人生にはホントは3回の死があることをスピリチュアルから考える
Contents
【この記事の概要】
どーも。夏樹です。ちとまた間があいてしまった。
そんなおり、昔馴染みの友人と対話していた内容から今回のテーマを。
早い話、スピリチュアル的に言って、実は1回の人生に「死」は三回あるということをまとめてみた。
人が唯物的な世界観でいる限り、地上の問題は終わらない
いささか唐突なものいいかもしれないが、スピリチュアルな領域を学んでいる連中てさ、輪廻とか神仏とかカルマとか、そーゆー話を受け入れてるといっても、ほとんどの人は結局本質的にはそれらを
「考慮していない」
といわざるを得ないと感じてる。本当の意味で理解もしてなけりゃ、受け入れてもいない。
そう思わざるを得ない連中が、多すぎる。
せいぜいキャッキャウフフしながら、「私の過去世ってー♪」みたいなお花畑で語ってんだろ?(偏見w
まぁそれはともかく、唯物論的世界観で生きてしまうとさ、たとえば、この世界をざっと見渡すと、未だ終わらぬ世界の紛争があり、、
身近な国内の暴力、殺人事件があり、
あるいは詐欺とかいじめとか。多様な問題があり・・・
こうした問題の背景は、
「人生は一度きり」
とか、
「この世界(3次元)がすべて」
という思い込みが背景にあるから起こる。逆接的な言い回しだけど。
この世界がすべて、人生は一回だけ、と考えているからこそ、おこる。
唯物的な世界観で生きている人たちならまだそれもわかるが、ところが、スピリチュアルなことが「好き」(なだけ)の連中も同じ。
結局のところ、ホントの意味で、霊的世界まで含めた生き方ができている例をおれはロクに知らない。
物質は人を祝福すると同時に、人をブタに変える魔女である、なんてこともこの道で言われる。
その意味は、この世界だけに目を向けていると、結局のところ、この世界だけでの繁栄を求めてしまうんだ。
それほど物質は魅力的だ。
それが結局のところ、いつまでたっても解決されない上記のような問題の連鎖を産むんだけどさ。
そこでたとえば、「人の一生」というのは、どこからどこまでを言うのだろう。
神秘主義的世界観、霊的世界観に生きる者にとっては、輪廻はごく自然だし、それを前提にして生きている。
だがまずは、輪廻といった長いスパンよりも、そもそも「一回の人生」の範囲はどこからどこまでを指すのか、この点を概観てしみよう。
1回の輪廻、人生とはどこからどこまで?
一つの人生(輪廻)を見てみると、まずこの世に生まれるだろ。ここがスタートとしよう。
第一フェーズだ。
このときオレたちは、
・肉体
・エーテル体
(“気”のエネルギー、肉体の設計図、物質体の維持等が主な役目)
・アストラル体(感情体)
・ノエティック体(思考体)
・現在のパーソナリティ(人格)
これらを持つ。
この他にもこれまでのすべての輪廻転生を記録している
・永遠の原子(記録媒体と思いねぇ)
・永遠の人格(ホントの自分と思いねぇ)
というものがあるが、詳細は割愛。
まぁ三次元の存在と思いつつも、それ以上の次元に同時に存在している。
それが人間だ。
そしてこの地上での数十年の人生を終えると、肉体とエーテル体を失う。
第一の死を迎える。そう、ここはまだ第一の死でしかない。
通常はここまでの生死で「一生」と思う。
だが、人はそんな儚い存在か?
