富裕層のグローバル化の動きに市民は抵抗できるのか【暗い眠りとスピリチュアル】
どうもー。オレさまでございます。あなた様はいかがお過ごしでしょうか。ワタシメはやっぱり日々の多忙に巻き込まれてご過労さまでございます。こんちくしょう。
あー。さて。前回の国際情勢とスピリチュアルの記事で引き続いての質問が来たので、今回の記事はそれに対する答えとして作成してみた。
「いま、世界は富裕層の思惑として、グローバル化の方向に向かってますよね。それとは逆にアメリカは孤立主義に向かいたいと感じます。またISなどのテロリズムもあって、ナショナリズムも強くなっていますよね。グローハリズムVSナショナリズムという構図でしょうか。また唯物論が世界を席巻しようとしているとありましたけど、そもそも唯物論って、スピリチュアル的にはどういう内容なんですか?」
(質問をオレ的に整理した。意図と違ったらまた連絡ください。)
つまり二つの質問があるわけだ。
それでは、ひとつずつ回答していきたい。米国が孤立主義に向かいたい理由自体は前掲の記事の通りだ。
グローバリズムVSナショナリズム(国家主義)
さて。まず、この二つが拮抗しているように見えるというのは正しい。富裕層というのは、「国家」の権威も領土という範囲も認めず、「マネー」のキャッチボールを地球規模で繰り返し、富を増やしていく。カネがカネを生む「利子」というものこそ人類を欺く最大のカラクリだが、この説明は今のおれにはまだ難しいので、割愛。
さて、俗にいう「国際金融グループ」「多国籍企業」のパワーエリートたちは、国家というものの束縛を嫌う。とくに彼らはパナマのタックスヘイブンをガチンコで利用する。この流れは、当然「国家」というシステムは規制したい。しかし、国家エリートの多くは、グローバリズム側の人材も多いが、基本的には「アンチ・グローバリズム」だ。
ここで完全に国家主義に基づく原理で動いている代表的なのはロシアのプーチンだ。
ユダヤ財閥だろうがなんだろうが、容赦なく敵対してきた。彼らは生粋のリアリストであり、グローバリズム側に何度も苦渋をなめさせられている。その意味では、日本の安倍首相も国家主義側の勢力にたち、基本的にはアンチ・グローバリズムだ。グローバリズムにヤられた国家の悲哀もよく知っている。(国家破綻、ハイパーインフレ・・・ひでぇもんだ。)
そんな構図があるとはいえ、別に国家主義が「正義」というわけでもない。ただ、国際的な金融資本はハゲタカファンドなんて言葉もあるように、やることはえげつない。日本でも危機が迫っているが、たとえば「水戦争」という言葉をご存じだろうか。ボリビアのような貧困国から狙われた。国の根幹ともいうべきインフラサービスを「もっと安くするから」という建前で、支配していく。水道民営化とかの話だ。
ボリビアはいったんは売却されかけたが、市民側との闘争によりなんとか回避されたが。ただ今後はTPPの俎上に乗るなど、どうなるか分かったもんんじゃねぇ。おそろしい話だ。
いずれにしてもグローバリズムは、市民から巻き上げ、富めるものがますます富む。そんな収奪経済なんだ。ひでぇ話だ。富める者たちは、自分たちの富を守ったり、移動させたり手段にアクセスできるが、われわれはそうもいかない。左翼的に言ってしまえば、団結して抵抗するしかない。そして国家というシステムも「市民」から税金というカタチで富を得ているので、グローバリズム勢力に好き勝手に刈り取られるわけにはいかないので、敵対せざるをえないわけだ。
そしてグローバリズムは国際為替で、国家に対して闘争を仕掛け、往々にして国家は負ける。IMFなど、まさにグローバリズム側の機関だ。ここに一度支配されると、足腰が立たなくなる。韓国がいい例だ。あの国(の大企業)は、もはや外国人投資家たちによって所有されている。どれだけ彼らががんばっても富は外国に流出する。
そんな非道なグローバリズム・国際金融資本に迎合できるわけがねぇわな。
ちなみに外からのテロによって高まるのは、ナショナリズムというより、エスノセントリズム(自民族中心主義)な。「おれたち日本人とイスラムは相いれない! この国に入るな、出ていけ!」という気持ちね。ナショナリズムと近く、とくに日本みたいにほぼ単一民族国家といっていい場合は、両者は=になりやすいけど、正確には異なる。
