VOL.50─読者からのQandAヒーリングについて後編
さてさて。
今回は、前回の続き。
「ヒーラーは、他人のカルマに干渉していないか?」
実はこれもイエスであり、ノーともいえる。
まず前提として。
他人のカルマに干渉することはできない。
カルマの「結果」に-たとえば現れた病に-、
いっしょに親身に取り組むということはできるが。
とはいえヒーラーはどれだけ優秀でも、
カルマの許可がなければ、
風邪程度だって癒せないし、
癒したと思っても、
すぐに再発してしまう。
オレさまの師匠は、
よく「ガンほどカルマの結果生じたということが顕著な病はない」
と言っていた。
スピリチュアルな意味でのカルマ(原因と結果)、
物理的な意味での原因と結果。
そのすべての意味においてね。
そして悲しいことだが、
ダスカロスのような偉大なヒーラーの
ヒーリングを受けた者でも、
多くが再発した。(ガンに限らず)
ダスカロスはヒーリングをした者に、
いわば本当のヒーリングとして、
生活を改めるために色々アドバイスをした。
いわばその病を発生させた原因を根本から解決するためのね。
しかし、喉元をすぎればなんとやら。
多くは、そのアドバイスを実行せず、
結局再発してしまう。
カルマを本当の意味で解いていく(癒す)には、
あくまでも本人の「悔い改め」が必要なんだ。
この悔い改めに意識的に取り組むのが内省なのだが。
さて。
ここまでのヒーリングは、
気(エーテル)を使った、
いわゆる「エネルギー・ヒーリング」なんだ。
サイキック・ヒーリングともいう。
ヒーリングの世界のヒーリングは、
もう99%、このエネルギー・ヒーリングだ。
そして一方、
本当の「スピリチュアル・ヒーリング」
というものがある。
これはね、
自分のカルマ-悪い意味での“原因”がもう過去にはなく、
負債的意味で結果を支払う必要がない者─がない者しかできない。
そう、俗に言うマスターと呼ばれるようなレベルだな。
彼らのような高みになって初めて、
「癒したい者のカルマの肩代わり」を担うことができる。
そしてこれは前号のダスカロスの所感だが、
そうしてヒーラーが「カルマの肩代わり」という愛の行為を行うとき、
その病を発生させたカルマの負債が100あったとしても、
10程度負うだけで許される。
残りは、愛の神であるキリストが担ってくれるのだ。
ちなみにゴルゴダの丘においてのキリストの磔刑は、
そうして彼は人類の罪を負った。
その結果、人類はあのとき癒され、
霊的進化-理性的進化-の道が開かれた。
まぁこう解釈するのが薔薇十字の神秘学派だが、
それはまた別の話。
話を戻す。
このカルマの肩代わりというのが、
本物の「スピリチュアル・ヒーリング」だ。
(さらに別途として、高次世界の意図とエネルギーによって起こすスピリチュアル・ヒーリングもある)
そのため、
ダスカロスもまた、
よく患者の代わりに自分が病み、
寝込んでいたことがある。
(とはいえ十分の一程度に軽減されたので、
深刻になることは多くはなかった。)
ときに、自分の身体に患者のガンを移転させ、
ゆっくりと自分でガンを治していったことさえある。
ホントのヒーラーは、
こうした「スピリチュアル・ヒーリング」が可能になるんだ。
もちろん、
このスピリチュアル・ヒーリングだって、
そもそもがヒーラーが介入することそれ自体をカルマが許さないことは多々ある。
どうしても本人が、
自力でキッチリと支払う必要があるというケースだってある。
カルマの問題というのはホントに深淵で、
ダスカロスもシュタイナーも師匠も、
「ここが一番深淵だ」ということはよく言っていた。
シュタイナーにしても、
「もし他の研究家が他の領域を研究してくれたら、
自分はカルマの問題に専念したかった」というほど、
奥深いんだ。
たとえばさ、
Aさんが過去世で兵士としと多くの人を殺したとするだろ。
その結果として、
彼は今世では多くの人に虐げられる人生を歩むことになった。
一方で、
Bさん。Bさんは医者となって多くの人を懸命に癒すことに取り組むことで、
カルマの返済に努めた。
似たような「罪」をおっていても、
その払い方がまったく異なる。
こうしたカルマ-原因と結果の法則は、
カルマの大師と呼ばれる大天使たちによって管理されている法則だ。
人の知性がとうてい及ぶ領域ではない。
三次元存在の人の身である以上、
謎は謎のまま残るだろう。
そして決して誤解して欲しくないのだが、
この法則は、
「罪と罰」を強いるためのものではない、
ということ。
人を殺したから、その負債を払う。
わかりやすいから、
そういう例えをするが、
別に刑務所のように「罰」として辛い人生というわけじゃないんだ。
カルマの法則、つまり原因と結果の法則は、
低い次元では、
いわゆる物理法則として現れ、
高い次元では、
人の霊性進化の法則として機能している。
人はこのカルマの法則を通して愛を知り、
悟り、神へと近づいていく。
それ自体が、
神の恩寵なのだ。
だから、何か誤ったことをして、
幸いそれに気づいたら、
「痛み」として現れる前に対処すればいい。
その手段が、内省だ。
己の行動を省みる。
内省をして、悔い改める。
その結果、カルマは解かれていき、
人は痛みではなく、
理性によって知り、気づき、
成長していく。
これが本当の人生で起こすべきヒーリングであり、
カルマを解くということなんだ。
どこかのスピ系だか自称ライトワーカーさん(笑)
がやっている、
「全カルマ解除」wとかいう、
何かの冗談のようなサービスなんぞ、
まるでイミのないごっこ遊びでしかないわけだ。
話を質問に戻す。
「ヒーラーは、他人のカルマに干渉していないか?」
結局のところ、
カルマというものは、
最初から最後まで自分が向き合い続けるというものさ。
ま。そんな話だ。
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■編集後記
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さて、
今回はヒーリングからカルマの話にまで踏み込んだ。
カルマは複雑だが、
同時に物理法則もカルマの法則の三次元的現れであるように、
ある意味シンプルでもある。
自分で蒔いた種は、
自分で刈り取る。
極論すると、
ここに行き着く。
ただし、人生における「種」は、
幾つもの人生(輪廻)を巡っても現れる。
だから我々には一般的に観察手段はなく、
信じることが難しい。
ここで、“信”が問われる。
直感的にでもいい。
こうした世界の存在を信じるならば、
まずはヒーリングやら心霊体験やらよりも、
「自分で蒔いた種は、自分で刈り取る」
ということをまずは受け入れて欲しい。
そういう小さな積み重ねが、
少しずつ自分のエゴイズムを変革し、
スピリチュアルな世界に向き合うに相応しい
人格を養っていくのだから。

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