「傾聴」―内から智恵を得るということのサポート
はい、どーも。オレさまです。前回の記事で、心理学を専攻していたという占い師が良いコメントをくれたので、それを元ネタにする。
まず、文化庁長官でもあった心理学者(心理療法家)として著名だった故・河合隼雄が『ケルト巡り』(NHK出版)という本で書いていたという内容。
アイルランドで、ケルトの“魔女”ってのにタロット占いをしてもらい、心理療法との類似性に気づき、以下のように記していたそうだ。以下、コメントのコピペ。
「そのとき魔女がほとんど助言をしないのを見て、
「これは相当な人だ」と感心した。
私たち心理療法士は助言や忠告をほとんどしない。
私たちはタロットは使わないので、ただ「どうですか?」などと言う」
「ケルト巡り」河合隼雄(NHK出版)より
同様に、心理学者の海保博之(オレさまは知らないが)氏は『心理学ってどんなもの』(岩波ジュニア新書)において占い師とカウンセリングの類似点を次のようにまとめていたという。
・相談者への共感すること。
・傾聴により悩みの自覚とカタルシスを与えること。
・自力解決の支援をすること 。
(アンダーラインはオレさま)
だってさ。
分かるだろ? 大抵、占いであれカウンセリングであれ、どちらかが「立場」が上になってしまうものだ。先輩後輩関係であれ、上司部下、友人関係であれ。相談を持ちかけた時点で、「回答」する側が「上」になってしまう。
その相談に限ったときでさえ、支配―被支配の関係はできてしまうものなのだ。そうすると、何かしらの回答を「与える側」と「もらう側」ということになってしまい、答えをもらう側は、一見自分で得た答えに見えても、そこに至るように“誘導されて”しまっているパターンが多い。というか、回答する側が無意識にそうしていることも多いだろう。
このとき、支配関係ができてしまっていると、人は自立する力、自分で考える力を相手に与えてしまい、依存するようになっていくし、支配されてしまう関係ができあがる。洗脳と同じなんだ。
それでは、自らの解決能力を奪ってしまうのに等しい。そしてゆくゆくは隷属する者を生み出してしまうだろう。一般論的に宗教に走るのが「ラク」なのは、自分で考えることをせずとも、「教義」が何かにつけて答え・方針を与えてくれるからだ。
(※これは宗教自身が教義というものの意味を見失っているためでもあるのだが、それはまた別の内容なのでここでは触れない)
村上春樹作品の登場人物(確か「ねずみ」)の台詞ではないが、「考えて五十年生きることは、何も考えずに五千年生きるよりも大変」ということだ。人はそうした苦闘から逃げがちだ。しかし、ここで自分で考えて生きることを放棄しては、本当の意味で自分の人生を自分で生きていくことにはなるまい。
そして対話相手をそんな状態に追い込んでしまっては、もちろん本物のカウンセラーでも占い師でもない。悩める本人にとってもっとも的確なアドバイス、方針、智恵をもたらすことができるのは、いつだって自分本人だ。それが内なる叡智というものだ。優れた―というよりきちんと弁えた―プロフェッショナルは、その点を弁えている。
人と対話し、癒しなどの力になろうとするならば、「相手の自立する力」を奪うことなく、むしろ「高める」形で実施しなくてはならない。
以前読んだ『神との対話』でこんな趣旨の言葉があった。どんな形であれ、援助を与えるならば、相手を弱めるのではなく、強めるものでなくてはならない、と。
それは、占いであれカウセリングであれスピリチュアル・カウンセリングであれ。心のサポートをするならばなおのこと注意しなくてはならない点だと思うぜ。
ま。そんな話だ。
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