【ある沖縄のユタの言葉】スピリチュアルカウンセラーやヒーラーにこそ読んでほしい。
この記事は、ユタの言葉と生き方で「本物のスピリチュアルな生き方」がわかります。
・神様の力で不当利益は許されない。
・本物のスピリチュアルな道を歩むユタが伝える「在り方」。
・本物のスピリチュアルな哲学と生き方。
長い記事ですので、ブックマークされて「迷った」ときにお読みください!
Contents
【この記事の要旨と結論】
昨今、スピリチュアル・カウンセリングで起業しよう!という風潮もあるが、本来、そもそも「スピリチュアルで起業」ということ自体が正しいことだろうか、という疑問が残る人も多いのではないだろうか。
(ちなみにスピリチュアル・カウンセリングの定義自体、曖昧だ。wikiににると、霊能者として有名になった江原さんのページ内にはある。ちなみに引用しているからって、僕がこの定義を肯定しているわけではない。)
そこで今回紹介する沖縄のユタのインタビュー記事。ここで、ある沖縄のユタが語った言葉が参考になる。
スピリチュアルに関心が高い人にはぜひ読んで欲しい。
結論からいうと、その沖縄のユタ曰く、「神様からいただいた力で不当利益を稼ぐものはニセモノである」ということだった。本記事では、その記事におけるユタの発言の詳細を検討しつつ、「スピリチュアルにおいて稼ぐ」ということの本質や是非について考えたい。
よくネットには、どこそこのスピリチュアル・カウンセラーが「当たるとか当たらない」などの評判や評価について書かれている。しかし、そもそも評価として「よく当たる」「外れる」など、そのような指標、評判とは次元が違う話なのだ。とくに東京や神奈川などの大都市圏には怪しいスピリチュアル・カウンセラーが跋扈している。スピリチュアルカウンセラーやヒーラーたちはもちろん、彼らへの依頼を考えている人は、手を出す前に、まず本記事を読んで考えて欲しいとも思う。大体、ロクな修行もしていないのにスピリチュアルで稼ごうとは笑えるぜ。
江原さんじゃないが、子どもが危ないとかいのちが危ないとか言う前に、まず「スピリチュアルカウンセラー」自身が危ないのだ。
さて、初めての方もいると思うので、ちょっとここらで自己紹介も入れておきます。
スピリチュアルカウンセリングで稼ごうというマインドは正しいか?
なつきです。前の記事で、スヒリチュアル・カウンセリングについて、「スピリチュアル・カウンセラーとかスピリチュアル・コーチで起業ってど如何なものか??」って趣旨の記事を書きましたな。まぁ未読な方はまず、こちらをどうぞ。「東京や横浜とか大都市に跋扈するスピリチュアル・カウンセラーとかスピリチュアルコーチにまともな人間はいるのか?という問い」
アレですね。スピリチュアル・カウンセリングだかスピリチュアル・カウンセラーだか知らないが、まぁずいぶんと本来の「スピリチュアル・カウンセリング」というものを知らないようだ。本来、スピリチュアル・カウンセリングとは、宗教的修行をする僧侶などの道において、「導師による弟子への霊的教導」というものを指す。
つまり、霊性を向上させる修行の道において、弟子、後輩など、あとに続くものを霊的高みへ向かうようように導く。そのように霊的成長をう促す対話。それが本来のスピリチュアル・カウンセリングというものの本質だ。
そんなことすらも知らずに、まるでカウンセリングの一種のように職業化というか、メシのタネ的扱いになっている印象を受ける。やれやれだと思う。そんな中、かなり能力が高いと思われる沖縄のユタのインタビュー記事に、まさにこの道において仕事というより「使命」として向き合う方に最適な考え方が散見されたのでシェアしようと思った次第。
本物のスピリチュアルな道を歩むユタの話とその在り方
で、その沖縄のユタは、ネットとかではまずでてこないらしい。縁によって導かれた者だけが出会い、その力の恩恵を被ることができる。で、ある女優は、その沖縄のユタと出会った。彼女が沖縄の海で撮影するとき、「マジ事故が起こるからヤめろ」「どうしてもやるならお守りもってけ」「事故が起きたら荷物を惜しまずとにかく逃げろ。じゃないと命を失うから」ということを口を酸っぱくして警告したことがあるんだそうだ。
すると実際、船で火災が起きてしまい、女優とスタッフはとにかく海に飛び込むなどして、取る物も取らずで緊急避難をした。物的損害は生じたものの、幸いにして全員無事となった。みんなが、ユタのアドバイスに従ったのだ。
またこの件で、ユタは「自分から言ったことだから」と謝礼も何も受け取っていない。そんなこと一つとっても、本物の在り方が漂ってくる。そんな人物なので、まずは早速、件のインタビュー記事を引用してみたい。
そんな沖縄のユタのスタンスに対して、思うところあったインタビュアーとの対話。
引用ここから。
ーーでは具体的に、Aさんにはいったい何が見えているんですか? 例の船の事故の時とか、どこまで見えていたんでしょう?