「神」と呼ばれる永遠の存在が、たかだか数十年で終わるようなもの「生命」とするだろうか。
そう、もちろんこんな段階で終わりはしない。
【第二フェーズ】の始まり
次がちゃんとある。いわゆるあの世である「アストラル界」(サイキカル界ともいう。心理感情界/4次元)で、アストラル体に依拠した人生(?)を送る。
この次元での時間は4次元なんで実質存在しないが、あえて地上時間の感覚にすると、数百年、ときには数千年を過ごす。
しかし、地上ほど学びはスピーディではない。地上で違って、「抵抗」が少ないからだ。地上だと、たとえば「間違った道」を進めば、目的地にたどり着けない、といった物理的失敗が起こるる。だから自分のミスを外的に知り、半ば強制的に学習することができる。
これは地上で生きている間は、とてもつらいことだが、実は自分が成長、進化していくためにとても有効でありがたい機能なのだ。アストラル界では、そうはいかない。より高い視点から「間違った」ことがあっても、それはそのままでいられてしまう。
自分で意識的に気づくまで、ずっとそのまんまだ。あの世で自分の過ちに気付く、というのはなかなか難しいことでもある。
※だからこそ地上で霊的世界に目覚めておくと、スピーディに進む。
そうは言っても、ガイドや手出すけの仕組もあるので、人生は進む。
やがてアストラル体の死を迎える。(苦痛はない)
そう、あの世でもおれたちは、また死ぬのだ。
【第三フェーズ】へと続く
そしてアストラル体という霊的身体を失うとどうなるか。
・ノエティック(思考)体、
・現在の人格
・永遠の原子
これだけの身体になってそこで人生(?)を送り、ここでもそれなりの学びや仕事がある。
やがてノエティック体の死も迎えるわけだ。
とはいえ、まだここでも、ひとつの輪廻は終わらない。
【第4フェーズ】へと続く
ここから次の人生を企画する。
もはやオレたちには、「私は私」という個別化された
・自己認識(現在の人格)
・永遠の原子
しかない。
そして永遠の原子の記録係でもあった
守護大天使、永遠の人格(自分だけど)、運命の支配者(カルマの管理人的なもん)が関与し、適切な環境設定が行われる。
「第●回!夏樹くんネクスト人生設計会議
featuring Archangel of karma」
の開催だ。(笑)
オレの次の人生は「こうしたい!」というプレゼンがどこまで通るかはわからんw
死後に見せられる「走馬燈」ってあるよな。このプロセスで、自分の人生を客観的に省みて、次はこうしようという意欲、衝動を養うのだが、すべて自分の希望通りとはいかない。
この宇宙の仕組、カルマの仕組は複雑だ。
まだおれたちレベルの魂の段階では、理解しきれない。
より高き視点・知性によるサポートがいるのだ。
そして自分の願いやより高い視点(法則)とのかねあいのもと、適切な環境設定が行われる。
この会議(?)のあとに、再び受肉へと向かう。
その過程で新しいノエティック体、アストラル体が与えられ、受肉のときに、新しい肉体、新しいエーテル体、新しい「現在の人格」へと刷新される。
概ね、これで1サイクルだ。
言ってみたら、おれたちは人生の四分の一も認識していない。
この認識の低さが及ぼす影響。
この3次元しか考慮にいれていない人生の過ごし方が、どんな影響をもたらすのか。
まったく、無思慮だ。
そして恐ろしいことに、おれからみるに、
「スピリチュアル業界の人間たちほど、考慮していない」
とさえ感じる。
たったひとつの嘘のもたらす破壊的影響。
たったヒトカケラの優しさがもたらしてくれる美しい影響。
おれたちの視野では、あまりにも見えていない。
だが、本当は、そんなものが見えてなくても、学んでいなくても。
「お天道さまに顔むけできないことはしない」
といった、シンプルな知恵を胸に生きるだけでも事足りるんだ。
なぜなら、人には常に、「良心」や「理性」といった、高次の導きが生まれながらにして備わっているからなのだ。
良心のささやきを無視しない。
そんなしなやかな強さをもって生きていたいモンだな。
ま。そんな話だ。
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オトナたちのために書かれています。
今こそ、「ムリだ」というヤツを笑え!!
人生はいつだって、諦めるには早すぎる。
立ち上がるのに、遅すぎる日は決してないのです。
【コンテンツ一覧】
1. 人生は「そもそも論」で考えろ!
2. 欲求の階層を把握しろ!
3. 意識にコスモス(秩序)をもたらせ!
4. スピリチュアル・リンケージを生み出せ!
5. 1009回目のプロポーズ
6. 視覚化が未来を拓く
7. 自分の真の敵を知れ
8. もう一度、あなたが立つための力
追伸
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おひさしぶり~
なんとなくおいらと話してたことかな~
と思って久しぶりに登場してみました(w
そんなおいらは、めでたく来月失業するんで
有休消化を使って京都にきています。
(正しくは滋賀の草津に泊まって京都に通ってるんだけれどね)
いや~なんつうか
今生のおいらってカルマの総決算なのかもしれないな~
覚えてないと思うけれど
以前に、今の会社とは数年後に縁が切れると思うって言ったんだけれど
これっておいらにとってはカルマの二つ目のミッションの終了を意味するのよ
(一つ目は30歳の時に終了済み)
んで、「あー今回はうまくいった。きちんと納得できて終わった。」
と思ったら・・・
どうしても伊勢神宮に行かねばならない!
