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波動をあげるって?3

そんなワケで、では各論に入っていこう。



前回は、では高き世界を理解して、そっちに向かう在り方をすりゃいいじゃん、というところまで考えた。では、<在り方>とはそもそもどういうことか。



端的に言うと、在り方とは、<生き方>なんだ。それはより具体的に言うと、「どんな思想・信条で生きるか」ということでもある。



たとえば、稼ぐが勝ち・カネがすべて的な考え方を持っている人なら、そうした生き方をする。経済的利得を至上価値と置き、生活をそれに見合ったものにしていく。極端な例は、ホリエモンだろう。

(※真実、ホリエモンがそういう信条なのか、ほんとのところは知らない。ただ世の中のステレオタイプとして例にしている)


このとき、その生き方のベースに置く信条なり価値観なり思想なりが高き世界とは反対の方向性を向いているなら、波動を高める生き方とは必然的に遠のいてしまうのは、分かりやすいだろ。



自分の人生に置く価値の最大のものがほんとにスピリチュアルな意味での成長であり、その世界観を理解しようと務めている―一応このプログはそうした方面に関心を持っている読者が大半という前提で話をすすめるが―、とりあえずの方向性としては、出発点の段階では、波動的には「上」を向いている。少なくとも志向はしている。



だが、現実問題として、上を目指しているつもりでも、日々の雑事で容易に下へと向かってしまっている気がするというのは多いだろう。



また、「そもそも仕事からして、波動低下しそうな仕事なんだけど・・・」というヤシだって多いだろう。そしてさらに言えば、波動低下しそうな価値観の仕事に従事しているにもかかわらず、妙に高いヤシだっていることは間違いない。




逆に言えば、日常的に何かを気をつけていれば、自然と波動上昇の歩みができるはずではないだろうか。



ということなんだ。



ぽまいらも、よく思い出して欲しい。



従事している仕事は関係なく、とにかく人間ができており、妙に徳の高そうな人、人間性の高いと感じる人、なんかよくわからんが、「できた人」ってのは、どこにでもいると思う。



彼らは、別にスピなコトを知らなくても、そうしたコトができているから、「なんかイイ人」「素晴らしい人」「人間性が高い」(波動が高い)と思われている。



そうした彼らに通じる、根本的な共通点とは、なんだろう。



彼らは、意識的に無意識的にせよ、それを基本に生きているから、周囲に波動が高いと感じられる在り方となっているんだ。




では次回は、その核心に踏み込んでいきたい。



ま。そんな話だ。







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  • User Avatar ポチ さんより(21/10/02)
    ありがとうございます。 >基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 >観察することに集中するんだよ。 >その結果、 >色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 観察への集中、確かにここは欠けてるようです。 また、その結果得られた衝動や意味も、 祈る時は捨てて観察に集中するようにしてみます。 ありがとうございました。
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  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/10/01)
    ポチ ども、夏樹です。 多分だけど、意味をイメージしすぎているんじゃないかな。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 とくにこのあたり。 こういう崇高なイメージは結果湧いてくるものであって、 視覚化においては 基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 観察することに集中するんだよ。 その結果、 色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 最初からそういうイメージをもって 挑むもんでもないんだ。 今度は映画を観るように 視覚的イメージだけに集中してみなよ。
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  • User Avatar ポチ さんより(21/10/01)
    なつきさん こんばんは 薔薇十字の瞑想の時の最後の薔薇十字の表象の時に、上手くいきません。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 どこがダメだと思いますか?
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/09/17)
    4年目さ。
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