冬至と聖夜、ミトラ教の祭
どうも。なつきです。
昨夜は、クリスマス・イブでした。
前夜祭でも、
日本の社会ではイブこそ本番、
といった盛り上がり方をしますね。
とはいえ、本番は今夜。
キリスト教徒であってもなくても、
静かに祈りを捧げたいものです。
さて、クリスマスとは、元々はキリスト教ではなく、
ミトラ教の主神、
太陽神ソル・インウィクトゥス(ミトラス)の
誕生をお祝いするお祭りでした。
より正確には、冬至をお祝いするもの。
それは、
まさに日が再び長くなっていく「太陽の復活」だからです。
ミトラ教であっても、キリスト教であっても、
キリスト教神秘主義であっても、
《冬至》の神秘に見出だした叡智には、
やはり同じものがあるようです。
さて、ではここで、聖夜の魂のこよみを。
【魂のこよみ 第38週】
私は魔法を解かれたかのように
魂の胎内に
子なる霊の存在を感じる。
明るい心の中で
聖なる宇宙の言葉が
希望という天の果実をみのらせ
その果実が 私の神的根底から
宇宙の果てにまで
歓びの声をひびかせる。
いかがでしょうか。
宗教、宗派、民族を超えて、
人はこの冬至に復活、誕生、歓びを感じてきました。
冬至の祭祀とは、
その歓びの根源へと迫り、
意味を紐解くものであったということができます。
そしてそれを宗教的儀式、
いわゆるお祭りという形式に落とし込み、
私たちは霊的秘儀を実践し、体験し、体感してきました。
では、
私たちはこの冬至にどのような叡智を見出したのでしょうか。
それは、
冬至に意味を見出した宗教、宗派、
民族を横断的に貫いた共通する意味を見出せば、
分かります。
そうです。
太陽、すなわち【生命の永遠なるサイクル】です。
いのちは、誕生があり、
衰微があります。
そして闇(死)の中に入り、
やがて復活します。
宇宙という舞台のその中で、
惑星や恒星と呼ばれる星々の役者たちが、
そのドラマを演じています。
私たちは、そのドラマを気の遠くなるほど昔から
見つめていました。
今後も、
気の遠くなるほど見続けることでしょう。
冬至の秘儀は、
私たちのとても重要な叡智を与えています。
生命の秘儀を【冬至】は、私たちに与えています。
「人よ、生命とは永遠だ。
永遠に繰り返されるのだ
終わりのない円環の中に、おまえたちは生きている。
終わりのない喜びの中に、おまえたちは生きている。
終わりのない喜びによって、おまえたちは生きている。」
そう、叡智が言葉となって内に響くのを感じられるはずです。
私たちはすでに、
【永遠なる生命】の内に生きているのです。
ま。そんな話さ。
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