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自由意志は幻想なのか。

どーも、夏樹です。
過去メルマガを編集して再掲します。

 

いただいた質問に答えていくシリーズに入る前に、
予告していた─忘れられているかもしれねぇけど
今回は、
「人の人生とは運命論か、決定論のどっちだ」


という点についてだ。

いわゆる人生のすべては決まってるのか。

自由意志なのか。

ってヤツね。

 

自由意志は幻想か?

「人の自由意志って幻想で、
 すべてはもう決まってることなの?」

まぁそんな質問が以前あったのだけど。


どういうことかというとね。


よくスピな人たちが言う
定型文「すべては必然」。


まぁよくある言葉です。


極論すると、
運命─人生はすべてすでに決まっていて、
人の自由意志に働く余地はない的な考えだ。


宗教的には「全能」たる
神を信仰するキリスト教徒が陥りやすく、
長らく宗教論のテーマではあった。


全能たる神に背いて行動するなんて、
ありえないだろ、と。
簡単に言うとね。


でもね。
答えから言ってしまうと、
人は自由意志を持つからこそ、
「人」です。


それが、
「神の似姿」たるゆえんだ。


そして自由意志とは、
大天使のような、
高次の神的存在ですらもっていなんだ。

 

一体、
自由意志とは何なのか。

実はその意味を、
使い方を学んでいくことが、
霊性を向上させることでもある。

するとここで一つ疑問が生まれる。
ではそもそも自由な意志を持つ「私」という自己認識とは何か。
という問いだ。

 

自由意志を発揮する私(個我)とはなにか。


「私は私」と自己認識できる
この意識の本質とは何か。

しかしね。

ここがまぁ、一筋縄ではイカンですたい。

むずいですよ。


この問いの先は、
聖書最大の聖句と言われる、
「I am that Iam.」につながる。


私は、在る。


名を問われた神が答えたアレだ。
この秘密に分け入っていくことになる。


自由意志を幻想だって?


個我がまやかしだって?

無だと?


浅い。


浅すぎる。


人がなぜこの大宇宙において、
すべての神的存在よりも尊い存在なのか。

 

「すべては必然」


そう考えることは、
愚か者の結論に他ならない。


すべては必然など、
当たり前だ。


石を上に投げれば、
落ちてくる。

その現象を見て、

「必然だ」

と指摘することに、
どれほどの意味があるのか。


それがどれほど複雑に見え、
壮大な行為と選択の果てに見える
必然であっても、
それはカルマの働きによって、
必然(結果)が常に目の前に
現れているだけなのだ。


そんなものに惑わされ、
自由の意志も、
個我の意味を見失ってはならないのさ。

 

一応の結論


今回は、
これ以上長くダラダラと説明するのを避けるため、
結論ありきで答えさせてもらった。

 

「自由意志」を持つ「意識」とは何か。


スピリチュアルな道を歩もうとするものは、
ホントは自分で深く考えるべき問題だからな。


ま。そんな話だ。

 

 

 

 

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コメント

    • たまに あそぶ
    • 2016年 1月 10日

    なつき様

    そんなものに惑わされて、自由する意思も、個我も見失ってはいけない。

    これは、元気出ます!

    ありがとうございますm(__)m

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最近のコメント

  • User Avatar ポチ さんより(21/10/02)
    ありがとうございます。 >基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 >観察することに集中するんだよ。 >その結果、 >色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 観察への集中、確かにここは欠けてるようです。 また、その結果得られた衝動や意味も、 祈る時は捨てて観察に集中するようにしてみます。 ありがとうございました。
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/10/01)
    ポチ ども、夏樹です。 多分だけど、意味をイメージしすぎているんじゃないかな。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 とくにこのあたり。 こういう崇高なイメージは結果湧いてくるものであって、 視覚化においては 基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 観察することに集中するんだよ。 その結果、 色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 最初からそういうイメージをもって 挑むもんでもないんだ。 今度は映画を観るように 視覚的イメージだけに集中してみなよ。
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar ポチ さんより(21/10/01)
    なつきさん こんばんは 薔薇十字の瞑想の時の最後の薔薇十字の表象の時に、上手くいきません。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 どこがダメだと思いますか?
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/09/17)
    4年目さ。
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