叡智と真理を探究する者のために

「なぜ生きるコトが辛いのか」という問いとスピリチュアルからの回答

Contents

【この記事の要旨】

あー、ども。
夏樹です。メルマガ編集ネタです。今回から、数回に渡って、なぜ人は生きていく上で苦しむのか、辛いことに遭遇するのか。
という問を考えていきたい。

 

生きる上での悩みや苦しみ

ぽまいらだってそうだと思うが、

「お金や時間がない。」

「人間関係がうまくいかない。」

「仕事がうまくいかない。」

「がんばっているのに・・・。」

 

あるいは、好きな人が自分を好きになってくれない。

せっかく思いあっても、すぐに憎しみあったり、別れてしまったり。

 

どんなに大切な人でも、失うこともある。

 

「大金持ちで自分は何一つ不自由がない!」


と豪語しつつ、いきなり経済変動に巻き込まれ、明日にはすべてを失う・・・。

 

大なり小なり、この世はそんなことばかり。

 

なぜ、人生とはいつも苦の連続なのか。
なぜ、もっと楽に生きられないのか。

 

人は誰しも、そんな風に悩むものだ。

 

さて、実はこの問に挑んできたのが、いわゆる「宗教」だった。

 

そしてこの世は苦しみだが、この苦しみにめげることなく正しく生きれば、死んだら天国にいけるとか。

 

まぁそんなロジックを編み出したりもした。

 

しかし、ここで仏教の特徴でもあるのだが、仏教は少し違う答えをだした。

 

「苦しみとは、真理である」

 

と、お釈迦様は言ったそうな。彼は弟子にいう。

 

「いいかい、おまいら。
 よく聞くんだ。


 この世はなぜ苦しいか。
 それは聞き方が違うんだよ。


 そもそもこの世で起こるすべての現象、
 それ自体が人間にとっては
 苦の性質だってのよ。


 がんばるとか、
 問題を乗り越えるとか。
 乗り越えたところでまた別の問題だろ。

 

 当たり前だよ。

 

 この世のそれ自体を人間は苦と感じるのが
 デフォルトなんよ。人の仕様な。


 石は硬い、というのとまったく同じ。

 

 それを乗り越えるとかなんとか、
 向き合い方がそもそも違ったんだな。


 火が熱いのは人間にとって当たり前だし、
 乗り越えるとかなんとか、
 そう向き合うもんじゃねぇだろ?


 まったく同じことだったんだよ。(藁)」

 

実はお釈迦さんは随分べらんめぇ調だったと仏教学者の玉城先生が・・・・というのはウソだが(笑)、まぁ言葉は違うが、上記のようなことは言った。

 

そりゃさ、日常的なコトなら誰でも大なり小なり向き合うし、解決もするだろ。


でもさ、明日、おまいさん事故にあって、半身不随になったらどうする?

 

ひでぇたとえだが、
そういうとが起こってしまうのが人生だ。

 

そう、ここから、もう苦をどうこうしようというのは、そもそも向き合い方が違う、この世のことわりを分かってねぇってことか、お釈迦さんは気づいてしまったんだ。

 

どんだけタフでも、苦しみに正面からぶつかって乗り越えて、問題と格闘し続けて。

 

でもいつかは、どうにもならんモンにぶち当たることがある。


必ずだ。

 

だから、この「人生は苦である。それがデフォか」と。


そう、ある種の「諦観」を持ったんだ。

 

ゆえに苦は、虚しい、空しい、ともほぼ道義である

と、そんな世界観をもったお釈迦さん。

 

「喜び、繁栄。脆いよね。元王子で大金持ち、
 妻子もちのおれがいうんだから間違いねぇよ。
 大体、あの栄えた国すら滅んじまったしな。ゲラゲラ」

 

なんて言ったかわかんねぇけど、


「人は誰しもハッピーになれる!」
「生きることは喜び」
「この世界はなんて美しいんだろう!」

 

なーんていう、
スピな方面とはおおよそ反対のスタンスなわけです。

 

