叡智と真理を探究する者のために

霊的な「水」の意味を理解し、求めよう。

 

この記事は次のことが学べます。
・キリストが言った「水」の意味について。
・キリストの「乾かない」といった意味について。
・霊的な水の求め方について。

以上の3点について理解が深まります。

 

 

 

 

霊的な水を飲もう。そのときあなたは渇かなくなる。

どうも。

なつきちです。

さてさて。

ふざけたキャラ「オレさま」がスピリチュアル界(?)で異端視されて十数年・・・。


無料ブログでブイブイ

言ってたころは、おっぱいおっぱい叫んで今よりもずっととんがったキャラクターでおりました・・・。(遠い目

 

しかし、

師匠こと通称ダンブルドアの

「40になったら今度はおまえが

 教えを伝えていくんだぜ」


遺言(※死んでないw)に従い、

はや数年。

実際は40になる数年まえから事前準備的に始め、

46の2021年現在に至るまで神秘学講座なるものを運営しておりやす。

もう10年くらいですかねぇ。早いもんだ。


20代のころはそんな日が

来るなんてマジで思わなかったけどねぇ。。


それが今や、


「あー、そろそろ次の参加フォーム用意せんと」

と思いつつ、

もうちょっとお待ちくだされ、

なんていっちゃってるわけです。

まぁ、一応中身はマジメにやっているせいか、感想の一番多いのが、

「こんなにまっとうとは思わなかったw」

意外に映ったのか、

そんな感想が多いですわ。(笑)

んでね。


今日はそーいうこっちゃないの。

 

霊的な水とは何か


よくある話だが、霊的な道を「伝える」ということは、「指導者」への依存、下手したら隷属を生み出しやすい。


だからこそおれは「先生」ではなくて、ただのインストラクーで、

まぁ笑われるくらいの存在で丁度いいと思ってるわけ。


だから講座では名前で呼んでもらってるし、

インストラクターでしかない、

とは強調するところ。

 

シュタイナーに言わせると、ゼミの指導教授と学生のような関係性。


おれは町のカルチャーセンターのインストラクターなんて表現するけど。

それくらいでいいわけ。


だから大いによその「ゼミ」をのぞいてみることもいとわない。


比較するのもいいだろう。


実際、おれ自身も、薔薇十字の道とダスカロの残したシステム、


キリスト教神秘主義という枠内ではあるがダンブルドアの勧めで弊習した身だ。

 


でもね。

おれは一つだけ、いい加減に扱わないものがある。


それが、ブログ、メルマガや講座を通して伝えている

「真理」とか「叡智」と言われてる智の結晶ね。


先人たちが探求し、蓄積し、究め、今に残してきた。

その足跡だけは、畏敬の念をもって扱っている。

 

その扱い方、扱う資格というものは、常に問われる。

おれ自身を軽んじるのは

いいんだけど、おれがコップに入れて渡した「水」は大切に扱ったほうがいい。


はっきり言って、そこを混在させている者は、弾かれる。

 

夏樹がいい加減なアホであったとしても、

おれの渡している「水」まで同じと思ってはダメだぜ。


イエスも言っただろ。

「わたしが与える水を飲む者はだれでも、

 決して渇くことがありません。」


「水」は大切に。(笑)


「水」への畏敬のないものは、おれはごまかせても、上はごまかせません。


スピリチュアルな道を学ぶ。


ってそういうことだぜ。


ま。そんな話さ。

 

 

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