叡智と真理を探究する者のために

自主的行動・決断こそが視点と自分を引き上げる

先日、某県某公園において、全裸の男の目撃情報があったそうです。

犯人は、年齢30歳位、黒髪、身長175センチ位、中肉、

色不明のチェック柄シャツ、青色ジーパン着用、 
青色バケツ所持の男です。

※防犯ネットに本当にこのように記載されています

 

哲学だな。

 

たーこです。いえーい。

 

今日はね、私たちや世界を正しく見ようとしないことは自分とその周囲の人間の人生を無用に辛いものにしている可能性が多々あることを体験した話を経緯を含めて話したいのですよ。するよしちゃうよやっちゃうよ。

 

 

先日頭痛がする程怒り狂ったんです。

怒り狂いながら脳がビチビチとイわしてる感じがして「あ、このままいったら脳血管切れて死ぬわこれ。ハハハ」〜と思った位、怒り狂いました。生きてるけど。

 

あまりに怒り狂って2日間も対象者・母に怒り狂ったメールを送り続けるガイキチおばはんになりましたさ。

これこそもう、ちょっとした事案ですね。

 

いい年したおっさん・おばはん@無職が、両親●したなんだといった事件あるけど、お気持ちわからずでもありません。

そんなこんなで夏樹の「とりあえず休め」の言葉もあり、ちょっと遊ぶことにしました。

〜で、18年前から行ってみたかった某ちょっと高めのハンバーガー屋へ行ったんですよ。

すげー美味しかったんですよ。

これまでにも色んなモノ食べてますが、その時はこんなうまいものあるのか!と思う位美味しかったんですわ。で、前方見ると学生が当たり前にハンバーガー食べてるの。

18年もの間、ずっと行きたかったのにビビって行けなかった場所に、学生は当たり前に入ってキャッキャウフフしてる訳よ。

世間はそれが当たり前。

欲しいものに手を伸ばして然りな訳。

妬み吹っ飛ばして笑っちゃった。

 

いくら過剰な欲はよろしくないと言った所で、

ここは日本で、

内容も多少値が張るとはいえ、

実際は1000円前後のハンバーガーなわけですよ。

 

つまり私は欲して当たり前の人としての色んなを子供でいるために抑え込んでいたようなものですね。なんか情けないのと同時に楽しくなっちゃってね。

何となく親にハンバーガーの写真貼付して、「これすげーうまい!世の中ってこんなおもろいんやなあ!ハハハもうお前のことなんかどうでもええわ、テメエの幸せ追求しとれや!」といった主旨の文面送ったら

「私は何も見ていなかった」といった内容の文面が送られてきてね。

初めて言いたいことがまともに通じた気持ちになりました。

勿論それはそれで未消化なものもあったので追撃メールも欠かしていませんが(つっても大体同じ主旨)世界がやっと等身大になった感じがしてね。

なんといいますか、人も世界も恐怖と羨望の対象でしかなかったのに、今現在は恐怖でもなんでもなく、全部混ぜこぜに当たり前に自分にも開かれているモノであると初めて実感できた感じがしてね。

 

びっくりした。

 

おばさんの年になって、初めてようやく生まれたような気持ちになったよ。人生っておもしれーんだね。

(35スタートで人生やり直し利くのか?まあいいや。)

 

さて、話はまだ終わらせない!!俺たちの戦いはここからだ。ここで話すのは俺たちというより俺の話だけど、俺の話を聞け。よかったら聞け。聞いて下さいお願いします 私の私による私の話。

 

この、私の家族との呪いにも似た因縁ですが、主に交流に原因があると思っています。

気持ちがあればいいわけでもないとでも言いますか。

 

伝達が常に一方通行の場合、必然的に伝達は命令にも似たものです。要点っぽいこと抑えて、あとは何も言わないといいますか。相手の描くシナリオに沿ったものもの以外許されなくなるので現状維持に必要な発言以外の発言が許されなかったり、できなくなっていくんですわ。

 

ここにおける発言が許されないことの意味するものは相手の思いやりを感じている故に発言しないこととはまた違います。自分の都合を相手を権力や恐怖で縛ることで、無言のうちに押し付けているようなものです。ある程度一貫した法の下に発令されているものであればまだしも、このような場合「法は気分によって移り変わる私である」と、無言のうちに伝達しているケースが殆どではないでしょうか。

そのままでいると親の、子に対するアプローチの目的が知らぬうちに「子供が親の望みと目的に親を導くために動く駒であり、同時に親がいなくては生きられない位の子供であること」になってることが実は結構「ある」のではないかなと思うんです。この目的は大変矛盾したことをこの立場の人間に命じています。

