叡智と真理を探究する者のために

畏敬の念とオーラ

はい、そんなワケでオレさまです。さて、少し前にオーラ診断は性格診断的なモノとは一切関係ねぇよといった批判記事を書いた。


では、逆に神秘家はオーラから何を読み取るのだろう。心身の健康情報を読み取り、ヒーリングに活用するというのはよく知られたところだ。



では他には?



丁度よいのが、シュタイナーの『いか超』にあったので抜粋してみよう。畏敬の念を持つことの重要性との関連において。




「まずはじめは人間の心情生活全体に、尊敬するに値するすべてのものへの畏敬、という基本的な気分が照り輝く。このただ一つの基礎感情が魂の生活全体の中心点になる。



太陽がその輝きを通して生あるすべてのものに生気を与えるように、畏敬の念が神秘学徒の魂のいとなみ全体に生気を与えるのである。


中略


畏敬の念に充たされた魂のオーラは変化している。赤黄色、赤茶色と呼べるような霊的色調が消え、赤紫色がその代わりに表れる。それは認識能力が開発されたしるしである。」


『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』(p31~32p)



さて。上記の「輝き」の部分は、その人のオーラが基本色がなんであれ、混在するように表れてくる部分だ。一般的にいわれるオーラ(個人個人の発達しているチャクラの輝きにより違いがあるオーラは、エーテル層に近い)よりも、精妙の層だ。



もっと純粋にアストラル層の部分だろう。



そしてこの層を観てとることは、もちろん性格判断として必要なことじゃない。神秘家は「導師」として、弟子の発達度合いをこうした部分のオーラの輝きで観ているんだ。



だから、いくら「自分はかなり進歩した」と思っていても、導師から観れば、ほんとのところは一目瞭然。逆にいえば、この程度の霊的視力がなければ、「導師」をやる資格はない。(ちなみにここで言う導師は、ほんとうの意味での“スピリチュアル・カウンセラー”“スピリチュアル・ティーチャー”だ。



そして畏敬の念がほんとに育つことによって、それは「魂の中に共感作用」を呼び覚ますことになる。たとえば、美しい自然の中に入り、自然の中に没入する。



正しく畏敬の念を育てている人は、魂の共感能力により、自然の霊的本質を自身の内面へと招き入れる。同じ自然を体験をしていても、そうした人物とそうでない人物とでは、まるで違う内的体験を持つことになるのだ。



ゆえに導師は、弟子の状態を「オーラを観て」判断し、正しい在り方へと導いていかなくてはならない。導師が持つ「霊視力」はそうした高みに至ってなくてはいけないんだ。



もちろん、そうした高みにある霊視力がほんの数日のセミナーで身につくとはさすがに思えないだろ。そして「オーラを観れるようになる」ことを目的としたセミナーなんかが、本質をはずした薄っぺらいモノだと推察されるのではなかろうか。



「スピリチュアル」な道を歩むに相応しい魂の在り方。それを身に着けていくことこそが、ほんとに求められる第一歩ではなかろうかね。



ま。そんな話だ。

【特典つき!】メルマガ登録

 

メルマガ「魂の神秘学」は、

神秘家:加藤夏樹 が、ガチに本物の神秘学の探究を進めます。

本物のスピリチュアリティとは・・・?

と、真摯に問う方の登録を夏樹がとっても楽しみに待ってます!

 

登録はコチラから☆

 

メルマガ魂の神秘学は、

登録特典としてPDFブック
「神秘学ベーシックテキスト」
プレゼントしています!



>>こんな方はぜひ!

・本質的なスピリチュアルを探求したい。
・スピリチュアルで本当に大切なコトを知りたい。
・ヒーリングの基礎的なコトを知りたい
・ヒーラー向け基礎スキルを知りたい
・スピリチュアルの基礎を学びたい
・ちょっと本格的なスピリチュアルも知りたい



【Contents】

はじめに-最高のヒーリングの話

【内省編】
1.内省の効果として-内省で生まれ変わった男の話
2.理性で、潜在意識という畑を耕せ!
3.瞑想と内省との違い
4.基礎的内省の実践
5.内省の必要性としての補講

【ヒーリング編】
1.エーテル(気)を感じることから始めよう
2.エーテルの機能について1
3.エーテルの機能について2
4.エーテルの機能について3 基礎的プラクティス

【エソテリック・プラクティス】
1. 秘教のスキルとして霊的防御フィールドの構築
2. 1本の赤い薔薇を


【ヒーラーに向けて】

1.魂のセラピストたれ

登録はコチラから☆

 

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


特別講義

おすすめカテゴリー

MYブックマーク

カテゴリー

最近のコメント

  • ポチ { とっても共感します。 キリスト教ではキリストに似る、であったり創造を完成させることがゴールですが、キリストは創造を完成させるために受肉と贖罪とその後の継続的な働きかけを行い、創造の完成は「(自我の束を含む)この社会」を指してるわけなので、社会運動に参画せざるを得ない。 それをキリスト教で一番端的に表現しているのがプロテスタントなんだろうと思います。 アメリカは理想と現実の狭間で矛盾だらね。でも彼らはだからといって理想を捨てることはありません。 }
  • 加藤 { いえいえ。お役に立てていたら幸い・・・! }
  • 市川康明 { 何時も,魂の浄化をさせて頂いております. 有難うございます. }
  • 加藤 { こちらこそ目を通していただき、感謝です。 }

ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。

RSS

twitter