叡智と真理を探究する者のために

神秘学を学ぶ者は、いかに“世界”と向き合うのか。~ミヒャエル・エンデのモモ~

あー、どうも。

夏樹です。

今回は、昔のメルマガからのネタです。

さて。
神秘学の巨頭の一人、
ルドルフ・シュタイナーはその著書
「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」の中で、
次のようなことを言っている。

 

 


1.ルドルフ・シュタイナーの語る畏敬の念

教会1

 

(引用開始)

どんな人間の中にも、
感覚的世界を超えて、
より高次の諸世界にまで認識を広げる
ことのできる能力がまどろんでいる

まず第一に畏敬の念を思想生活の中に受け入れること、
それが神秘学徒の出発点である

今日では、
時代そのものが霊学上の認識内容を
かつてよりもはるかに広く普及させるべき意識段階に達している

外界との関係を豊かな内容あるものにしようと思うなら、
自分の感情や表象を大切に育てなければならない


(引用終わり)


これはまさに、

スピリチュアルな学問を学ぶ者、

神秘学徒の出発点だ。


神秘学徒は、

意識的に霊的進化を早歩きするという

試みを己に課している。

基本的にどんな人間であっても、

人生そのものが成長に必要な糧や試練を与えてくれるようになっている。


しかし、

意識的に歩むことで、

より速く進歩しようと願う者もおり、

そのためにあるのが神秘学、霊学と呼ばれるし、

宗教的な修行も本来はそういうものだ。


肝心なのは単に「この世界を早くクリアしたい」

と願うだけでなく、

なんのために早く進みたいのかと己に問いかけ、

それが他者のためでなくてはならない。


と、そうしたことは大前提として。


シュタイナーのよくいう畏敬の念とは、

どういうことだろう?

 

 

2.畏敬の念を育てる「観察」

赤いバラ


上記でシュタイナーは言う。

外界との関係を豊かなものにしようとするなら・・・・と。

我々は日頃、

恐ろしいくらいに何も見ていない。

通勤途上の風景でさえ、

ある日少し変わると、

もう思い出せない。

それほど、

何も見ていない。

しかし、

外界をよく観察する者にとって、

世界は変化に満ち溢れ、

そのすべてに神の恩恵としかいいようのない神秘が

隠されていることに思い至る。

廻りゆく季節の完全さと愛らしさ。

地を這う虫たちの精巧さ。

図ったようなタイミングで人生に表れる困難な

事象や天国のような祝福たち。

その「デザイン」は一体、

誰がしているのだろう?


この「世界」それ自体が、

途方もない神秘の教科書にように、

我々に語りかけている。

見つめれば見つめるほど、

その深き神慮に我々は言葉を失い、

こうべを垂れるしかなくなる。

そうして言葉を失い、

ただただ驚嘆に満たされていると、

やがて静かに世界は自分に向かって語りかけてくる。


事象それ自体が、

秘密のヴェールを開示する瞬間がやってくる。


それは、世界と自分との関係が変わる瞬間だ。


これまで自分にとって敵のように辛いことばかりをもたらしてきた

「世界」が、いかに美しく、逞しく、

そして自分を祝福していたことか!と知る。

世界と自分の関係が真に豊かになるのだ。

そんな瞬間が、

誰の人生にもやってくる瞬間があるのだ。

 


3.奇跡は人に気づかれてこそ奇跡になる

マリアさま
この世界が内包している奇跡性に気づくというのは、

それだけで人生がきっと変わる。

そしてさらにいえば、

人に気づかれるその瞬間を奇跡の側では待っているたのだ。

そして神秘学徒にとって、

これほど祝福に満ちた出発、瞬間はないのだ。

ぜひとも、

この世界を改めて観察してほしい。

見つめ続けてほしい。

夜空を見上げ、

星々の歌を聴いたミヒャエル・エンデの「モモ」のように、

この世界の奏でる歌をきっと聞くときが訪れるだろう。

そのとき、

魂は世界への畏敬に満ち溢れ、

世界に向かって開かれている。

ま。そんな話だ。

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■編集後記
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本文中に少し触れたが、