 

少なくとも私は「私は”子供”なのだ」と、自分に命じていました。自分は「子供」だから「子供らしく」していなければならない。

みたいな。

そして親のような人間に育ちました。あははん。

私のようなケースは基本受身の人間となるので面の皮厚い横柄な人間と引き合う気がする。

痴漢と痴漢が狙いやすい人間みたい。

 

 

「子供」の立場では「親」は絶対です。人(親)の思い通りにならなくてはならないという思いが自然と発生するのではないかと思います。無事親離れ・子離れに成功した場合はともかく一定年齢を超えても尚現在進行形で失敗し続けている場合「人(親)の思い通りにならなくてはならない」という思いに「思い通りになりたくない」という思いが混在してしまいます。

※何故このような状態で停滞してしまうのか、という点については一貫した法・責任・約束の不在によるものではないかという気がしています。架せられているルールが毎日毎時毎分毎秒コロコロ変わっていたらワケが分からなって何もする気がなくなりますよってねえ?このような思いの混在した状態は精神的に過度な緊張が発生してとても疲弊します。現実逃避の矛先の1つとして死にたくもなります。その結果の行き着く先は精神的過労死、ノイローゼなどですかね。

 

このような状態の人間と誰かしらとの間でなんらかの交流・関係が発生した際互いの間にうっかり発生しがちなものを自分の言葉で言うと、「腐敗した甘え」になります。

腐敗した甘えには本人の気の小ささも起因しています。この気の小ささのタチが悪いのはここ。自分から当たりに行かない、自主性のなさです。

 

自ら本来の目的に当たりに行く気が全く無く、目的に向かおうと当たりに行ってる人に当たられに行くわけです。精神的当たり屋。程よく生きていけさえすればいいのです。そうするのことで、自分は本来の目的と反対に飛ばされたとしても

●仕方なくそうせざるを得ない

●周りにお膳立てしてもらう私

といった立場に自分を持っていけます。どん底よりもちょっぴりだけ優位に立てているような錯覚に陥れるんです。同時に周辺の人になんとなく可哀想に思われて周りに優しくしてもらったり、愚かな自分のままでいることを許してもらう言い訳も出来ます。

この状態でいると人の力によって棚ぼた的に目的に当たる事はあっても、目的に当たらない・ニアミスが殆どです。

 

この点について、とりあえず私は一定年齢越えてこのような行為を重ねることで痛い目を何度も見ているのに尚、無自覚(のつもり)でやってしまうことは愚か・あるいは小賢しい。故に恥ずかしいものであるのでやめるように自分に命じました。

この点においては病や自己価値云々の問題ではなく、理性・社会的立ち位置の問題に思います。

全体を見ているつもりでも、実際の所は激しく自己完結していて一切相手を見ていない。見るように促しても現実が今の自分にはあまりに辛くて見る事が不可能、みたいな。

 

※自分が体験した事を書いていますが、人格障害ってこんな感じじゃないかな?〜と、今も昔も思っています。親の因果が子に報いどころの話ではなく、もはや物理的・現実的な呪いとなっているわけですね。人は世界をそれぞれの色眼鏡で見ているとしても、それでも世界は開けているのにね。

まあ、そんなわけで

基本空から爆弾がふってこない、移動が可能で、コミュニティの中で生存する生き物である私たちが、

私たちや世界を正しく見ようとしないことは自分とその周囲の人間の人生を無用に辛いものにしている可能性が多々あります。

そのような人は残念ながらこのことさえ知り得ないのです。

自発的で現実的な現状認知と目標設定、そして目標達成への自主的な思考・行動のみが自分が今いるフェーズから自分を引き上げてくれる手段、蜘蛛の糸なのだろうなと思います。

※ここでいう自主的なもの、というものは全てを自分1人だけでやる事ではないと定義します。ならびに先ず自分が助かる結果、関係者を救う事にもなりうるという個人的主張もさせていただきます。

〜とまあ、そんな話です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ぶち切れた際、自発的に何かを決断したのかもしれません。ぶち切れて以降、私の視点ががらりと変わっていっています。見えている世界がどんどん変わっていて強烈だった病んだ状態の感覚もわからなくなってきています。状況としてはいいのですが、頑張ってきたことが言語で伝達できなくなることはちょっと残念です。諸行無常ってことでそれはそれで全く問題ない、むしろいいのですけどね。

 

そんな話です。笑

 

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