霊性と問いかけ
はい、どーも。
おはようからお休みまで、あなたの暮らしの霊性を守る翼の折れた守護天使オレさまですが、
ぽまいらはいかが新年早々バタバタしていやがりますか。
まぁどうしたってバタバタするのは仕方なし。
それはまぁリーマンの宿命ではあるが、どうせなら、ちゃんと業績につながる
多忙でありたいものだ。
無駄に意味のないせわしなさを創るだけの上司・経営者というのが
世の中にはいたりするものだが。
まぁ仕方なし。
さて、そもそも論だが、精神世界と呼ばれる文化の本質ってなんだろうな。
一番のコアは、「私とは一体なんだろう。私は、どこから来て、どこへ行くのだろう」
という根源的な存在することへの問いから始まっていると思う。
それはそのまま死生観にも直結した問題であり、
それはあの世とか、ここではない場所、自分の来し方、往きし方を想定し、
宗教的・霊的思想へとつながる問いとなる。
「わたしを意識するわたし。このわたしは、どこから来たのだろう。そしてどこへ行くのだろう」
この存在への問いかけは、すべての霊性思想への出発点であり、ある意味終着点なのかもしれないな。
きっと誰もが一度は考えたことのあるだろう、この素朴な問いかけ。
しかし、人生でもっとも深く、根源的な問いかけになりうるだろう、答えの出ない問いかけ。
もちろん、神秘学的に、思想的な答えはあるさ。
しかし、それらはすべてひとつの「思想」でしかない。
ほんとの意味で正しいのかは不明だ。
結局の所、自分で体験していくしかない。
だが、ひとつだけ言えることがある。
この答えの出ない問いかけは、人生最大の無駄であると同時に、
限りない豊穣をもたらしてくれる問いでもある。
オレさまは時々、思う。
人生は、どんな「美しい問いをもって臨むか」で決まるのではないか。
少なくとも、精神的価値、豊かさは、この問い次第な気がするよ。
音の響きの神秘に魅せられたものが音楽と呼ばれる芸の術をもって、
その美しさで喜び、また人にも伝える。
色彩であったり、形態であったり、言葉であったり、そこは人それぞれだ。
いずれにしても、人生を豊かに彩る「神秘」に魅せられていくには、相応の「問いかけ」が
必要になる。
それは間違いないと思うのだ。
ま。そんな話だ。
「あたいも“空を見上げて、問いかけたことがあるわ~”」なんて思ったら、ぽちっとな。(藁
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