という思いと比叡山延暦寺にも行かなければいけない!
という衝動に駆られまして
8泊9日の予定で
伊勢、比叡山、京都をまわる旅を断行しちゃいました。
伊勢神宮だけは最初から行かなければならない意味合いがわかってたんだけれど
他は良く分からないけれど行かなければならないという思いだけで来ちゃったんだよね。
>運命の支配者
これも、以前から何度も、「おいらの場合は阿弥陀様だった」って言ってたじゃない?
そりゃそうだよね~
だって浄土宗の
僧侶だったんだもの(w
もっともだからこそ阿弥陀様も憎しみの対象だったんだけれどね
まぁ、なんつうか
参った参った。
あと数日、まだ思い出すことがあるのかな~(w
そいじゃまた。
んで、来てみたら色々前世からのカルマを思い出す思い出す(苦笑
まぁ、まだ旅の途中なんで、これからもいろいろ思い出すんだろうけれど・・・
わたしゃ以前、比叡山で修行していたことがあるね。
横川地区とほんの少し西党地区で、
それで、最終的には比叡山を下りて
浄土宗と浄土真宗のどちらかの僧侶になっている・・・
最澄の墓の前に立った時に溢れてきた敬愛の感情
そしてそれよりもはるかに強く、源信、良減
そして誰に対してよりも強く法然聖人に対する尊敬の念が強くあふれ出てきた。
でもおそらく私自身は親鸞聖人の方だったんだろうな・・・
(考え方が非常に近いのと、それに特別な何かを感じる)
だから昔から親鸞聖人には嫌悪感があったんだな・・・
ふらぐめんと
さいきん話せてないなー
元気してんのかなーと思ったら、
有給消化&退職かよ!
ちゃんと次見つけてんだろうな。。
ふらぐめんとらしいな、おい。
さすが神にケンカ売り続けてきたオトコ(笑)
ふらぐめんとは、
真言宗とは関係性はないのか?
おれは、空海のほうに親和性が高いもんでなー
まぁ、神秘主義者だから当然かもしれんが。
しかしほんと、
現世で根を張って生きるには苦労するな。
家族持ちなんだし、無理すんなよ。(笑)
この世界では、市井の暮らしを維持して、
この中で霊的道のりを歩むことほど
難しい道はないが、
ふらぐめんとの話を聞いていると、
なんかしらんが、
歩き方の違いはあれども、
まぁ、おれも間違いではないな、
という気になる。
なかなかゆっくり話す機会がとれんが、
そろそろそんな時間を設けたいもんだよ。
聖人ふらぐめんとのつぎのカルマ清算の
旅路はどうなることやら。(笑)
次は決まってないよ~
退職というか実質倒産状態になったための解雇だから(w
・・・というか次を探すような付き合い方をしちゃいけない・・・
というのが上からの課題だったから仕様がないね~
頼ってきた上司に対して
「決して最後まで裏切らず最善を尽くした」
っていう記憶と経験を「永遠の人格」に持ち帰ることが
今回のカルマの解消方法だったから。
仕方がない(涙
(例によってカルマが解消されてから初めて気が付いたんだけど)
過去生で、
信頼され頼りにされていたにもかかわらず
上司であり、おそらくは友でもあった者から
離れていったことがあるんだよ。
志も同じ、考え方も同じ、
大願成就に向けて共に歩んでいくことを誓っていたにもかかわらず、
意見の相違から激しく対立し、離れたことが・・・
「その方法では今は良いが将来必ず大きな過ちを犯す
だから、絶対にその方法を進めていってはいけない」
という私の意見を無視して、彼はどんどん自分の施策を進めていった。
その時、何度も何度も説得したけれど
結局無駄で・・・それで離れていったんだけれど、
私の心には「見捨てた」という思いが残り続けた。
実際、危惧したとおりに
組織は腐敗しちゃったしね・・・
その後悔(カルマ)の解消を10年かけてやっていたわけ(w
そしてこういった関係は大国主命と少彦名命の関係と同じなんで
私はずっと少彦名命の下について教えを乞うていたんだね~
でもそれはもう終わり。
>真言宗
密教自体は天台宗にもあるから修行の中で学んだと思うけれど
真言密教とは関係していないと思う。
智積院っていう真言宗の総本山に行ってみたけれど
特に思うところはなかったから。
(智積院の大師如堂からは素晴らしい気を感じたけれどね)
もっとも、いつか
