人を幸せにする仕事の価値について考えてみた
どうも、夏樹です。
年末も一生懸命にひぃひぃいって働いています。
どっちかというと、ホントはひぃひぃ言わすほうが好きです。
・・・・
そこはかとなく下品ですみません。。。
さて。気を取り直すと。
いま、表の稼業でもいろいろいとコンテンツ(サービス)開発とかで必死なうです。
マーケッター、プランナーとして日々、
脳みそを絞っている。
そんなところでふと思うのは、
「自分のこのサービスや商品は、どれだけその人を幸せにするだろう?」
と考える。
ある人が言っていたけど、世の中にあるサービスって、
突き詰めると、「時間をどれだけ短縮するか」ということに収斂されるらしい。
たとえば、わかりやすいのは交通機関。
移動を快適なものにしたのは当然だけど、何より時間短縮している。
外食での食事。
美味しさそのものこそ価値だと思うが、食べる空間とかも価値だと思うのだけど、
究極的には、「自分でレストランを建てたり、食べ物を育てたり、狩ってきたり、
調理したり、それらのスキルを体得する時間」をショートカットして提供している、と。
お医者さんだって、クスリだって、アパレルだって、ITだってなんだって同じ。
そして時間の短縮とはとどのつまり、
時間の短縮=命(時間)の提供なのだ、と。
なるほど。
それはそれで考え方として面白いし、
本質的な思考の一つではないかと思った。
なんとなくこの考え方に一面とはいえ共感したのでまだ深堀は浅いが、
十分立派な考えたではないだろうか。
ならば、
おれの開発・提供するサービスの価値を推しはかる軸の一つにしようと思った次第。
さて。
この軸で検討したとき、
胸をはって「価値がある」「高額なだけはある」といえるサービスになるのか。
なかなか面白い基準だ。
そう思って、シェアしてみたくなった。
ま。そんな話だ。
>世の中にあるサービスって、
>突き詰めると、「時間をどれだけ短縮するか」ということに収斂されるらしい。
すみません、この話はいわゆるサービスに限定した話ですか?
サービスのあり方としては理解できるのですが、エンデの「モモ」に真逆のことが書かれていたような気がしたので、
内容についてもう少し詳しく教えていただきたく思いました。
(以下「モモ」引用)
けれど、時間とはすなわち生活なのです。そして生活とは、人間の心の中にあるものなのです。
人間が時間を節約すればする程、生活はやせ細って、なくなってしまうのです。
(P95)
>たーこ
それは混在させる話じゃないな。
オレの言ってる「サービス(製品も含む)」は、
世に流通しているサービスや製品が持つ価値の話。
モモで言及されている箇所は、
市場主義経済における人間の在り方の話。
そして貨幣経済における「利子」の概念への疑義も含まていたりする。
だから時間の銀行とかの話もふんだんにあっただろ。
そして節約が実は反対の結果を導いている、と。
新幹線の登場で、
移動時間は短くなった。
その結果、ビジネスマンは昔は一泊かけられた仕事を日帰りで
こなす必要がなった。
こんな状況をモモを通してエンデは批判した。
一方で、
離れた人に早く会いに行けたり、
会う時間を増やし、豊かにすることもできる。
当たり前のことだろ?
こうした利便性にヒトはお金を払うわけで。
そもそも対立する概念の話じゃないので、
いっしょにしないように。
ソレはソレ。
コレはコレ。