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A process in sacred.

どーも。
夏樹です。


忙しさの中にいると、
静謐に身を置くことを忘れがちになる。


静謐は、聖櫃だ。


魂を静けさの中に沈潜させていくと、
わが身が魂の聖櫃となる。
そして神聖さの中へと至る。


そこは、
人が本来離れてはいけない場所。
此方であり、彼方。


我々がやってきて、
そしていずれは還る場所。


本当の約束の地だ。


すべての叡智は、
その地へと自ら歩もうするすべての魂へのギフトだ。


あなたという魂が、
どうかその道程が実り多きものでありますように。


その実りを今のあなたは苦味と思うかもしれない。


だが、
彼方におられる方は知っている。


いつかあなたはその苦味の真価に気づくときがくると。


そのときあなたは知るだろう。


祝福されていない道も、
祝福されていない出来事も、
なに一つあなたの人生には起きていなかったのだ、と。


在りて在るすべての魂に祝福を。


幾度もの邂逅も、
一瞬の交錯も。


すべてがあなたのもとに訪れた、
遥かな彼方から紡がれた縁のなせる奇跡だ。


そして形を変えて訪れた、
あの方の御手なのだ。









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  • User Avatar ポチ さんより(21/10/02)
    ありがとうございます。 >基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 >観察することに集中するんだよ。 >その結果、 >色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 観察への集中、確かにここは欠けてるようです。 また、その結果得られた衝動や意味も、 祈る時は捨てて観察に集中するようにしてみます。 ありがとうございました。
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/10/01)
    ポチ ども、夏樹です。 多分だけど、意味をイメージしすぎているんじゃないかな。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 とくにこのあたり。 こういう崇高なイメージは結果湧いてくるものであって、 視覚化においては 基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 観察することに集中するんだよ。 その結果、 色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 最初からそういうイメージをもって 挑むもんでもないんだ。 今度は映画を観るように 視覚的イメージだけに集中してみなよ。
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar ポチ さんより(21/10/01)
    なつきさん こんばんは 薔薇十字の瞑想の時の最後の薔薇十字の表象の時に、上手くいきません。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 どこがダメだと思いますか?
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/09/17)
    4年目さ。
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