「高野山に行かなければ!」という
衝動に駆られない保証はないけれど(w
・・・
それで、また今日も京都をまわっていて色々思い出したんだけれど、
おそらく私は京都で2度僧侶として過ごしている。
一度目は法然上人と親鸞聖人の時代
二度目は室町時代中期・・・一休さんがいた時代
この二度目の時は本願寺の僧侶で、
一休宗純とは友人(良い意味でも悪い意味でも)だったみたいね。
ここからはさすがに書けないことが多くなってくるんだけれど、
私が神様を憎むようになったのは、このおっさんに嵌められたのが原因なんだね。
といっても別に恨んでるわけではなく
いつかはおこるべき仏難を一休宗純がもってきたというだけだと解釈しているから
大丈夫なんだけれど。
なんで思い出したかっていうと、
今回、京都(延暦寺を含む)を旅してると、どこに行ってもすごい収穫なんだけれど、
唯一 臨済宗の寺院からは全く何も感じないわけ。
それで水曜日に行く予定だった大徳寺(調べたら臨済宗だった)を中止して
本当は行きたくないけれど行くべきなのかな~と感じる
本願寺に行こうかと思っていたのよ。
そしたら、頭の中で声がするのよ。
「てめ~京都に来て俺のところに顔を出さないとはどういう了見だ。
おまえにはいっぱい貸しがあるんだから
つべこべいわずに顔を出しやがれ!
それに、おまえには本願寺に行く資格なんかないだろうよ。
行ったって無駄だ。お前の考え方を完成させてから行くんだな。」
かいつまんで言うと上のような感じ。
んで、なぜか私も
「ふざけんな。貸しがあるのはこっちのほうだろうが!」
って返すんだよね。そしたら向こうも
「へへ、そうかもしんねーな」
って寂しそうに笑って・・・
なんなんだろ・・・と思っていたら
声の主が一休宗純であること、
そして彼との間であったことを思い出した。
ということで大徳寺も行くんだけれど
なんかあるんかね~また罠にはめる気じゃないだろうな~
いいかげん疲れてきましたよ
わたしゃ
いやー、さすが聖人ふらぐめんと様だぜ!
カルマの返し方、解釈とか完璧じゃねぇか。
浮ついたカルマの返済だ解消だとか
言ってる連中に爪の垢でも、、
と思うね。
全く。
しかしあれよ。
霊的に正しく在るとき、
それだけで天によって生きる糧は
与えられる。
ふらぐめんとなら、
大丈夫だ。マジでそう思うわ。
しかし、ここでまさかの
一休さんww
あの破戒僧、マジメなふらを嵌めたかー(笑)
まぁ、ふらの場合、
つぎの仕事も壮大なるカルマの結果なんだろうけどww
それ自体が罠みたいなもんだから、
今更罠が増えてもいいだろ(笑)
人生は壮大な自作自演だ。
罠にハメるのと、
はまるのも、ふら自身さ。(藁
しかし、劇的な京都旅行になってるな。
デンパ全開じゃねぇかい。
ふらは良くも悪くも、
僧侶としてはきちんと歩いていたんだろうなぁ。
ってなところで、
大徳寺レポートを待つぜ(笑)
>マジメなふら
いやいや今も昔も真面目じゃないよ(w
こう言うと誤解を生むけれど浄土真宗って戒律緩いから~
そこが浄土宗との違い。
まぁ、それがゆえに多くの人々を救いに導くこともできたし
逆の悲劇もたくさん生むことになったんだけれど。
このへんも色々思い出してるし
今生の修行もここにつながるんだけれど。
(一休宗純との出来事もね)
ただ、これ以上は本当に書けないので、
一休宗純に言われたように今はそんな段階にないので、
細かい事はメールします。
まぁ、大徳寺編はどういうことになるのか分らんけれど
あんがい何もないかもしれないよ(w
>人生は壮大な自作自演
そうだね。
でも全然自分の思い通りにはならないけれどね。
だって私たちは本当は自分が何を思っているのかさえ
自分は何者なのかさえ
知らないんだもの。
生きとし生けるものには全て仏性がある。
だから人はみな仏になることができる。
それと同じように全ての感情にも仏性がある。
憎しみも怒りも欲望も不遜も軽蔑も、
その全ての感情には仏性がある。
だから感情そのものに真直ぐに向かい合い、
つきつめて行けば必ず仏性が顕現する。
全ての感情は根源にある「愛」に行き着く。
だから、どんなに罪を重ねた者でも
どんなに悪い感情を持った者でも
