霊性の道はゆっくり歩み、そして長い。
はい、どーも。ぼくちゃんです。
最近はツイッターでぼやいてることのほうがすっかり多くてスマンこってだが。w
でさ。こちらでスピ関係をチェックしていると、やっぱりまだまだ多いな。
・ナニガシの儀式でアナタも即ヒーラー!
・ナニガシなアチューンメントで今日からアナタも魔法使い!
・ナニガシなマスターやら大天使たちのチカラで願望実現!
などなど。遺伝子を活発にしちゃうアレとか、なぜか株式会社などこぞの山奥からわいて出てき秘教の学院(教えることはマーケティングか?w)とかが活発だな。
メリット訴求、しかも変身願望(※人間のもっとも強い欲望の一つ。広告はこの欲求に訴求するタイプは多い)にフックするようなうたい文句をよく見る。
なんつーか。
ロコツに「ビジネス」だし、ここまでくると「いかがなものか」というより、「間違ってる」「それは霊性の道として、邪だ」とツッコミをいれたくなるな。
本来、ヒーリングひとつとっても、サイキック・ヒーリング(エネルギー・ヒーリング)においては、他者にエネルギーを注ぐ以上、自身がクリアでならんといかん。
水道水を通す配管・蛇口がさびていたら、どんなにいい水もサビ臭くなっちまうだろ? まして腐食していたらへんな細菌もまざって健康を害する。
ヒーリングも同じ。
純粋なスキル面の修練も必要だが、同時に、自身のエネルギー的な浄化をじっくりと進めていく。伝統的な気功でいえば、それこそこれは10年単位の時間を要することだってザラだ。
「他者にヒーリングをしていい」状態になる。そのこと自体が、とても大変なことなのだ。
そして同時に精神の浄化も努めないと元の木阿弥。なので霊性の道を歩む者は、不断の内省を己に課す。
「ヒーリングできる自分」に自己陶酔はないか。
「誰かを癒したい気持ちは、自己の無価値感の裏返しではないか」
「ヒーラーに対して、何かしら偏った“憧れ”があってなりたいだけではないか」
大抵、アチューンメント系をはじめ、「即ヒーラー」な手法を選択するヤシは、上記あたりの項目でひっかかってくる。
そういうのが、ヒーラーになっても、エゴイズムを肥大化させるだけなので、むしろ霊性的には後退してしまうだろう。
本来、こんなのは基本だが、あまりにも無視されたビジネスが流行っている。
やれやれだな。
「もしかしたら、一生自己浄化に努めるだけで終わってしまい、生涯私は、他者へヒーリングを施すヒーラーにはなれないかもしれない。それでも私は自己の霊的成長のために、学び続けたい」
そう本気で思えることが、求められているんだがね。
何かしらの霊的道を歩んだり学んだりしている者がいるなら、たまにはそうした自己チェックをすることは、とても大切だと思うぜ。
ま。そんな話だ。
「あたい、ゆっくりでも歩き続ける!」と思ったら、ぽちっとな。(藁
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