「あの事故の時は船が燃えてるのが見えたよ。未来を見る時は日めくりカレンダーをめくっていく感じで、1ページめくるごとにその日に起きることがバ~っと出て来るんだ。現場に居合わせたみたいに見える時もあるし、ニュースや報道番組を見てる感覚の時もある。でも、いくつもある選択肢のどれを選んだらどの道に行くっていう枝分かれがあるから、情報量がとても多いんだよ。だから訓練して本当に見るべきものだけ見るようにしないと発狂しちゃう。そういうのも修行の内に入ってるの。気にしなきゃいけないモノと、気にしちゃいけないモノの区別の付け方とか」
ーー未来を予知して、それを変える事ができると考えてよろしいですか?
「違う違う! 未来を変えるなんて事は試すのもダメ。例えば100才まで生きるひとを50才で死なすとか、その逆とか、それはユタがやっていい範囲を超えちゃってる。ボクやボクの家族がやるのは、悪い何かが憑いてるなと思ったらお祓いをするとか、何かその人の人生の分かれ道が見えた時に、どういう道を選ぶべきかアドバイスをするとか、そういうところまで。事故の時は大変な事になりそうだったからお守りを渡したりもしたけど、それも未来を変えるんじゃなくて、あれ以上悪いものが寄らないようにするため。結局はボクのアドバイスを聞いたひとが自分で判断して、良い選択肢を選んでくれないと何にもならない」
ーーそういえばユタは女性しかなれないと聞いた事があるんですが
「それは祝女(ノロ)とかじゃない? 琉球の神事をやってた巫女さん。でも今は琉球という国がないから、その血筋のひとも在野に下りてるんじゃない? ユタは昔から男性もいたよ」
ーー根本的な話かもしれませんが、ノロとユタの違いって?
「どちらも神人(カミンチュ)だけど、祝女は琉球の儀式とか、そういう公のことをやるひとかな? ユタは市井で人々の相談を受けたりアドバイスしたりするひと。お役所と民間企業だよ(笑)」
ーーユタでお金を貰うのは制約があると仰ってましたが、それで食べていけますか?
「ユタは職業じゃないかもよ? 普段は自給自足の生活をしていて、ひとが訪ねてきたら見てあげるとか、普通に別の商売やってるひともいるし。ユタだけで贅沢な暮らしができてるひとは危ないかもね」
ーービジネス色が強いとカミサマに怒られるんですね?
「そうじゃなくて、そういうひとはユタかどうかわからない。本当にカミサマの力を預かっているなら、カミサマの言い付けに逆らえないはず。だからカミサマが絶対に怒るようなレベルの贅沢をしてても平気なユタがいたらおかしい。考えられるのは、そのひとはカミサマに怒られない立場のひと、カミサマから力を預かっていないひとってこと。ようは偽物かもしれないってことさ」
(中略)
ーーAさんのような当たるユタと知り合うにはどういう場所で調べればいいんでしょう? Aさんはネットで検索しても何も出ていませんよね?