どんなに欲におぼれそこから抜け出せない者でも
それらを捨てることができなくとも
それを持ったままで救われることができる
そのためには不純な心にとらわれないようにするために
心を研ぎ澄ますために
ただ一心不乱に南無阿弥陀仏を唱えなさい
必ず阿弥陀様が救ってくださる
(救うというのは心の中の仏性を導き正しい心にしてくれるという意味。
念仏というのは誰もができる方法で瞑想や修行と同じ効果をもたらそうとしたもの。
天台宗の慈覚大師円仁に始まり、同じく天台宗の良源(元三大師)、源信(恵心僧都)を経て
法然上人の下で完成するのよね)
これが浄土真宗の本来の姿。
浄土宗も同じなんだけれど
法然上人はあえて感情のことには触れずに
念仏の唱え方やらなんやら戒律を重んじた。
理由は・・・
戒律がなければ
感情の仏性を重視してしまえば
自分の死後
正しく意味を理解し教える者がいなくなれば
容易に堕落してしまうことが見えていたからだね・・・
浄土宗や浄土真宗って
他力本願で努力しなくとも阿弥陀様が救ってくれるって
解釈されてるけれど
本来はそういうものではないんだよね
ほかの宗派で行う修行や瞑想の代わりに
念仏を唱えるという修行をしているんだよ
ほいじゃおやすみ~
ふら
>生きとし生けるものには全て仏性がある。
ふらがこのテのことを語ると本当に響くな。
ガチで僧侶みたいだ。
そろそろ列聖の日も近いな。(笑)
しかしアレだ。
どんな悪人でも、
明日のマスターへの可能性を秘めている。
それが人のすごいところだ。
ただおれたちは、
本当は自分が何者かわかってないから、
互いのひどいことだってやってしまう。
戦争だってやってしまう。
しかし目覚めの光は少しずつでないと耐えられない。
>(救うというのは心の中の仏性を導き正しい心にしてくれるという意味。
こういう意味ならすごい共感するんだが、
思いっきり誤解している人がいるんじゃねえの?(笑)
他力本願・・・絶対他力ってさ、
ど本気の信仰が問われるよな。
むしろ自力より大変だとすら思う。
おれ的に言えば、
ネーミングが悪かった。(笑)
今でも誤解のもとになってんじゃねえの?
さあて。
おれも唱えてみっかな。
南無フラ堕仏・・・(-人-) ナモナモ・・・
>「堕落することでしか救われない魂もあるんだぜ」
>ってのが一休宗純のやり方・・・
球磨川禊かよ!www
(めだかボックス)
>だから彼は私に対して「貸しがある」といい
>私は彼に対して「貸しがあるのは俺のほうだ」と言ったんだね。
いやー、電波全開なトークセッションだなー(笑)
読んでるおれはいいけど、
もうブログでする話を超え始めているだろw
>はぁ、しかし毎日強制的に色々思い出さされてるな・・・
>・・・この流れは経験上非常にヤバイ・・・
>絶対、最後に試験があるから。
フラグメントの人生に試験がない、
なんてイージーモードはないわなw
あれよ、
ギャルっぽくいうと「わかるぅ~」
みたいなw
>何故かというと、京都に来る前からずっと
>雪の降っている金閣寺の光景が浮かんでいたのよ・・・
>その理由は分からなかったけれど、
>今日、雪の降る金閣寺時に来て分かった。
すげぇな、そこまでわかるか・・・。
>雪の金閣寺と竜安寺は
>「失った愛する者」との思い出の場所なんだね・・・
>・・・彼女の声が聞こえたような気がしたよ・・・
>ちなみに、相手は西園寺家の姫君で
>今生では、以前に何度か話したことのある「しのぶ」さん・・・
>やっと繋がったよ・・・
>もう亡くなってしまってるけれど・・・
おお。あの涙なしでは語れない、
ふらの物語・・。
今は昔で始まる今昔フラ語り。
>私は過去に解決できなかった
>そういう魂を有する人間と向かい合う人生を送っている
>私の父や妻がそうなのだけれどね・・・
言った。
言い切ったw
嫁さんに仏性がないと言い切ったw
見てねぇよな、ここ・・・。
つかさ、呪い?を断ち切って、
そのまま「縁」まで切れて寂しい老後になんなよw
どうせなら、
今世で過去に一休ともども諦めた
「救われない魂」をも救済するメソッドの開発だな。
んで。
おれと売ろうぜ。
「びっくりするほどアセンション!
