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光輝あふれる世界―思い出すということ。

人は誰しも、
魂のうちに光輝あふれる世界の記憶を魂の遠い風景として持っている。


それは、
我々の魂が《人間の雛形(イデア)》を通過する前の記憶だ。



太陽と月





遠いその日の記憶は、
オレさまたちは失っている。


人としては有することができないほど、
神聖かつ叡智に満ちた記憶だ。


神々であった頃の記憶といっていい。


しかし、そのときの記憶というものは、
魂に刻まれている。


だが、あまりにも深く深くに眠っているその記憶は、
ほんの僅かな輝きの残滓を我々にもたらすのみだ。


だが、その輝きの記憶は、
決して潰えることはない。


オレさまたちの道を照らし続ける。


その輝きを思い出すことが、
「学ぶ」ということなんだ。


学ぶとは、思い出すこと。


そうプラトンは言った。
それを想起説という。



学ぶという行為は、
かつて見知っていた魂の原風景の在る世界へと近づく術なのだ。


(スピリチュアルな)知識とは、
単なる知識ではない。


遠いあの日の光輝あふれる世界へと近づいていくために、
魂を揺り起こすために必要な糧なのだ。



いつの日か、
誰もが帰る世界への扉を開けるために。



ま。そんな話だ。



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  • User Avatar ポチ さんより(21/10/02)
    ありがとうございます。 >基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 >観察することに集中するんだよ。 >その結果、 >色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 観察への集中、確かにここは欠けてるようです。 また、その結果得られた衝動や意味も、 祈る時は捨てて観察に集中するようにしてみます。 ありがとうございました。
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/10/01)
    ポチ ども、夏樹です。 多分だけど、意味をイメージしすぎているんじゃないかな。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 とくにこのあたり。 こういう崇高なイメージは結果湧いてくるものであって、 視覚化においては 基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 観察することに集中するんだよ。 その結果、 色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 最初からそういうイメージをもって 挑むもんでもないんだ。 今度は映画を観るように 視覚的イメージだけに集中してみなよ。
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar ポチ さんより(21/10/01)
    なつきさん こんばんは 薔薇十字の瞑想の時の最後の薔薇十字の表象の時に、上手くいきません。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 どこがダメだと思いますか?
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/09/17)
    4年目さ。
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