薔薇と十字架 3
「父と子と聖霊の御名において」なんてフレーズを使おうものなら失笑すらされかねないキリスト教神秘主義者オレさまですが、ぽまいらはいかが「オレさまの父って乳よねー」なんてココロのツッコミをいれてくださりやがりましたか。
いやー。返す言葉もないわー。
あー。さてさて。
前回は十字の縦軸のところまで触れていったな。例によってヒューストン・スミスの「忘れられた真理」を参考にしつつ今回も書いていこう。
まず、左右の水平軸について見る。
この広がりについては前回の記事からもある程度わかるんだが、つまるところ存在のための「空間」を意味している。そして前後に伸びる腕は、「未来」と「過去」だ。
つまり左右と前後に伸びる腕の中心地は、時間・空間における「今・ここ」を示している。そして当然、図示はされていないが、前後に伸びる腕からも、無限の左右に伸びる腕がほんとはあるんだ。
前回も書いたように、そうした存在のための空間は、ガンジスの砂粒よりも多い。つまり無限だ。シンプルな十字として表されているシンボルは、その根源的なひとつとしての図にすぎない。
しかし、たったこれだけの図で、時間・空間の無限性を示しているのが「シンボル」というものの奥深さでもある。
さて、続いてこの左右(空間)と前後(時間)に伸びる腕の中心点を「点」というよりは、球体とイメージしてみよう。
宇宙が膨張するように、中心点からこの腕は前後左右に無限に膨張している。膨張しているということは、やはり宇宙もそうであるように、収縮もある。図だと動きはないが、ここには膨張・収縮の「緊張」があるわけだ。緊張といって不適切であれば、それは「葛藤」だ。
しかし、膨張は常に中心点へとやがては収縮する。つまり葛藤とは「解決」されるものであるんだ。
いかにして? それもまた示されている。
ひとつは補完するものの合一。水平軸と垂直軸。ベクトルの異なる動きは、中心点という交わり、ひとつになる点を持てることを示している。
すべてはやがて「一」へと帰する。この原理がここには示されている。さらに垂直原理は男性原理を示しており、水平軸は女性原理だ。それもまた交わる点をもっている。やはり、ベクトルの異なる力の葛藤は、一つになれると示されている。
ありふれた言葉だが、すべては「一」へと至ることが可能なのだ。
つまるところ、「十字」とは見方をかえると、宇宙に存在する対立する原理、力を認識できる存在、霊的存在を示している。そしてこの霊的存在が向き合うことになるさまざまな葛藤(対立、不和など)はすべて解決できる点があると示している。
それが宇宙の原理だ。異なるように見える力、原理はすべて補完しあっている。逆にいえば、異なるベクトルの力がなければ、「一つになる」というプロセスを辿ることができない。
中心点である「今・ここ」とは、すべてが一つになるポイントなのだ。
そして異なる原理が補完しあうことで全体なる一を示す図といえば、東洋では陰陽の大極図があるだろ。つまり十字のシンボルとは、西洋的な「大極図」というのが真相なんだ。
ガキでも思いつきそうなシンプルな図表としての十字。しかし、ここにはこのようにディープな意味が隠されている。象徴学ってのが複雑怪奇なのもうなずけるだろ。
ま。そんな話だ。
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