改めて聞かれると、
僕の講座に長く参加している人でも
回答に詰まるかもしれない。
「内観」とは、
自分の心魂の動きにしっかり向き合い、
思考や言動を見つめ直し、
徹底して自分を浄化するための行法です。
霊的世界や真理を探究する人間にとって、
これはある意味”務め”であり、
一生続けるべき重要な行法です。
内観には、いくつかの重要な意味があります。
中でも、潜在意識に溜まった
「低次の欲望・思考・感情」を解体して、
意識をクリアにしていく作業──
これは霊的成長に欠かせません。
まるで部屋の掃除をするように、
心の奥底にあるゴミを一つ一つ取り除く。
自分を見つめる。
すると理性の光があたる。
すると、光で闇は消えていく。
カルマとは、
我々の思考、感情、意志の結果としての「行為」
から生まれる結果です。
ネガティブな行いは、ネガティブな結果を生む。
カルマと呼ばれる法則は、
我々を目覚めさせるために痛みとして現れる。
とはいえ、それは決して罰ではない。
神の恩寵です。
痛みがあるから気づきが生まれる。
その気づきは我々を成長させる。
だけど正直、
痛みとして学ぶ前に何とかしたいですよね。
それは可能です。
たとえば、
あなたが会社で出世のために人を陥れたとする。
目的は達成した。しかし因果は必ずめぐる。
カルマからは逃れられない。
人生に「痛み」を伴う現象が必ず現れる。
しかし──
辛い「痛み」が現れる前に、
「自分の行いは頭上に石を投げたようなものだった…」
と気づき、省みて、改めることができれば、
痛みとして現れる前に解消できる。
これが内省であり、霊的な成長なのです。
キリスト教神秘主義の神秘家ダスカロスは、
その著書『エソテリック・プラクティス』の中で
次のように語っています。
「マスターと呼ばれる
ような人たちであっても、
潜在意識は持っています。
マスターたちの自己意識に対する
潜在意識の割合はかなり少なく、
さらに彼らの潜在意識には、
愛や慈悲という性質が多くみられます。
もし平均的な人間の潜在意識を
荒れたジャングルにたとえるなら、
マスターたちのそれは、
穏やかな草原のようなものです。
『庭師が手入れをすれば、
その庭が庭師の面倒を見る』
というわけです。」
内観とは、
潜在意識のベールをはがして、
自己意識によって今まで隠れていた
潜在意識を観ようとする努力です。
すると、
今まで気づかなかった行動の理由や、
本当の動機がはっきりわかってくる。
それは潜在意識を
浄化するプロセスであって、
そうすることで私たちは自分自身を
より深く理解できるようになる。
同時に、
自分の考え、感覚、欲望、行動を
かつてなかったほど
コントロールできるようになるのです。
内観とは、
潜在意識の自己観察を
グイグイと進めることで、
潜在意識にため込んでしまった
正すべきネガティブな欲望や思考を
見つけていく方法です。
この行法に取り組み、
潜在意識に光(理性)をあてて、
クリアにしていく。
すると今まで『潜在』だった
領域が意識化される。
つまり、顕在意識化されるのです。
こうして我々の心は少しずつ、
意識的な取り組みで
潜在的領域を減らしていく。
その結果、
我々の心魂が霊的に進化していく。
霊的な進化とは、
覚醒です。
目覚めているとは、
思考、欲望、感情を
適切に理性のもとで
コントロールできる状態。
このような取り組みこそ、
本来のSpiritualな道なのです。
実のところ、
この最も大切で、
そしてもっとも地味な行法に
取り組んでいる者はどれだけいるだろう。
今、「スピリチュアル」な世界には
ヒーラー、スピリチュアル・カウンセラーなど、
実に多くの人たちがいる。
いや、
伝統的な宗教界を見ても
──今や彼らもSNSで
情報発信に努めているので
観察しやすい──
残念ながら内観に励み、
人格の陶冶に努めている者は少ない。
それどころか、
宗教者でありながら、
他の宗派を平然とののしるなど、
残念な現状を見せつけている。
最近はガチ宗教者も
SNSを使うのはいいのだが、
おかげで「心の修行」を
していない様子が
まじまじとわかってしまう惨状である。
しかしだからと言って、
我々が自らの潜在意識の浄化から
逃げて良い理由にはならない。
自ら日々抱いている思考、
欲望を把握し、
人格を陶冶する。
少なくとも、
そうあるように努める。
そうして潜在意識を
少しでも美しい状態にして、
「マスター」と呼ばれる者たちに
近づけるように努める。
この努力を継続することは、
「スピリチュアルな道にいる」ことを
自覚する者の責務なのだ。
そして今は年末。大晦日だ。
今年一年を通じ、
我々はどのような自分勝手な欲望を抱き、
自己中心的な思考を持ち、
エゴイズムを肥大化させてしまったのか。
恐れることなく自覚しようではないか。
そして浄化していこう。
大晦日。
日本の浄化を促す音の
波動に包まれる刻がある。
煩悩を祓う除夜の鐘が
鳴り響くそのときだ。
その瞬間までに魂を浄化して、
最後の仕上げに除夜の鐘の
音叉の如き波動で心魂を祓い尽くそう。
あなたの参加を待っている。
【イベント名】
2025大晦日・内観瞑想会
【日時】
2025年12月31日(火)22:00〜23:00
※若干オーバーする場合あり
【参加方法】
Zoom開催
(お申込み後にURLをメールでお届け)
【参加費】
3,500円(税込)
【アーカイブ】
リアルタイム参加できない方にも、
後日アーカイブ動画&
スライド資料をお届けします。