「そりゃそうさ。誰か人づてに頼まれたとか、直接の知り合いとか、そういう偶然に縁が出来たひとしか見てないもの。自分にとってユタが本業なのかって言われたらどう答えていいか解らない。もし必要があったら勝手に繋がるから、無理に調べてあっちこっち行くことはないよ。 変なひとに騙されちゃうかもしれないし」
ーー勝手に繋がるとは、自然と出会えるとか、そういう意味でしょうか?
「そうだよ。そのひとに本当にカミサマのアドバイスが必要だったら、何もしなくても勝手に縁が繋がって良いひとに会えるんじゃない? あなただってユタを探してボクと知り合った訳じゃないでしょ。だからそういう出会いがないというなら、それはそのひとにアドバイスは必要ないってことじゃないかな」
(引用ここまで。引用元:https://n-knuckles.com/discover/folklore/news001762.html ※2019現在リンク先サイト、運営停止)
スピリチュアルな道を歩む者としての本物の哲学と生き方
引用は以上。でもって、この沖縄のユタさんの言葉、たくさん名言つまってますねぇ。
☑カミサマが絶対に怒るようなレベルの贅沢をしてても平気なユタがいたらおかしい
☑そのひとはカミサマに怒られない立場のひと
☑カミサマから力を預かっていないひとってこと
☑ようは偽物かもしれないってことさ
自称スピリチュアル・カウンセラーたちの耳をこじあけて、「うらぁ!」と流し込んでやりたい言葉の数々ですな。(笑)
これはもう、スピリチュアル・カウンセラーに限らず、スピリチュアル関連を仕事にする人、すべてに該当するってわかるだろw
当たり前だけど、お金って、社会に流通している「物質」を手にできるよな。食べ物、衣服や、家やら家財やら。有形無形、いろいろと。
で、そうした物質ってのは、ギリシア神話の「オデュッセイア」に、その本質が神話的に描かれている。
魔女(月の女神、愛の女神説もある)キルケー。
気に入った男を虜にし、飽きると食べ物で「人を豚を変えて」しまう。秘教的には魔女キルケーの差し出す食べ物こそ、地上の物質のことだ。
人は生きていくうえで、当然物質の世話になる。でも、物質の「人を豚にかえる」魔力を理解し、上手に付き合わないと、「豚」になるわけ。
人を豚にかえる「魔力」を「神様の力を活用する仕事」で手にしたら、そりゃあ結果もひどいコトになると思わなねぇか?
そんな危険性を無視して、「スピリチュアルで起業」ってのは、ほんとに、頭どうかしている。というより、スピリチュアルをわかっていない。
スピリチュアルで金銭と交換というのは、本当にそこに「正しい理由」があるかどうか、きちっと見定めないと難しい。
前出のユタもそうだけど、「本業は別にもってるユタが多い」、というのはまさにそうした理由だ。
もちろん資本主義の枠内で生まれた仕事で、資本主義の仕事の結果としての金銭であれば、スピリチュアルどうこう以前に、正当な理由(原因と結果)がそこにはあるだろう。
しかし、スピリチュアルな道において、たとえばルドルフ・シュタイナーのように、薔薇十字の導師からのミッションとして与えられた、「神秘学の実学化」という社会事業にする仕事なんて、生半可な人がやる仕事じゃない。
だから、基本的にはスピリチュアルを仕事にしたければ、まずは生活に良くも悪くも、その稼ぎによる影響が少ない程度の副業でとどめておくべきだ。たとえ売上がでなかったとしても、「稼ぐために無理に執着する」ことを避けられるからだ。
その上できちんと価値がある内容なら、カルマは正しい場所へとおまえさんを導くことになるだろう。
専業にしたとたん、いわば事業主となり、本来の目的よりも、自分や自分の家族の生活のために「売上をあげること」が目的になってしまう。
それでは、霊的な仕事を汚してしまうことになるだろう。ほんとのといえば、スピリチュアルなことを生業にせざるを得ない運命の人間は、逃げても逃げても、そうなってしまう。自分から「やりたい!」なんて連中は、「好きなことでチャラく稼ぎたい!」がしょせん本心だろうよ。
どうしてもやりたければ、せめて副業にとどめて、売上がなくても、生活に支障がない程度にして様子を見るのが安全策というものなのだ。
昔ネットで見つけたある専業の霊能者は、相談・お祓い、すべてコミコミでわずか一万円だった。
しかも正式に依頼受注となるまでに何度か相談し、そもそも霊的な事象なのか、思い込みや心理的な医療者が対応するべき件なのか、まずきちんと見極めるというプロセスを通した。
しかも、「学生からはいただかない」というスタンスだった。そんな控えめなスタンスでありつつ、「それだけいただければ自分と家族はやっていけますから」というスタンスだったよ。立派だなと思ったもんだ。
