エンデの言葉考
はい、オレさまです。
人智学徒として著名な作家ミヒャエル・エンデ
『モモ』や『ネバーエンディング・ストーリー』などで有名だよな。で、彼の言葉で拾ったものをもとにつらつらと考えてみよう。
灰色の男たちは、こまぎれ、分解の原理です。彼らにとっては、計算、計量、測定できるものだけしか現実性をもたない。計量思考を代弁しているのです。計量思考は現代社会をほとんど覆い尽くしている。しかし、人間は今、そこから再び全体性を見つけ出そうとしている。 『エンデと語る』
灰色の男とは、『モモ』に登場する時間どろぼうたちのことだ。
彼らはいつしか忍び寄り、人々から「時間」(いのち)を預金というカタチで奪い取っていく。しかし、当の人々は、暮らしがさらによくなると信じているわけだ。
だが、時間どろぼうとは、上記の言葉にあるように、分解の原理であり、目に見えて計れるものこそ価値があり、リアルである計量思考のシンボル。物理的世界観そのものなんだ。
そしてエンデがいう「全体性」とは、我々は本来は一つであるという方向性の原理のことだ。このポイントに向かっていくための智恵を人類は再び見出しつつある、とエンデは言う。
もちろんそれは、まだまだその萌芽が見えるという程度のこと。
だが、実際に歴史をみると、人類は確かに少しずつだが成長している。
たとえば・・・
・戦争は悲惨だが、現代は戦争ひとつ起こすにしても、環境整備が必要。大義名分など。その結果、政治の透明性が高い民主国家同士では戦争は今のところ起きていない。
一方的な侵略戦争など、少なくとも国家レベルではまず起こすことは困難だ。微々たるもんだが、こうした意味では進歩している。
しかし、それでいて、いつまでたっても、なかなか人は、「幸せ」な社会生活を万民に対して提供することが困難だ。
その根本的なところで、霊学的叡智を学んだ側から提示される智恵は、ぽつぽつと社会に向けて送られてきている。
分解の原理から統合の原理へ。
物理的世界観から霊的世界観へ。
目に見えるものだけから、目に見えないものも含んだ世界へ。
ゆるゆると、世界は「良い方向」へと進んではいる。
現代人は、社会の片隅から聞こえる福音の音に耳をすまさないと、魂が枯れてしまう。
耳をすませば、多くの福音がそこにあることに気づけるはずなのだ。
ま。そんな話だ。
せっかく来んだから、押しておけって、コレ。(藁↓
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