メルマガ【魂の神秘学】VOL.12「理性的に歩んだ人たち」
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■VOL.12「今号のコンテンツ」
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・理性的に歩んだ人たち
・編集後記
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■理性的に歩んだ人たち
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はい、どーも。
GWと言いつつも、
まあ基本、カレンダー通りに働いているオレさまです。
来年くらいは、
中途半端な中間の平日も含めてがっつり休みたいところです。
さてさて。
思うところあって、
理性的学習について今号でももう少し書いていく。
今回もちぃと眠くなりそうな内容だが、
まぁ読んでくれ。
昨今、おりに触れて、スピリチュアルな学びは、
理性的な学びが大切だと書いてきた。
さて、昔の寺院が古今東西、
今日で言う大学のような学術・
教育機関の役割を担っていたのは、
決して偶然じゃない。
学術という「権威」と宗教的権威の融合
という見方もあるのだが、
本質的には、宗教的修行者に求められる行法
それ自体として、知的研鑽が必須だったから、
ということなんだ。
なぜなら、学ぶということの大きな力に、
「認識」を変えるというものがある。
言葉にすると簡単だが、
これはもう、世界を変えるほど大きなことだ。
考えてもみるといい。
日常生活だって、辛いと思っていた学校や職場が、
見方を変えたらとんでもなく有益な場と気づき、
一気に前向きにいけるようになった、
という経験は、少なからずある人もいるだろう。
それは、
自分の住む世界が地獄から天国へと
変わるほど大きなものだ。
ましてやこの道で学ぶ者は、
ゆくゆくは霊的世界を認識しなくてはならないので、
生半可な世界認識の変容ではない。
そんな認識の変容を得るのは、
もちろん大変なことだ。
しかし、シュタイナーに言わせると、
今はまだ霊的世界を認識できなかったとしても、
学習を続けることで、
霊的器官が養われていくのだ。
そして晴れて霊的器官が開けたそのときは、
急に開けた人と違い、
知的意味でも準備が整っているので、
自分を霊的に見失わず、
落ち着いて歩いていけるという寸法だ。
以上をふまえた上で、下記、
著名な神秘家を並べてみよう。
まぁオレさまが敬愛している神秘家ということになるが。
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