スピリチュアルな世界で生きる「本物」は生き方が似てくる
そしてもう一つ、前出のユタはおもしろいことを言っている。実はおれの師匠ダンブルドアとほとんど同じスタンスなんだ。
師匠は弟子にも口を酸っぱくして言っていたのが、「おまえであっても、紹介は決してうけない。おれを必要とする人ならば、その人は必ずおれのもとに導かれ、出会うからだ」と、「縁」「カルマ」の導きを重視していた。「何もしなくても勝手に縁が繋がって良いひとに会える」というユタさんとまったく同じ。
21世紀。スピリチュアルという言葉は随分、普通の言葉になった。しかし、それだけに資本主義的価値観で「商機」を見出す輩も増えた。注意することだ。現世はそれで「いぇーい、儲かったぜ!」となっても、そのツケをあの世や来世で払うことになるかもしれないのだから。もしおまえさんが「ヒーラー」とか「スピリチュアル・カウンセラー」を名乗るなら、この意味はせめて「頭では」わかるはずだ。信じてるぜ。
というわけで、スピリチュアルで稼ごうとする風潮に対して、とあるユタさんの態度から思うところを記事にしてみた。
【追伸:結論としてスピリチュアルへの批判】
さて。今回のユタのように、今、世間的に散見されるスピリチュアル系な人たちからの「スピリチュアルへの批判」というものの骨子の多くは、「過剰な金銭の取得」に対する批判がベースになっているケースが多い。なぜだろう。オレ自身もこのテのことを多く書いている。
そこには、「富」「金銭」というものへの一定の哲学、というかスピリチュアルな視点からの理解があるからだ。
もちろん、おれ自身、現世で生きている以上、お金は必要だ。ましてや、表稼業はマーケティング・プランナー/コンサルタントだ。
むしろ人様に積極的に稼がせることが本業。
だが、おれ自身のライフワークである神秘学講座もそうなんだけど、「スピリチュアルを利益事業と捉えない」、という視点は非常に大事だと思っている。
別におれはスピリチュアルで生計を立てているわけじゃない。そして今後も決して過剰な利益をここに見込むべきではない。運営費として赤字にならなければそれでいい。無理なくスピリチュアルな活動を継続できればいい。
話は単純で、金銭というものは、価値交換の媒体なんだ。では、霊的真理に金銭価値をつけるとはどういうことだろう?と考えると、本来的に不可能な話になってくるんだ。
だからおれは、単純に「学習への意欲、意気込みを問う」とか、逆に言うと冷やかしを廃除するという程度の価格設定で、ライトなもんだ。(講座1回3500円) また学生や年金生活者であって経済的力は弱いが、それでも学びたいという者には、さらに割引を提示している。
何故なら、本来、霊的学びを求めるものに、金銭が障壁になってはならないからだ。
金銭とは、資本主義的システム内において通用する、価値交換システムなのだ。
※そもそも貨幣とうシステムは難しいが、参照。
そのシステムの外の地平に立つ、霊的知識等をこのシステムに落とし込むとき、それは本来持つべき価値を失うケースが非常に多い。
なぜなら提供する側が、霊的な価値を資本主義内のものと認定してしまっているからだ。そして支払う側も、「値段相応のもの」と思うだろう。そしてこの点を逆利用する輩が、「スピリチュアルを不当に高価格サービスにしている」理由もある。
そしてまさに別の記事で触れたように、過剰な利益は「キルケ―の魔女」となる。食べた者をブタへと変えるのだ。そして物質(的価値観)へと隷属させてしまう。
真理から人の目をそらす。スピリチュアルな世界の叡智を人々に提供する者たちが、自らの手で、霊的真理、叡智を貶めている。この点に、いまのスピリチュアルな世界の悲劇がある。
スピリチュアル市場はこの記事にあるように、2013年の段階で、一兆円規模というデータがある。まったく、バカらしい限りだ。叡智に値段をつける。そんな愚はそろそろ終わりにして欲しいもんだぜ。
ま。そんな話さ。
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この記事についてしばらく考えてみましたが、私はビジネスすることに反論しません。もちろんしていません。
相手がそのことにより満足したのであればそれでいいと思います。豚や詐欺は間違いなく許せませんが、お金をより稼ぎたい人や大きなビジネスを大勢の人としてしかもその代表なら悩み事ないことないですよね。そんな人が出会う御縁や時間の流れがたまたまビジネスをしているヒーラーなだけですよ。
神がいるとしたなら人を通して人々に救いの言葉を伝えるならどんな条件でも良いと思うんですがね。
ユタさまに会う人もそれで良いと思うので反論しません。ユタさまに会う時間の流れを持ち合わせてない方はどうしますか?
