光輝あふれる世界―思い出すということ。
人は誰しも、
魂のうちに光輝あふれる世界の記憶を魂の遠い風景として持っている。
それは、
我々の魂が《人間の雛形(イデア)》を通過する前の記憶だ。
遠いその日の記憶は、
オレさまたちは失っている。
人としては有することができないほど、
神聖かつ叡智に満ちた記憶だ。
神々であった頃の記憶といっていい。
しかし、そのときの記憶というものは、
魂に刻まれている。
だが、あまりにも深く深くに眠っているその記憶は、
ほんの僅かな輝きの残滓を我々にもたらすのみだ。
だが、その輝きの記憶は、
決して潰えることはない。
オレさまたちの道を照らし続ける。
その輝きを思い出すことが、
「学ぶ」ということなんだ。
学ぶとは、思い出すこと。
そうプラトンは言った。
それを想起説という。
学ぶという行為は、
かつて見知っていた魂の原風景の在る世界へと近づく術なのだ。
(スピリチュアルな)知識とは、
単なる知識ではない。
遠いあの日の光輝あふれる世界へと近づいていくために、
魂を揺り起こすために必要な糧なのだ。
いつの日か、
誰もが帰る世界への扉を開けるために。
ま。そんな話だ。
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