叡智と真理を探究する者のために

カバラと魔術:神秘的流れの秘密

 

Contents

 

記事のポイント

  1. カバラ、とくにクリスチャンカバラとは何か、その起源と進化。
  2. カバラが魔術とどのように関係しているか。
  3. カバラの流れとキリスト教、東洋宗教とのつながり。

はじめに:カバラ(クリスチャンカバラ)の起源

どーもー、おれちゃんです。はー、日々ご過労様ですが、あなたちゃんも社畜してますか。

で、今日はクリスチャンカバラの起源について軽く話していこう。

 

カバラってのは、ユダヤ教の神秘哲学で、生命の樹の図柄で有名だよな。

そのミステリアスな雰囲気からエヴァンゲリオンに限らず、色んな漫画やアニメにも用いられてきたシンボルだ。

厨二心をくすぐるよな。(笑)

 

 

で、ただこの生命の樹は、もちろんそんなエンタメなコンテンツではない。

宇宙の創造と発展の過程を示していて、真面目に言うとその意味は深いんだ。

もうね。ディープ・シーレベル。マリアナ海溝よりも深い。

 

 

カバラと魔術の関連

さて、このカバラがどう魔術と結びついたかって話が今日の内容。

魔術的なるものに触れると、必ずこの「カバラ」なるものはでてくる。

 

元々は宇宙の根源からの流出を説く『宇宙の仕組み』を解き明かす哲学であり、ユダヤ教神秘主義のコアにあたる部分だった。

この知識が後にキリスト教に入って、クリスチャン・カバラとしてヨーロッパに広まり、いわゆる『魔術』の理論的根拠になった。

ざっくり言うとね。

 

さっき言ったように、カバラは元来は宇宙の法則や構造を理解し、宇宙の仕組みを象徴的に見せることにあった。

だが、構造を理解した人々が行ったのは、「利用する」ことだったんよな。

人間は基本的にそうだ。

たとえば自然の仕組みを理解していった人々は、何をしたか。

そう、技術を発展させていった。科学技術文明だ。

 

同じように「宇宙の神的な仕組」を理解していったときに、理解していった人たちは、それをいかに利用するのかと言う点に重きを置いてしまった。

それが魔術の源流だ。

宇宙の仕組みを伝える『カバラ』を手にしたとき、宇宙を利用する術へと応用した。

それが魔術の始まりだ。

 

宇宙の力を自分たちのために利用するためのものだった。

 

神的なパワーを利用すること。それが魔術の本質なのである。

 

カバラの流れとキリスト教

だが、そもそも論でいえばこの「叡智」は宇宙の神的な仕組を理解するために人に与えられた叡智だ。

人を愛したとある大天使たちから授けられた叡智がその根源にある。これが真の根源だ。

彼らは人を愛し、導いてくれた。そして導きを永遠にするためにも、彼らは愛した人との間に、子を成した。(神聖受胎)

このとき生まれた子らこそ、のちの高きマスターたちのはしりである。

 

 

だが、人の手に渡った叡智は、時を経て、ユダヤ教秘教のカバラという形に結実される。

それはときにモーセの出エジプトにもあるように海を割るなどの奇跡的現象すら引き起こした。

(だが彼は利己的な目的にもパワーを用いた黒魔術師でもあったと言わざるを得ない)

 

だが、人に与えられた叡智は正しく使われなくてはならない。

「己の利己的な目的なために用いるのならば、それは黒魔術だ」

そう真摯に考える人も当然いた。

まさに大天使との間の子らの系譜にあたる者たちだ。

 

こうした人によってカバラの知識は編纂される。

どうなったかというと、「ユダヤ教の秘教でカバラとして表現された体系(叡智)を利己的に使用できないようにした」のがクリスチャンカバラだ。

ここは少し具体的にどう変化したのは隠させてもらうが、ある安全弁のようなものが組み込まれ、黒魔術的には用いることが出来ないようになっている。

 

遡ると、諸君らも知っているかもしれない人物を上げると、プロティノスのネオ・プラトニズム、オリゲネスなどが重要な役割を果たした。

彼らが、カバラの神秘的な教えをキリスト教の教義に「正しく」取り入れていった。

興味がある人は、ダスカロスの『シンボル・オブ・ライフ』を研究してみるのもいいだろう。

これがクリスチャンカバラの最先端であり、現代における完成形である。

 

カバラの神秘主義と現代への影響

そもそもでカバラは、時間を経て変化し、さまざまな文化や宗教に影響を与えてきた。

キリスト教内部での解釈は特に深く、先に述べたように西洋魔術にも大いに注目された。

魔術師たちがカバラの教えをどう解釈し、どう活用したかは、今でも興味深いテーマだが、実際のところ、ユダヤ教秘教におけるカバラばかりが注目されており、「利己的な使用ができる」カバラばかりが取り入れられた。

 

「魔術」が本質的なダメなのは、このあたりにも理由がある。

 

確かエリファス・レヴィだったかな。

神秘家ルドルフ・シュタイナーは著名な魔術師であるレヴィの「高等魔術の教理と祭儀」を読んで、「英知の残滓が漂ってるだけ」と感想をもった。

おれも同意見だ。

一見高度な神秘哲学にも見えるし、神秘的な精神芸術の精華にも見える。

 

しかし、利己的な精神の使い方しか結局はわからない。

我々の真の心魂の可能性を開くものではないのだ。

 

 

締めくくり:真の探究への招待

というわけで、カバラの旅は深いが、この神秘的な知識の流れを追ってみるといいよ。

もちろん追うならクリスチャン・カバラに限って欲しいが。

そこには、宇宙の深い真理が隠されているんだから。

ただ真の探究者は、この古代の知識を理解し、現代の視点で再解釈する必要があるのだ。

 

本質、源流を探究者は求めねばならないのだ。

 

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