スピリチュアル的にみた親子関係と課題~相性の秘密~
この記事では、親子関係のスピリチュアルな意味がわかります!
・親子の縁の意味
・親子でも尊重すべき他人である
・親子の相性もスピリチュアルな積み重ね
以上の3点から学べます!
また筆者は「本物のスピリチュアル」を追求した下記のメルマガを発行しています。
この記事に関心を持つ方に適しています。
ぜひご一読ください。
Contents
スピリチュアル的にみた親子とは
どーも。
夏樹です。
過去メルマガを編集しつつの新記事作成です。
ほんでね。まぁそれはともかく、実家に帰省すると、ガンで死にかけている親父が、思いのほか元気でまだ持ちそうなんでちょいとホッとしている。
なんだかんだと寿命はいきそうだ。
QOL重視のようで比較的ライトな抗がん剤のようなものしか飲んでいない。
本人がそれがいいのなら、いい。幸い効いているのはいいことだ。
さて。今回は、スピリチュアル的にみた親子関係について。
「親子」というものは、スピリチュアル的にみてどんな課題を設定して生まれてくるのだろうか。
親は子どもにとってどんな存在か
幼少期、オレにとっては恐怖の対象のような親父だったが、長じてからは非常に仲はいい。
息子のオレが言うのもなんかだかんだ尊敬しているし、叶うなら、また彼の息子がいい。
そう思っている。
とはいえ、やはり何かしらの課題というものは親子間で当然存在していたはずなのだ。
「深い縁」というものを頼りに、おれが今世で必要とした環境をもっとも提供できるということを理由に生まれるくることもあるのだけどね。まぁ全く親側の成長のための課題がないことはないが。
そこで親父を他人事のように見つめると、「親子関係」においては、結構な成長のための素材を今回の人生で得たように思う。(対息子限定)
この放蕩息子( ´艸`)をどう指導するのか。
怒ると叱るは違うという気づき。
どこまでが支援でどこからかがただの甘やかしなのか。
まぁ、親というのは大変だな。
一方、対娘関係では、姉貴の話を聞く限り、結構な課題を残しているように思うw
おれに対しては二人目なので随分改善されたが、一人目は一人目ならではの苦労があったようだ。
多分、予定の半分も消化していないだろう。( ´艸`)
ついでに夫婦関係はなおのこと、こちらもまだまだ課題を残したなー、とおふくろの反応からはうかがえるw
多分だが、親子関係において、親父は「家族といえども独立個人として尊重すること」が課題のひとつだったと思う。
血縁であろうと、他人は他人。
人として尊重すること。
これが思いのほか、難しい。
ほとんどの親は、この点で悩むのではないだろうか。
親子関係のスピリチュアル/自分の子どもをいかに「個人たる他人」として扱えるのか
おれは今、とくに子どもはもっていない。しかし、もったとして、難しいだろうなと思うことがある。
それは親子であれ、「他人」として自主独立を尊ぶことだ。
とくに小さいころは当然、親として「干渉」するだろう。少しでもいい人生を送ってほしいと願い、学校以外でも可能な限り教育のチャンスを与えるだろう。
当然、子どもはそんなことよりも、「遊びたい」だろうから「こっちはおめーの将来を思ってだな・・・」と衝突するだろう。
そこで愛か、エゴイズムか、支配か、放置か、放任か、その線引きが難しい事態に直面するのだろう。笑
世の親御さんはそんな問題と奮闘しつつの子育てだ。頭がさがる。
そんな風に非常に難しいのが、子どもの人格を独立した存在として扱うことではないだろうか。
そもそも子どもは、幼いころは当然、親が完全に庇護下におかねば、生きられない。一方で少しずつ自我(人格)が生まれ、育ってきたタイミングで、どこまで指導下におくのかという問題に親は直面する。
ガチガチに管理したり、放任にしたり。
親が百人いれば百通りの子育てがきっとあるのだろう。
そしてこの「子どもとの距離感」を間違えたときに、過干渉だの過保護になったり、ネグレクトの問題が生まれたりする。
しかし、本来は親と子どもの間には、かつて構築した親和的関係に基づき、親子の関係は生まれてくる。
