叡智と真理を探究する者のために

講座雑感

はいどーも。僕ちゃんです。



いやね。なんだかんだと、講座も後半戦になって参りました。



基本一年の講座ということでやっているのだが、こうしてみると、
「一年分」として最低限必要なこと、今後も一人になっても取り組んで欲しいことなど色んな視点から、
必須知識・スキルを基礎編であっても厳選しているつもりだが・・・。



そうはいっても、ほんとは「3年間はじっくりかけてもいいだろw」という内容になっており、
一つひとつの深遠さが伝わっているか、非常に心もとない。



足早に詰め込みすぎてるのかなぁと悩むこともある。



オレさま自身が今もって取り組み真っ最中なスキル等が多いために、
伝えきていないと思うこともあり、忸怩たる思いもする。



たとえば先日行った「観察」のスキルでさえ、本当にディープに深化していくんだ。



あれ自体がもっとも安全な幽体離脱のスキルへとVersionUPするし、
さらにアストラル界探索においても、必須スキルともなる。



瞑想中の気づき等は言うに及ばず。



霊的知識の多くは、「観察」からもたらされる。



今もやってるエーテル・ボールの作成練習も、色彩による波動変換で用途の使い分け、
遠隔ヒーリング、ヒーリング用エレメンタルの創造、霊的プロテクトやヒーリングにも用いられるガーディアン・エレメンタルの創造へと発達していく。



練習を繰り返していると、おのずと分かってくる。応用の利かせ方がふと「わかる」ときがくるんだな。



そうするとしめたもので、自分で実験、探求していけるようにもなる。



そうした瞬間を個々に体感して欲しいのだが、それはなかなか難しいようだ。



それにこうした実践面ばかりに偏っていると、霊性面でのプラクティスもおろそかになる。



また知的学習によって得た「知識」を人生によって実感するといったこともある。



まぁこればっかりはオレさまがどうすることもできん。



オレさまは、個々に「靴」を与えるようなものだ。



それをはいて、実際に歩いたり、走ったり、飛び跳ねたりするのは個々にゆだねられている。



そして人によっては、その靴を履くことで、思っていたよりずっとずっと遠くまで快適に踏破できることに気づくだろう。思わぬ山をも登ることに適していることに、気づくだろう。



だがそうしたことに気づくのも、自分で道へと踏み出し、山へと向かって歩を進めた者に限るのだ。



そしていつか。



その靴を履きつぶし、新しい靴がふさわしくなるときがきっと来る。



もっと良い、自分に適した靴を得るときがくるのだ。



それは自分でしっかりと歩きとおし、一足を履きつぶしてみたからこそ、より自分に適した靴がなんなりかわかるというものなのだ。



遠くまで、ぽまいらは歩ける。



そして一歩を踏み出すのは、おめーらの「意志」にかかっているのだ。



ま。そんな話だ。

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  • ポチ { とっても共感します。 キリスト教ではキリストに似る、であったり創造を完成させることがゴールですが、キリストは創造を完成させるために受肉と贖罪とその後の継続的な働きかけを行い、創造の完成は「(自我の束を含む)この社会」を指してるわけなので、社会運動に参画せざるを得ない。 それをキリスト教で一番端的に表現しているのがプロテスタントなんだろうと思います。 アメリカは理想と現実の狭間で矛盾だらね。でも彼らはだからといって理想を捨てることはありません。 }
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