スピリチュアルな 瞑想―やり方とその方法や効果について
どーも。
夏樹です。
ブログとかも使って
ここのところ、
スピリチュアルと病気関係に
ついて書いてきた。
このテーマは引き続き
書いていきたい。
一方で走らせていきたい
テーマとして、
スピリチュアルと瞑想、
そのやり方とか方法論、役割、効果などなど。
最近、
このテのことに触れてになかった。
Contents
そもそも瞑想とはなんだろう
瞑想を定義することは
正直難しい。
本人のレベル、
そして目的別に
多様なレベルがあるからだ。
しかし、あえて言うと、
「主体的に永遠へと
向かう取り組み」
と言えるのではないかね。
神人合一。
テオーシス。
霊的に言うところの、人生の意味。
輪廻して歩み続ける意味。
神は、神になるために人になったのだ。
そのような言葉でも
表現することがある。
瞑想は、
そんな目的に向かうための
行法といえる。
だが、言葉は問題じゃない。
そう、言葉はたいした問題じゃない。
要は愛なる永遠性とひとつになることを
最終目的にしたワークだ。
もちろん多様なレベルが
あると言ったように、
瞑想方法や目的・効果も多様だ。
たとえば、
内省・観察を活用しつつ、
あるいは前提にしつつ、
今の自分の人格の浄化を図る瞑想。
たとえば、
視覚化を伴い、
ある種の能力を能動的に
開発する瞑想。
たとえば、
視覚化を伴い、
意識を拡大させ、
自己認識を超えていく瞑想。
たとえば、
特定のチャクラの開発を
目的とした瞑想。
書きだしたら、
キリがない。
とりあえずここでは、
瞑想も種類や目的が
たくさんあるんだなー
くらいの認識でいいと思う。
具体的な瞑想方法、
そのやり方とか方法については、
また次の記事で触れていく。
ここでは、
まず概論的な理解を得てほしい。
天の国への5つの黄金の鍵としての瞑想
ここでよく触れる
キリスト教神秘主義に
連なる神秘家ダスカロス。
彼の言葉を借りれば、
瞑想は
「天の国への5つの黄金の鍵」
のひとつだ。
簡単に言うと、
人がスピリチュアルに進化する
ために取り組む5つの項目のひとつ。
内省
観察
集中
視覚化
瞑想。
それぞれが補完的に
作用するけども、
瞑想は、
内省から視覚化までが
きちんと培われていないと、
確かな効果を得にくくはある。
内省から視覚化まで、
いわば内面世界的に
取り組んできたものが、
瞑想に至り、
外的成果を得る訓練という
側面も伴うからだ。
・・・
ものすごーく俗っぽく
言うと、
霊的能力等を得たり、
開発したり、
高次存在とコンタクトしたり、、
ということもある、
ということ。
ただくれぐれも言うけれど、
はなからそっちを目的にすると、
容易に失敗する。
とりあえず、
今回はここまで。
瞑想関連記事、次回作スピリチュアルな 瞑想―やり方とその方法・効果についてのシリーズⅡはこちら。
編集後記
いやはや。
分かる人向けのマニアックな話。
最近、またコツコツと
「シンボル・オブ・ライフ」
の探究に取り組み中。
まあそもそも、
最初の小路(パス)を
登っていくための
ヘラクレスの難行が文字通り
難行なんだけどね。
まぁそれはそれとして、
たまに思う。
あるところに、
人類のため、
先へ進むための叡智を
地上にもたらした方がいた。
何度も何度も地上に
転生し、
ときには失敗しつつ、
あまりにも「人間らしく」
生きてしまった。
それでも何度もやってくる。
自分の持ってきた叡智を
さらに地上での探究と
あわせてより磨き上げ、
人のために尽くす。
見返りは少ない。
例えばそのような
神々の世界から
人の身に「降りて」
きた存在を
ヒンドゥー教だと
アヴァターラなんて言う。
仏教だと●●の権化、
って言葉が元はその
意味じゃなかったかな。
いずれにしても、
すごいコトだと思う。
途方もつかない。
でも、ひとつ断言できる。
オレも、
そしてぽまいらも。
今日どこかで深い罪を
犯してしまった誰かも。
一人残らず。
ひとり残らずだ。
あの、クソッたれな
アンチクショウすらも!!!
・・・・
・・・・
おっと。
具体的某氏を連想しちまったが、
まぁご愛嬌だ。フッ。
えーと、
なんだっけ。
あー、そうそう。
アレね。
一人残らず、
どんなヤツでも、
という話ね。
いずれは、
高き存在となって、
人の世に尽くすために
降り立つ日が来るのだ。
そこは
地球かもしれないし、
地球でないかもしれない。
今日取り組む瞑想は、
そんな境地へと至る
第一歩になるかもしれないのだ。
強引に結ぶと、
まぁそんな話ってことさ。
シリーズの続きは、こちら。
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