すべての魂を救済するソウルテクノロジーが
ついに公開!」
そんなわけで、フラグメント主催
「魂の超魔術」が始まりますw
>南無フラ堕仏
うむうむ、そなたの望みどおり
堕落させてしんぜよう~
心して堕ちていくように(w
笑い事じゃなくて、
「堕落することでしか救われない魂もあるんだぜ」
ってのが一休宗純のやり方・・・
そして私もその時は堕落することによって救われた・・・
もちろん偽りの、仮初めの救いだけれどね。
一休宗純とは色々あって
彼のせいで(本当は自分のせい)愛するものを失い
絶望の果てに生きる屍のような状態になった私を、
彼は責任を感じて
堕落させることによって救ったんだね
だから彼は私に対して「貸しがある」といい
私は彼に対して「貸しがあるのは俺のほうだ」と言ったんだね。
でもね。本当に救われたかったのは一休宗純自身なんだよ。
当時の私に期待して、わざと罠にはめたんだ。
もし私がそれを解決することができたなら
自分もそれを手本にして救われる道を見つけられると思ったんだね・・・
残念ながら私にはその力はなかったのだけれど・・・
はぁ、しかし毎日強制的に色々思い出さされてるな・・・
・・・この流れは経験上非常にヤバイ・・・
絶対、最後に試験があるから。
前回は悪魔と死神連合軍だったけれど、
今回は・・・・もしかしたら一休宗純自身かもしれないな・・・
ちなみに今日の京都は天気予報では晴れだったのに
実際には雪が降ったんだけれど
私には「やっぱり」という感覚でした。
何故かというと、京都に来る前からずっと
雪の降っている金閣寺の光景が浮かんでいたのよ・・・
その理由は分からなかったけれど、
今日、雪の降る金閣寺時に来て分かった。
雪の金閣寺と竜安寺は
「失った愛する者」との思い出の場所なんだね・・・
・・・彼女の声が聞こえたような気がしたよ・・・
ちなみに、相手は西園寺家の姫君で
今生では、以前に何度か話したことのある「しのぶ」さん・・・
やっと繋がったよ・・・
もう亡くなってしまってるけれど・・・
>絶対他力
そうだよね~私も学生時代そう思っていたもの。
教科書にもそういうふうにしか説明されてないしね(苦笑
仏教において幸福とは解脱することによってもたらされるものだから
どんな宗派であっても目指す場所は同じ。
解脱する方法論の違いで様々な宗派があるんだけれど
どれも間違いじゃないのよ。
いろんな方法があるの。
でも努力しないで解脱する事だけは絶対に無理。
それは浄土宗でももちろん一緒。
恵心僧都の彫った阿弥陀様をはじめ
阿弥陀様ってそんなに甘い表情ではないと思うよ。
甘いのは観音様(私は阿弥陀様の化身だと思ってるけど)だね
だけど、「努力しなきゃ救われない」って言っちゃうと
多くの人がこぼれ落ちちゃうのよね~。
努力っていうと修行やら座禅やら学問やらと
思っちゃうから。
大多数の弱い心の人たちは自分には無理って思っちゃうのよ。
だから、浄土宗ではあえてそれは言わないんだよ。
でも全く言ってないわけではなくて、
ちゃんと言ってるんだけれどね。
「南無阿弥陀仏と一心に唱えていれば
必ず阿弥陀様が見守ってくださる。
死後も必ず阿弥陀様の元に行き
菩薩になるために、なれるように
修行させてくださる」ってね
これは知恩院(浄土宗総本山)の坊さんが実際話しているのを聞いてきたから
今でもそうだよ。
もっとも浄土真宗の方はどう話しているかわからんけどね。
浄土宗の話は本気で話すと終わらないんだけれど
主眼は、心の弱い普通の大勢の人を救う(仏性に導く)には
どうしたら良いのかということにあるんだよ。
でも、正しく浄土宗を理解したとしても
致命的な欠陥(つまり仏性に導けない魂の者)があって、
それが一休宗純との過去のいきさつに繋がる。
そして今生では
私は過去に解決できなかった
そういう魂を有する人間と向かい合う人生を送っている
私の父や妻がそうなのだけれどね・・・
一休宗純もそういう魂なんだよね。きっと・・・
(私は以前から、「私の人生はAB型に呪われている」って言ってるんだけれど
一休宗純は「AB型に呪われてるんじゃなくて、俺が呪ってるんだ」って言ってるのよ
「それじゃ呪いを断ち切りに行くか・・・」って言ったら「早く来い」だとさ。
まだ、そんな力は無いって言ってるんだけれどね~)
ちなみに
私は浄土宗のことなんか
京都に来るまで全く考えたこともなかったよ。
全部この数日間で思い出したこと。
お釈迦様以外あらゆる宗派に興味なかったんだから。
いやんなったうよね~まったくさ~
明日どうなるんだろう・・・
音信不通になったら一休宗純に呪い殺されたと思ってね(w
>もうブログでする話を超え始めているだろ
うん、そんな気もするけど
本気で危ない内容は書いてないから大丈夫だと思うよ。
今日で終わりだからもう少し付き合って下さいな(w
>魂の超魔術
んなもん始まらないっつうの!
