ちょーせん動乱? カルマ的な視点からちらほらと。
どこかで熱い戦が始まると、ダンブルドアの疲弊が目立つのをたまには心配するたまには健気な愛弟子オレさまですが、ぽまいらはいかが健気っぷりを発揮しちゃっていやがりますか。
ヤシはヤシでいろいろと「これは自分のしごと」というコトをやっているようだ。
さて。北朝鮮の暴挙で朝鮮戦争、熱戦化かという緊迫だな。あくまでも朝鮮戦争は現在は「休戦」しているにすぎない。まして「軍事独裁国家」が権力の委譲を行うとき、新しいボスは軍事的手段で威を示したくなるものだ。
とはいえ、今回はそうした政治向きな話ではなく。
霊的には「民族(国家)のカルマ」というものがある。民族や国家というアクターを1つの主体、個人として捉えればわかりやすいだろう。同胞でありつつ相食むあの「兄弟」には、それだけ累積されたものがある。
そして現実レベルで戦争が始まるというときは、すでにアストラル界での闘争が激しさを増し、それが現実に反映されてきたということもあるんだ。
ヒーリングを例にするとわかりやすい。スピリチュアル・ヒーリングの一種で、アストラル体レベルからの働きかけが三次元の肉体に反映されて癒しが起こる、というものがある。
同様に、この三次元の事象というものは、まずアストラル界レベル(四次元)で発生し、それが三次元に反映してくる・・・というものがあるんだ。
ダスカロスも同様のことを指摘しており、彼の場合はイランイラク戦争はサイキック界で激しく行われている、と。とくに民族戦争の場合は憎しみの感情が強く渦巻いており、兵士たちや一般犠牲者も含め、憎しみにとらわれ、死んだことに気づかぬまま、今も向こうで戦争を際限なく繰り返しているというわけだ。
一種の地獄だな。
そしてそのエネルギーがこっちにまで降りてくるというわけだ。一人ひとりならともかく、民族単位でやってりゃ相当な破壊的な悪想念を産んでいるということは察しがつくだろ。
彼らを少しでも解放していくには、彼らに責任を持つ―つまり子孫が―民族単位で和解し、平和を築き、その波動を送るしかない。向こうからの悪い意味でのエネルギーがこっちの悪い現実をつくりあげていくように、その逆も当然可能なのだ。
遺してきた家族や子孫から、彼らの心にピースフルな波動が届けられれば、「あれ? おれはなにやってんだ・・・?」と気づくきっかけになるというわけだ。
ちなみにこうしたプロセスを意識的に個人レベルで行うことがいわゆる「先祖供養」だ。線香だのなんだの形式など問題ではない。先になくなった彼らを癒し、さらなる成長をもたらす平和で幸せな想いや気づきに満ちた想念を届けられればいいんだ。
だからこそ霊的叡智に満ちた経典を読み上げることが供養になる。同様に、別に古い経典でなくとも、霊的智恵に満ちた本を先祖の誰かを思いながら読み上げるだけで充分なのだ。この点はシュタイナーも言っていることだな。
いま、良くも悪くも、オレさまたちは「日本」に日本人として生まれている。縁が濃かろうが薄かろうが、この国に生まれてきた事実は変わらない。その意味で、この国に、民族に、広くは良い意味でも悪いでも共有された歴史を持つ周辺隣国にも霊的観点からは責任があるのだ。そして担わなくてはいけない。
一人ひとりはもちろんできることは小さいだろう。
だが、おまいの隣人としての、あるアジア人(中国でも南北朝鮮でも)がたとえ日本人をキライでも「あんたは好きだ」と憎しみをほんの少しでも解放したら。それはより高き視点から見れば、民族のカルマをおまいは正しい意味で担い、昇華させたことになる。
日本、南北朝鮮、中国。このもっとも近くてもっとも遠いと言われるアジア人は、互いに担い、解放しあっていかなくてはならないカルマに彩られている。
今回の紛争がどこまで熱戦化していくのかはまだわからん。ちゅーごくや南北ちょーせんは言ってはなんだが、現在霊的観点からは非常にまずいことになっている。その中でもとくに入り組んでこじれている南北のカルマ。この帰結がいかなるものになるにせよ、日本もまた関与していかざるをえないのだ。
報復が報復を生み、流血がさらなる流血と憎しみの双子を生み続けるという事態は、さけて欲しいものだな。
ま。そんな話だ。
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