叡智と真理を探究する者のために

自分の価値は・・・?

はい、どーも。オレさまです。



忙しくバタバタしておりますが、ぽまいらはいかがすぴすぴして生きていやがりますか。



更新頻度も落ちてすっかりのほほんと生きているが、いやはや。



世のすぴ系のご歴々、昨今は内実を知れば知るほどイヤになる。てめぇの修行自体を放棄するつもりはないが、ほんと、付き合うヤシらは選びたいところだよ。



というより、「選んばれて」いたいと思う。



まぁ、波動の法則というものがあるので、周りの友人知人などを見ればおのずと大よその自分の位置が見えてくる。



尊敬できるヤシ。



敬愛できるヤシ。



掛け値なしに大好きで、友情や愛情を覚えるヤシ。



そういうのが、どれだけいるか。



そしてそうした「誇れるヤシ」に、選ばれる自分でいられるか。



時にそう考えるのは怖くもあるが、自分を捉え直すためにも必要かもしれない。



いま、おまいさんの周りにいる連中は、おまいが提供している「メリット」がなくなったとしても、変わらず近くにいると思うかね?



そしておまいが「失った」とき、なお手を伸ばしてくれるようなヤシか?



人生は、そうしたときにこそ「力を間違いなく貸してくれる」といえる友人や、掛け値なしに尊敬できるようなヤシとの出会いなんかが、ほんとの価値を、そして「おまい自身の価値」を教えてくれる。



ま。そんな話だ。




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