唯物論とスピリチュアル
で、唯物論がスピリチュアル的に何がマズいかというと、そもそもだけど、スピリチュアルという思想は、今はニューエイジから派生したカウンターカルチャー的なものをさすケースが多い。ただおれがこの言葉を使うときは、もっとある意味、キリスト教よりでね。
wikiさんによると、
霊性(れいせい、れいしょう[1])は、
非常にすぐれた性質や超人的な力能をもつ不思議な性質[1]、
天賦の聡明さ[2]といった意味の漢語であり、
肉体に対する霊[1][注釈 1]の意味でも用いられる。
また、英語: spirituality(スピリチュアリティ)、
ラテン語: spiritualitas の訳語でもあり[3]、宗教心のあり方、
特にカトリック教会などでの敬虔や信仰などの内実やその伝統を指す[4]。
中略
また、ニューエイジや精神世界などと呼ばれる文化現象[6][7]
または非組織的な宗教現象[注釈 2]に対して霊性の語が適用されることもあるが、
1990年代以降はスピリチュアリティとカタカナ表記される方が優勢である[6][注釈 2]。
とあるが、おれの場合はとくに赤字部分を意味している。
そして神秘主義的文脈で「テオーシス(神との一体化)をめざし、高めるべき魂の状態」をスピリチュアリティという言葉で表現して使っている。
一口で言うとこういうことなんだが、の定義の前提には、「神」の存在や「高き世界」があり、そこに向けて人は霊的に進化していく、という考え方がある。
一方唯物論ってのは、これもwikiさんによると、
唯物論(ゆいぶつろん、マテリアリズム、英: Materialism、独: Materialismus)とは、
観念や精神、心などの根底には物質があると考え、
それを重視する考え方。
対義語は観念論(イデアリズム、英: Idealism)で、
精神のほうが根源的で、
物質は精神の働きから派生したとみる。
と、まったく反対の考え方なんだ。
霊的素材が三次元的に固体化したものが物質だ。
シュタイナーははっきりと霊が固体化したものが物質という表現をする。
これだけ見ても、スピリチュアルと唯物論ってのは、まったく反対の考え方をしているってわかるだろ。(もっとはっきり言ってしまうと、宇宙には、人間の霊的進化を妨害する役割をもった存在がいるし、彼らはその役割に従い、唯物論を人間に吹き込んだ。)
すると霊的視点からはある意味明らかで、物質次元のみしか問題しない唯物論という思想は、とうぜんそんな生き方を人にさせる。それは人を霊的にも精神的にも、決して幸せにはしない。人はその本質から霊的存在だし、なんども放蕩息子のたとえ話で語ったように、「親の資産を無駄遣い」してしまい、「ブタのエサを食べて飢えをしのぐ」という状態から、目覚めて「父のもとに帰ろう」と目覚めなくてはならない。それは「親の資産を食いつぶす」という唯物論的に生き方からの覚醒を意味している。スピリチュアルへの目覚めだ。
いかがだろう。唯物論とは前にも少し話した、人をブタにするキルケーの魔女のさす出す食事(人をブタにするエサ)へと人を誘う。それは霊的には暗い夢なのだ。五感で味わう刺激や快楽は確かに素晴らしく、エキサイティングだ。だが、それは霊的高みを目指す真の「喜び」と比較したとき、あまりにも暗い眠りと言わざるをえない。そして人を対価させる。
物質に支配される生き方から、おれたちはそろそろ目を覚まさなくてはならんってわけだ。どれだけ甘美なささやきをされても、高き世界から差し込む光へ向けて、ぽまいらが歩き続けると信じているぜ。その輝かしい光は、どれだけ見失ったとしても、一人ひとりの魂のうちに輝きつづけるともしびからの明かりなのだ。
聖書の花嫁の話にあったな。その方は、真夜中に訪れる。花嫁よ、準備をしていなさい、と。おまいたちがそう在れることを信じているぜ。
ま。そんな話さ。
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