で1年終了するまで皆勤めざしやがれ。ww



やはり、進歩度は出席率と概ね比例しているのを見ていて実感するからなぁ。



とくに最近は気功の成果か、気感を得てきているのが、三分の二ほどになってきている様子。この感覚がわかるようになると、自分でエネルギーワーク等、うまくいっているのか分かりやすくなってくるからな。



では、まとめを。



まず『いか超』講義。実践的観点―人間の心と魂の高次の教育。



通常、人間の心と魂は混ざり合っている。修行に着手すると、文節化され規則正しいものになる。



それは忍耐力が肝要。性急さは、人にまどろむ高次の力を枯れさせるからだ。



人は修行をすすめる上で、「霊界が私が開悟するのにふさわしいと判断するまで自分で努力しつつも、判断を待ち続ける」という委ねる態度が必要。


こうした態度でいるには、まず「怒り」という感情にとらわれるのは発達をさまたげる。
神秘学徒は、怒るときでも、たとえば自分が侮辱されても、侮辱されたから怒るのではない。


「あなたの他人を侮辱するという行為は、人としていかがなものか?」という態度の表明でなくてはならない。


自己弁護もどうようにダメ。それは神秘学徒にとって重要な「認識」をさまたげる。神秘学徒は、自己、周囲の魂を正しく認識することを目指す。霊視も正しい認識の延長にある。しかし自己弁護は、もっとも近い存在であるはずの自分を認識できていないから生じる。


また恐れ、迷信、偏見、虚栄、功名心、饒舌も同様に正しい認識を妨げる。とくに偏見、人種的偏見などは、他者の魂を正しく認識しない行為そのものである。



そして人を正しく認識するようになると、我々は「温和」になる。温和であるということは、正しく相手に向き合い、正しく認識をする状態につながる。



温和さとは、自分の思考、感情、意見にとらわれることなく、相手を第一として正しく向き合える状態なので、神秘学徒はそうあらねばならない。



で、このプロセスが進むと、最後の「一線」をこえて、どのように「秘儀参入」していくのか、霊眼が開かれる瞬間についての話でしめくくられる。




大体、こんなカンジだ。



続いて、アストラル系ワークとして、霊的フィールド(ピラミッド)の構築と、その中での四大天使へのアチューンメント。



そろそろ一度やってもらおうと思い、取り組んでもらった。



まぁ難しかったと思うが、これもまだまだ入り口の基本的ワークだ。w



おれの図と説明じゃわかりにくいと思うのでw、今度、うちのたまこにイラスト入りで描いてもらうので、できたら送りますわ。



ダスカロス派のものとオレさまの習ったものと若干組み立て方が違うが、一応今後のことを思い、ダスカロス派で統一してみた。



その後、気功。



陰陽功、たんとう功、獅子抱球功、今回から大力功。



時間の都合もあってせい手は飛ばした。邪気抜きでおろそかであってもね、気の補充と練気ができれば、悪い気ははじきだされるので。



少しずつ、気感を得る人が増えてきたが、分かってくると全然特別のことでもないし、結構カンタンだったろ。w



気功も、種類が増えてきたが、気分が乗らないときは、一つ3、4分もやっておけば、全部で15分くらいにはなるだろ。15分もやってれば少しは気が補充できるし、練ることもできる。集中力に欠けるときは、かけあしでそのようになることも有効だ。




で、今回も最後に、エーテルの集中とボールの作成。これがヒーリングの一番の基礎なので、じっくりと取り組むようにな。



大体、こんなところ。



だんだんとエーテル系ワーク(気功、ヒーリング系)もアストラル系ワーク(イメージ瞑想、アチューンメントや視覚化を要する魔術的ワーク)も数が増えたり、複雑化してくるが、まぁがんがっていこう。



ま。そんな話だ。




                     訂正 1  


  「やっぱり課題量、多いけど、あたい負けないから!」と思ったら、ぽちっとな。(藁


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  • User Avatar ポチ さんより(21/10/02)
    ありがとうございます。 >基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 >観察することに集中するんだよ。 >その結果、 >色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 観察への集中、確かにここは欠けてるようです。 また、その結果得られた衝動や意味も、 祈る時は捨てて観察に集中するようにしてみます。 ありがとうございました。
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/10/01)
    ポチ ども、夏樹です。 多分だけど、意味をイメージしすぎているんじゃないかな。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 とくにこのあたり。 こういう崇高なイメージは結果湧いてくるものであって、 視覚化においては 基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 観察することに集中するんだよ。 その結果、 色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 最初からそういうイメージをもって 挑むもんでもないんだ。 今度は映画を観るように 視覚的イメージだけに集中してみなよ。
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar ポチ さんより(21/10/01)
    なつきさん こんばんは 薔薇十字の瞑想の時の最後の薔薇十字の表象の時に、上手くいきません。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 どこがダメだと思いますか?
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/09/17)
    4年目さ。
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