ただの教育論のような、あるいは心理学のような話だが、この問題は最高に高度な「スピリチュアル」な問題を含んでいるのではないだろうか。
スピリチュアルな親子関係、成長と清算のはざまで
で、こうした家族関係。証拠は提示できないのでアレだが、シュタイナーにいわせると、「30代以降に理性的に選んだ友人関係など、親和的な関係を結んだ人たち」が多いという。おれと親父は確かにそうだろう、と思う。縁が深い。
この関係性で「提供してもらえるもの」が、今世のおれの人生で必要であり、おれは主体的に今の親を選んだ。そしてカルマの管理者らによって承認され、今世での計画とともに生まれてきた。
誰のもとに生まれるのか。
それは「私」の主体的意志であるとともに、カルマの管理者との協働のもとに計画が立てられるのだ。
親子関係のスピリチュアル:実例から
これはある知人の例だ。彼は、ずっと父親との関係が悪かった。
本人は音楽の道にずっと進みたかった。親はそんな水商売で食えるか、とキレた。
しかし、彼は高卒後、フリーでありつつもテレビの番組の音楽、特殊効果音とかをつくる仕事を展開。「普通のサラリーマンの倍くらいは」は稼げるようになった。
ただ、結局父親は死ぬまで彼の仕事を認めようとはしなかったようだ。
彼は、彼なりになんとか改善はさせたいと願っていた。それは父親の生前・死後とわずでテーマで在り続けた。
まぁそんな彼はスピリチュアル好きも高じて、退行催眠とかも活用したセラピーもやったそうだ。
そこでいわゆる過去世を思い出したという。すると、ずっと昔としては、古代エジプト時代まで遡り、父母とともに、役割を入れ替えながら、ずっと親子関係をしてきたという。
そして何度も親子関係のコミュニケーションに関する課題に取り組んでいたようだ。
彼は言った。
「この思い出した記憶がただの夢なのか、僕に確かめる術はない。ただ、自分としては納得がいった。ただ親父はもう死んでしまったからなぁ。次回にこの課題は持ち越しかな(苦笑)」とのこと。
家族を演じる人たちが、必ずしも同じかはわからないが、特定の人間関係において、何度も何度も成長に向けた課題に取り組むというのは、あるかもしれない。
なぜなら、同じ人と「繰り返す」ことで培われるものがあるからだ。
親子も夫婦も、相性というのはスピリチュアルな経験値である
「何度も繰り返す関係」というので思い出すことがあるので、ついでなのでふれよう。
人間関係、とくに恋愛・夫婦関係などで「相性」というものがいわれることがある。
この相性に関して、キリスト教神秘主義のダスカロスが指摘していた件がある。
相性とは、一回の転生ではなく、複数回を通じて築かれる関係性、絆が基になるという趣旨の発言だ。
これ、うちのセンセと同じことを言ってるなと思い、印象深い件だ。
「仲のいい夫婦」とは、まさに何度も繰り返してパートナシップを築き、現在の「相性がよい」という状態にまでもってた関係性なのだ、と。
そこから考えると、今世ではあまりよくない親子や夫婦、恋人や友人も、来世で出会えばもう少しよくなるかもしれないな。
とくに夫婦というのは、そのように何度も出会い、別れを繰り返し、関係性をより良いものへと昇華していく。
今世をよい関係で始め、終えることができたなら、それはきっと、過去世で培った経験の賜物だろう。
そして来世ではさらによくしていけることができる礎を築いたといえる。
ただ残念なことに、今世では良好な関係を築けなかったとき。
これはこれで来世で出会い、課題の解決に取り組むかもしれない。
ただ、よく言うだろ。
孝行したいときに、親はなし。
夫婦であれ親子であれ。
そんな忸怩たる思いをしないようにな。
輪廻の神秘は、必ず縁深き人と再会させてくれるが、その機会を実りあるものにするのは、オレたち一人ひとりの努力なのだから。
と、親父の死も決して遠い未来ではないのだ、と思いつつ、
そんな話をしてみたぜ。
ま。そんな話さ。
編集後記
「オヤジ、生まれ変わっても、オレはまたオヤジの息子になりたいと思うぜ」
このセリフを親父が死ぬ前に、きちんと伝えられるかねぇ。
やれやれ。
ま。そんな話さ。
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