「お花畑、オツ(苦笑)
 明日はどうせ悲劇の主人公になるんだろ?w」

 

お釈迦さまが聞いたら、そんな風に言うかもしれねぇ。
別にシニカルになっているわけでもない。

 

そんな仏教がだした答えは、極めてシンプルなんだ。

 

いつか、
こんなロックな般若心経訳が流行った。

知ってるだろうか。

 

「超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
 誰でも幸せに生きる方法のヒントだ
 もっと力を抜いて楽になるんだ。
 苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。

 

 この世は空しいモンだ、
 痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
 この世は変わり行くモンだ。
 苦を楽に変える事だって出来る。
 汚れることもありゃ背負い込む事だってある
 だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

 

 この世がどれだけいい加減か分ったか?
 苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。
 見えてるものにこだわるな。
 聞こえるものにしがみつくな。

 

 味や香りなんて人それぞれだろ?
 何のアテにもなりゃしない。

 

 揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
 それが『無』ってやつさ。
 生きてりゃ色々あるさ。


 辛いモノを見ないようにするのは難しい。
 でも、そんなもんその場に置いていけよ。

 

 先の事は誰にも見えねぇ。
 無理して照らそうとしなくていいのさ。
 見えない事を愉しめばいいだろ。

 

 それが生きてる実感ってヤツなんだよ。

 


 正しく生きるのは確かに難しいかもな。
 でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

 

 菩薩として生きるコツがあるんだ、
 苦しんで生きる必要なんてねえよ。
 愉しんで生きる菩薩になれよ。


 全く恐れを知らなくなったら
 ロクな事にならねえけどな
 適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

 勘違いするなよ。
 非情になれって言ってるんじゃねえ。
 夢や空想や慈悲の心を忘れるな、
 それができりゃ涅槃はどこにだってある。

 生き方は何も変わらねえ、
 ただ受け止め方が変わるのさ。
 心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。
 この般若を覚えとけ。短い言葉だ。

 

 意味なんて知らなくていい、
 細けぇことはいいんだよ。
 苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。

 

 嘘もデタラメも全て認めちまえば
 苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
 今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
 でも、これだけは覚えとけ。

 気が向いたら呟いてみろ。
 心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。

 いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?

 

 『唱えよ、心は消え、魂は静まり、
 全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

 心配すんな。大丈夫だ。」

 

つまるところ、

「認識を変えろ」。

極論すると、コレだけ。

 

この世界への、苦への向き合い方を変えるということ。


苦を苦と認識する自分の認識の仕方を変えなさい、と。

「え? 数回にわたって語るといっておいてコレだけ?」

という読者のツッコミが聞こえてきそうだな。(苦笑

まぁ、まて。

仏教は偉大だ。

おれもそう思う。

だが。

だがしかし。

おれは神秘学徒だ。

これはこれでひとつの答えだし、お釈迦さまのように生きるのもいいだろう。

 

だが、
もっと熱く生きていいんじゃねぇの?

この世は苦?

それもまた、
「一つの見方にすぎないんじゃねぇの?」

そう、目指すところは、
すべての宗教、霊的な道はみんな同じだ。

 

でも、そんな諦観に満ちた、老人のような歩き方はイヤだ。

 

おれはそう思う。

 

ならば、違う真理に立脚すればいい。

 

もっと熱く、情熱的に、前向きに「苦しみとしてのこの世」を乗り越えていく。


もちろん、自分の望みを実現しつつ。

そんな道はないのか?

もちろん、ある。

 

あるんですよ、お嬢さん!

 

 

そんな道を、神秘学徒加藤夏樹が、こっそり語ってしまいます。

 

はい、こんだけ語っておいて、
まるっとここまで前フリでした。(笑

 

次回からは、仏教とはやや異なるカルマへの向き合い、理解することで、人生を上向きにする、いわば本論に入っていく。

 

神秘学徒からすると、苦しみってのは、
「カルマをわかってねぇからさ」
ということになるので。

ま。そんな話だ。

次回、「なぜ生きるコトが辛いのか」【2】はコチラから。

 

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