エンデの「モモ」は、

シュタイナーの言うところの

霊聴─Inspiration認識を持っている女の子の話だ。

世界の声を聴き、

友人たちの本当の声を聴き、

その奥底に秘められた善性や素晴らしい本質を表に露わにする。

コミュニケーションにおいても、

本当は話すことよりも、聴くことが難しい。

本当に人の話が聞ける人はどれだけいるのだろう。

エンデも作品中でそう問いかけた。

そうなんだ。

観察とは、

いわば世界との「コミュニケーション」。

もし、人が本当に「存在」の声を聴くに値するとき、

存在は自分の秘密を自ら開示するだろう。

どうか、そのことを覚えておいてほしい。

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コメント

    • コウヅマ
    • 2016年 2月 25日

    初めまして、最近メルマガ登録させてもらったコウヅマです。

    神秘修行をするにあたって1つ教えて頂きたいことがありまして、夏樹さんにコメント差し上げました。

    私は今シュタイナーのいか超の”神秘修行の諸条件”までの内容に取り組んでいて、蓮華の開発には至っていません。
    いか超は読み終えたので、今の段階で読むべき本を是非、教えて頂きたいのです。

    シュタイナーの他の著書は読んでませんので、神秘学概論か、
    いか超でおすすめされていたバガヴァッドギーターか、
    それともダスカロスか、、、?
    と迷っております。

    お忙しいとは思いますが、お時間のある時に返信頂けたら幸いです。

    • アバター画像

      どもども。基本的には「そのまま」です。
      「いか超」路線で歩まれるなら、
      そのまま「修身」的にいか超の内容を繰り返すことがメインです。
      蓮華の開発は、結果論ですね。

      一方、より具体的に歩まれることを望むなら、
      同じキリスト教神秘主義の系譜で、
      ダスカロスの「エソテリック・プラクティス」がおすすめ。

      おれんところの講座では「いか超」「エソテリック・プラクティス」
      「エソテリック・ティーチング」がいわば「教科書」に該当するんだ。

      とくに「いか超」「エソテリック・プラクティス」は、
      キリスト教神秘主義的な道が肌に合う人にとって、
      初学者の教科書としての最適。

      安全に歩め、
      かつ必要最低限の秘教的な教えが学べる。

      それに加えて知的学習を深めたいときは、
      エソテリック・ティーチングにも手を出すといいよ。

      もちろん読書が好きなら、
      さらにギーターも読み進めていい。
      ただそれは「魂の滋養」的な副読本の扱いでいいよ。

      多分、コウヅマさんが求めているような、
      具体的な行法等の本ではないので。

    • コウヅマ
    • 2016年 2月 28日

    お忙しい中ご返信ありがとうございます。

    いか超をノートに写しながら内容を身に染み込ませて日々の生活で実践しつつ、
    エソテリック・プラクティスも取り組んでいこうと思います。

    キリスト教神秘主義の教科書を教えて頂き、この道を少しずつ確実に進んでいきたいという思いが強まりました。

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  • 加藤 { すみません、今の今迄コメントに気づかず失礼! >人知を超える知恵の賜物 そうですね。そのような叡智に敬意をもって向き合える心でありたいものです。 }
  • 市川康明 { エジプトの秘儀と薔薇十字団の関連を教えて頂いまして,有難うございます. 死後の世界の理解には,論理を超えた感性が必要であり,人知を超える知恵の賜物ではありますね. }
  • ポチ { とっても共感します。 キリスト教ではキリストに似る、であったり創造を完成させることがゴールですが、キリストは創造を完成させるために受肉と贖罪とその後の継続的な働きかけを行い、創造の完成は「(自我の束を含む)この社会」を指してるわけなので、社会運動に参画せざるを得ない。 それをキリスト教で一番端的に表現しているのがプロテスタントなんだろうと思います。 アメリカは理想と現実の狭間で矛盾だらね。でも彼らはだからといって理想を捨てることはありません。 }
  • 加藤 { いえいえ。お役に立てていたら幸い・・・! }

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