>嫁さんに仏性がないと言い切った
言ってないって!
仏性がない生命なんかないんだから。
そうだな~
悪い自分を自分で分かってるけど
どうしようもなくて、努力もできなくて、
ただただ神様(もしくは包容力のある人)にそのままで受け入れてもらうことしか
望んでいない人。
注意されることは拒絶されることとしか感じられず
卑屈な自分の精神を支えるために
自分に近い人間を貶め傷つけてしまう人。
愛されることだけを望み、愛することができない人。
そして上記のことを解決するために
長い時間をかける余裕が現世では無い人。
南無阿弥陀仏を唱え続けて心が清められていく前に
お金が無くなったり、現実的なストレスで自殺しちゃったりという場合もあるし、
何かを信じること自体ができない場合もある。
そういう人たちに対して南無阿弥陀仏うんぬんって言ったって響かないものね。
じゃーどう接するべきなのか?
これが一休宗純を起因として
約600年間私のカルマになっているわけ。
ただ、前に書いた通り、一休宗純がたまたま起因になっただけで
いづれ対面するべき問題なので彼のせいではないんだよ。
で、大徳寺編のご報告(w
大徳寺に行くまでは実は半分死ぬ覚悟をしてたのよ。
というのは一休宗純が迷っていて救いを求めてるかもしれないと思ったから。
過去に「俺がお前を救ってやる」的な約束をしてるんだよね。あさはかにも。
二人ともに若い時代にね。
私は、一休宗純よりかなりはやくに死んでるんで
そのあとの彼は知らないんだけれど、
若いころはそういう傷ついていて迷っていてどうしようもない魂だったんだよ・・・
んで覚悟を決めて大徳寺に行ったんだけれど、
・・・特に何もないのよ。
三門に立小便してる坊さんの光景が浮かんできたのと、
本堂の釈迦如来像がやけに恐ろしかった
(目をしっかり開いてこちらを真直ぐ突き通すような視線なんだもん)
くらいで・・・
一休宗純も今まであんだけ色々煩かったのに話しかけても来ないんだよ。
「おい、ふざけんなよ。何が言いたいんだよ。」
って怒ったら、壁に一休宗純の顔が浮かんでこちを見てるんだけど
何が言いたいのか全然分からないのよ。
ただ、その時にふと気が付いたんだよね・・・
「一休宗純の墓ってここじゃないよな・・・
酬恩庵一休寺に来いってことか!」って
んで仕方なく二条城と京都御所の観光を止めて
一休寺へレッツゴー(涙
んで一休寺
・・・良い寺だね~
京都の大きな仏教寺院より
ずっと良い感じ。
一休宗純の墓は彼が皇室出身なため
近くまで行けないんだけれど
方丈に一休宗純が晩年弟子に彫らせた
自分の木像があるのよ。
その他にも
なんとなく全てに一休宗純の魂を感じる寺だった
うん、とっても良い寺だね
おすすめ。
・・・・
で、何!
何が言いたいわけ!(怒
こんなところまで呼びつけやがって!
なんか言いやがれ!
と言ってもだんまり。
んでしょうがないから感想を述べたわけ。
「結局、あんたは俺に自分の半生を見せたかったんだろ。
最初は意味が分からなかったけれど、今回俺が行った臨済宗の寺って全部あんたのゆかりの場所じゃん!
それを全部見せて、最後にここに来るように仕組んだんだろ?
でも、だから何? あんたの最後の顔(木像)を見たけどなんでもないじゃん!
