“スピリチュアルとは何か”。その意味や方法論を探究するスピリチュアルブログ「魂の神秘学」―瞑想、瞑想方法、内省など多岐に渡って

太陽と生命と降りた方

神秘学徒協会です。


本日は、
昨夜、聖夜の記事の続きになります。


昨日は、クリスマス。
冬至における秘儀について私たちは見ました。

【太陽の復活】という宇宙のサイクルに、
私たちは生命の復活、そして永遠を見ました。


宇宙という永遠におけるこの復活劇において、
生命は幾度も蘇るものであり、
生命それ自体が永遠であることを私たちは見ました。


そして何より、その永遠の劇の中で私たちは生きていることで、
私たちはすでに
【永遠の生命のうちに表現された生命である】
ことを見ました。


では、
なぜこの【冬至の祭】が、イエス・キリストの生誕の日と、
後にされたのでしょうか。


私たちは、このことの意味を考えなければなりません。
何気なく見過ごしている「当たり前」の中には、
時に大切なことが隠されていることが多くあるものです。


文献学的には、
物理的な意味においては、イエスの誕生した日は、12月ではないと知られています。


正確に期日はまだわかってはいませんが、
大体のところでは、
季節としては春であることまでは
推測が立てられているようです。


ではなぜ、12月になったのでしょうか。


そうです。
この日が【生誕日】とされたのは、
物理的意味ではありません。


冬至がイエスの生誕とされたことは、
秘儀において読み取るべき事柄です。


私たちは昨夜、確認しました。


冬至の日は、ミトラ教の言う太陽神の復活の日である、と。


そのことをミトラ教徒は知っていました。
より正確には、秘儀に参入した高僧たちが知っていました。


そして古代のキリスト教徒もまた知っていました。
知っていたのです。


古代の霊的叡智に通じていた人々にとって、
それは自明のことでした。


決して、
支配宗教としてのキリスト教が、
異民族の宗教を取り込むために、
異教徒が崇める神の復活の日にキリストを重ねた、
といった浅薄な学問的解釈をすべき事柄ではないのです。


とりわけ現代に生きる私たちは、
そうした「合理的な」解釈ばかりしがちです。


しかし、私たちは、
私たちの「合理性」と、
遥か過去の人々の「合理性」が同じと思ってはなりません。


それは現代人のエゴです。


冬至の祭日がキリストの生誕の日にされた理由は、
もっと明快です。


秘儀において明快なのです。


イエス・キリストは、
太陽(生命)の神に他なりません。


古代の秘儀参入者には、
それは明らかでした。
霊的な事実だったのです。


だからこそ、
太陽が復活する冬至の祭日は、
イエス・キリストの生誕の日とされたのです。


【わたしは道であり、真理であり、命である。】
ヨハネによる福音書14:1〜9


そうイエスははっきり言っています。
彼の言葉は、幾重もの意味を持ちます。


今この場では、
「私は太陽であり、生命である」
と明言していると言えるのです。


そして私たちがどれだけ太陽の光に支えられているか。
思いを巡らせば巡らせるほど、
頭が下がるのは自然なことなのです。



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