叡智と真理を探究する者のために

欲望ゴッツイ人々

はいどーも。ぼくちんです?



ギモン系にしてもまぁナニでアレですけども。



いやね。思うとですよ。いわゆる「スピリチュアル」とか「神秘的な」ナニナニって、いろいろありますな。霊視とかチャネリングとかヒーリングとか占術とか、もろもろ。



そういうコトでメシ食っている人も多々いらっさるわけで。



まぁすべてが「霊性向上」を意識した本来的な「スピリチュアル」の道ではないんだが、霊的文化と呼びうるもんの文化・技術ではある。



しかし、そうしたモンに携わっていながら、欲望フルスロットル全開な方々もいて、どーかと思うね。



たとえばさ、古今東西たいていのこのテの道では、神官僧侶など、潔斎精進、身を謹んで欲望の浄化につとめた。この道に携わるものは、欲望というものがいかに霊性を堕とす可能性があるもので、コントロールしなくてはならないかということを理解していた。


(※この知識の形骸化かムダな禁欲主義であり、無意味な欲望の抑圧だ。そして欲望の全肯定も空海のような高次の意味での肯定ではなく、暴走へと堕落するバターンをたどる。)



理解していたからこそ欲望のコントロール、浄化が霊性の道と常に一体だった。



そうしたこともわきまえず、欲望ものごっつい人々が霊的文化の領域でメシを食っているのを見ると、やれやれ、いつか身を滅ぼすぜ、と思う。



名誉欲、金銭欲、性欲・・・。



それらは寝ていても、欲望→思考型のエレメンタル(想念形態)を生み出し、自らに憑依させ、エレメンタルはさらに肥大化していく。



自分で自分の生霊にとり殺されるようなものだ。



そんな破滅的自体を招きかねない。



そうした自分の状況をもわきまえず、霊的文化の領域でメシを食っていらっさる方々は、ご高説を垂れる。



「ああ、自分で自分が何をしているのか見えていないのだろう・・・」と思わざるをえない。



たとえ今世を逃げ切っても、あの世と来世で必ずカルマの代償を支払うことになるのだ。霊性の道にいればなお更だ。



ネットやら書籍やら通してそんな方々を見かけると、他人事ながら心配になるヤシらもいる。



あまり多くの人を巻き込むなよと思っちまうぜ。



ぽまいらも、そんな連中に巻き込まれないように注意するんだぜ。



ま。そんな話だ。





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