確かに悟りなんて開いちゃいないだろうし、色々悩みも不安も抱えてるんだろうけれど
ちゃんと生きて頑張って死んだ人の顔じゃん。ちゃんと成仏できてるじゃん。
別に俺を呼ぶ必要なんてないじゃん!」って
そしたら初めて口を開いて
「だろ? 俺、ちゃんと生きてるだろ?
だから、もう俺にとらわれなくていいんだぜ」
だって。
「馬鹿だね・・・
俺のカルマは確かにあんたから始まってるけれど
なにも恨んじゃいなよ
これは俺自身の心の修行の問題なんだから
あんたを救うって言ったことなんか
そもそも記憶してないし(w
・・・でも、まぁありがとうよ
これで貸し借りなしな。」
終わってみれば確かに心のどこかにあった重しがふっと消えた感じだったよ。
結局、私の呪い(それは自分で自分にかけているものだけれど)を解くために
過去の出来事を思い出させ、かつ
自分が「きちんと生きたから心配ないこと」を知らせてくれたんだね。
まったく愛すべきくそ坊主になったね~
ちなみに一休宗純は天龍寺と建仁寺で修行をし
有名な虎の絵は南禅寺にあり、
大徳寺を再建し、そのトップになるも
でっかい寺が嫌いで一休寺から通っていたらしいね
そして一休寺でなくなっている。
・・・今回、全部行かされたよ(w
私とは無関係な彼の幼少期の寺は逆に行かされなかったという徹底ぶり。
まぁ、色々ありすぎて整理しきれてないけれど
ほんとーに疲れた旅だったよ。
全く観光した気分がない!!
でも、来て良かった。
今度は純粋に観光できたいな~(血涙
というわけで、明日は
ありがたーいお札がもらえるそうなので
醍醐寺によって伊勢~比叡山~京都の旅はおしまいです。
・・・しかし
一休宗純が試験でないということは
試験はどうなるんだろ・・・
今回は無し?
やった(w
ふら
なんつーかこう、「●●神社に呼ばれたの~♪」とかいって
旅するスピどもに見せてやりてぇ旅だな。
「スピ系よ これが呼ばれるということだ」
みたいなw
おいおい、
注意されることは拒絶されることとしか感じられず
卑屈な自分の精神を支えるために
自分に近い人間を貶め傷つけてしまう人。
愛されることだけを望み、愛することができない人。
そして上記のことを解決するために
長い時間をかける余裕が現世では無い人。
これって、
自己愛性パーソナリティ障害じゃねぇかw
いやー、友人がヨメがこれで離婚・・ゲフンゲフンw
はたで見ていて壮絶だったわ・・・。
まぁそれはそうとさ。
>「だろ? 俺、ちゃんと生きてるだろ?
>だから、もう俺にとらわれなくていいんだぜ」
>だって。
ここ!!
めちゃくちゃ「らしい」というか。
すげー一休に親近感わいたわ。
ツボった。
いやー、粋なことするクソ坊主じゃん。
>一休宗純が試験でないということは
>試験はどうなるんだろ・・・
>今回は無し?
>やった(w
え? なに言ってんだよ。
どうせ次の仕事で、だろ?
まあほんと。
おつかれさんな旅だな。
家族連れまわしてだろ?
よくやるなー(笑)
>家族連れまわしてだろ?
ううん、一人旅だよ~
突然思い立ったものでして はい(w
娘は学校だしね。
というか、今回の旅って一人旅以外では不可能よ。
毎日、10時間以上歩きっぱなしだし
昼食食べる時間すらなかったし・・・
比叡山なんて、濃霧で誰もいない遭難しそうな山の中6時間くらい歩き回ってたしね・・・
神社仏閣は一人旅じゃないとだめだな~
私の場合まともな観光客とは違う行動しちゃうから(苦笑
ふら
ひとり旅かよ!
優雅だな。
じゃあ、帰りに東京か横浜によれやー。
優雅じゃないよ。
ビジネスホテルだもの。
ただし今日だけは優雅です。
焼津でちゃんとした所に一泊(笑)
だから寄るとしたら明日だけど
オレ様は仕事でしょうに。
悲しい事においらはしばらくヒマだから
何時でも時間は作れるよ(涙)
今週の土日は用事があるから駄目なんだけど。
それに、もしかしたら
まだ終わってないのかもしれない・・・
最近のビジホは優雅じゃねぇか。(笑)
終わってないことを期待してるぜw
んじゃ、メールにもレスいれといたわ。