試される大地・中東―神々の死と祈り
どーも。
夏樹です。
中東が荒れているな。
相変わらずといえば、
相変わらず悲劇の大地だ。
互いが互いへの報復に基づく砲撃や銃撃。
何が悲しくて、
十歳にも満たない子供の吹き飛んだ頭を見ねばならんのだ・・・と、
やりきれない。
元国際政治学徒としては、
そこにはオイルの利権争いを中心とした、
大国政治に巻き込まれた大地ゆえに悲劇を見出す。
しかし、
今回はそこに、
少しスピリチュアルな視点から観てみると・・・。
≪ここからは、ソースなし。おれの独断と偏見≫
あの大地には、
すでに神々がいない。
世界宗教発祥の地でありながらだ。
少し話はそれるが、
この三次元の争いというものは、
まずアストラル界で起きる。
昨今の日・中・韓で言えば、
互いの「愛国心」という「エレメンタル」が相食み、
肥大化し、衝突し、それがやがて人間界にも反映される。
簡単に言うと、これまで「想念のケンカ」だったものが、
リアルで争うようになるわけだ。
(この意味で、国内統一、士気高揚にプロパガンダとしての歴史、
反日を利用してきた両国の方が問題が大きいと思う)
そしてこの「想念のケンカ」が想念のケンカでとどまるように、
大地(国土)には、
それぞれに責任を担う導き手―俗にいう神々が在る。
これが全くないのが、
中東だ。
そう、中東では神々が死んだ。
より正確に言えば追いやられた、
と言えるのかもしれない。
するとどうなるか。
前回のメルマガで、
地震や津波には、
人に悲劇を与える魔霊の存在があるということを少し触れたが、
こうした存在の影響力がモロに反映される。
すると、自然災害の結果という間接的なことではなく、
よりダイレクトに「人が人を殺す」という状況が生まれやすい。
文字通り、
血で血を洗う。
報復しあう。
こんなマインドに陥りやすくなってしまうんだ。
これはイスラム教が野蛮だからだと思っている人も多いようだが、
本来、歴史的にはイスラム教はむしろ穏当ですらある。(キリスト教と比べて)
だからこそなんだが、
中東は、
より人間が理性的でならなくてはならない。
寛容でなくてはならない。
愛情を注がれなくてはならない。
一部のヨーロッパ系の神秘学派のグループは、
かの地を平和のマインドで包み込もうと、
日夜祈っている。
画像:Fotoffigrafie
それはとても重要なことだ。
神々の手が及ばない大地だからこそ、
助けられるのは、
人なのだ。
もし、ほんの少し時間とこころの余裕があるそのときには、
かの地に向けて平和の祈りを。
それぞれの気持ちで、
それぞれのやり方で。
ただ平和で優しい想いを届けるだけでも、
きっとそれは役に立つのだから。
善なる思いは、
いかなる炎にも焼き焦がされることなく、
必要とする誰かの心に、
ひとかけらの安らぎとして届くだろう。
それがもしかしたら、
誰かが誰かに向けた銃口をそっと下ろす理性になるかもしれないのだ。
ま。そんな話さ。
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