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「なぜ生きるコトが辛いのか」という問い【その2】

どーも。
夏樹です。
っていうか、夏樹です。
あなたの夏樹でございます。

皆さまはいかが過労気味な日々をお過ごしでいやがりますか。

前回の「なぜ生きるコトが辛いのか」を読んでないときは、
先に読んでおいてくれ。


さてさて、なぜ生きることは辛いのか。
前回は仏教を例にとった。
そして世の中の仕様自体が人間にとっては、
そもそもが苦である、
だから認識それ自体を変えないといけねぇよ、
ということを書いたわけだが・・・・。

 

仏教的世界観は悲観的過ぎる?

おれはやっぱりその生き方は諦観的過ぎると思う。

仏教の偉大性を認めつつもだ。


しかし、
かといってどこまで行っても、
この世界は自分の生き方や願いを貫いていくには抵抗が大きすぎる。


だから良い意味で執着を手放すことが大切だというのでは、
結局仏教に立ち戻ることになる。

だがここで、
神秘学徒は、
もう少し別の見方をした。


この世がしんどいのは分かる。

デフォルトで苦しいのもわかる。


しかし、
この世界の成り立ち、
法則それ自体を理解すれば、
応用することが可能ではないのか?


と。


神秘学は元来、
この宇宙の創造者(神とか一なる者とか、
善一者とか哲学派、神秘学派で呼び方は色々)と合一できると考えてきた。


元々が、
そこから来た。
だからそこに還ろうとする思想だ。


すると当然、
還るためにはこの世界のことわりを紐解く必要があるし、
理解し、マスターしていく必要がある。


この世界の法則をマスターする。


そう、その過程でいわゆる「カルマの法則」(原因と結果の法則)も発見されてきた。


そしてとりあえず、
この法則が我々の人生にもっともディープに関与していることも分かった。
(このあたりの話はテーマとそれるので、また別の機会に。)


となると、
当然、それを実生活に応用しようと試みる人々だって出てくる。


「何をすれば(原因)、どういう結果が得られるのか」


それが分かるなら、
「望む結果だけを人生にもたらすことだってできるはずではないか」と。

そしてこれが、
のちに言う「引き寄せの法則」として、
世に普及していったカルマの法則の実生活版
とでも言うべきものへとなっていったわけだ。


まぁこの流れは、
ここ二百年くらいのことのようだが。


さてさて。


では、
ぽまいらに聞きたい。


ここまで引き寄せの法則が流布したのに、
それだけ人々は幸せになっただろうか。


単純に、経済的、社会的意味だけにおいても、
成功者は増えただろうか?


どうも、
あまりそうは見えない。


そう、人生を楽に、
苦から解放されて生きることを願い、
カルマの法則を利用する人々は現れたものの、
その試みはどうもうまく行っていない。


むしろ、
減ってさえいるのではないかと思う。


そうなんだ。
世に流布している引き寄せの法則等には、
実は大きな欠陥があるんだ。


次回は、そのことを触れて行こう。

ま。そんな話だ。

 

終りに・・・

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  • User Avatar ポチ さんより(21/10/02)
    ありがとうございます。 >基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 >観察することに集中するんだよ。 >その結果、 >色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 観察への集中、確かにここは欠けてるようです。 また、その結果得られた衝動や意味も、 祈る時は捨てて観察に集中するようにしてみます。 ありがとうございました。
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/10/01)
    ポチ ども、夏樹です。 多分だけど、意味をイメージしすぎているんじゃないかな。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 とくにこのあたり。 こういう崇高なイメージは結果湧いてくるものであって、 視覚化においては 基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 観察することに集中するんだよ。 その結果、 色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 最初からそういうイメージをもって 挑むもんでもないんだ。 今度は映画を観るように 視覚的イメージだけに集中してみなよ。
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar ポチ さんより(21/10/01)
    なつきさん こんばんは 薔薇十字の瞑想の時の最後の薔薇十字の表象の時に、上手くいきません。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 どこがダメだと思いますか?
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/09/17)
    4年目さ。
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