そのことによって相手が悩みから解放されそれがビジネスというだけで、相手がその金額で気持ちが晴れるならそれでいいと思うんですよね。
御釈迦ですら人々に悟りを教えるため人集めに賭け事を教えて集客したとも聞いています。
世の中でビジネスになるほど流行るのはそれだけ人々が知らなければならないことが多いからそれに沿った伝達があって忙しくしてる人多いしその中で出会う救いの言葉がその形なら私はそれでいいのかと思います。
反論するのではなくこの記事によって本当に人々の悩みを救っている人もいると思うので一言言わせてください。
ありがとうございました。
どもども。なつきです。丁寧な意見、ありがとう。なので、おれも自分の考えをレスしていきたいと思います。
>この記事についてしばらく考えてみましたが、
>私はビジネスすることに反論しません。もちろんしていません。
>相手がそのことにより満足したのであればそれでいいと思います。
>豚や詐欺は間違いなく許せませんが、
まずここね。
おれがこのユタさんに関する記事を引用したのは、
このユタさんが持つ「神の仕事とは」という視点が、
おれの神秘家としての視点とすごく一致して共感できたからなんだ。
Earth Treeさんは、
ビジネスすることは別にOK、
でも詐欺はダメ、ってあるじゃんね。
そう、詐欺はダメなんだよ。
世のスピリチュアル・ヒーラーは、「スピリチュアル・ヒーリングします」「スピリチュアル・カウンセリングします」と言ったこの時点で、おれからするともう詐欺になってる。これはスピリチュアル・ヒーリング等に対する神秘学的定義の問題にもなるので割愛します。
>お金をより稼ぎたい人や大きなビジネスを大勢の人としてしかもその代表なら悩み事ないことないですよね。そんな人が出会う御縁や時間の流れがたまたまビジネスをしているヒーラーなだけですよ。
ごめん、ここの部分、単純に日本語の文として何を伝えたいのかよくわかんなくなったので飛ばします。失礼。
>神がいるとしたなら人を通して人々に救いの言葉を伝えるならどんな条件でも良いと思うんですがね。
それを伝えられる人をこそ、神の仕事をする人、つまり「ユタ」であるという趣旨だったよな、引用した記事は。そして「不当利益」と思える人は、ユタではない、つまり神様言葉を受け取れないものである、と。
なぜ、商魂たくましくなると、神の言葉を受け取れなくなるのだろう?
このブログではその手のことは色々と語っているので、ここでは端的にとどめたい。「神のものは神に。カエサルのものはカエサルに」。キリストの言葉。キリスト教神秘主義者としては、この言葉で答えとしたい。
>ユタさまに会う人もそれで良いと思うので反論しません。
>ユタさまに会う時間の流れを持ち合わせてない方はどうしますか?
その人は、別にユタに会う必要もない問題に直面しているだけと考えます。
もし必要があるのなら、カルマが導くことだろうさ。
>そのことによって相手が悩みから解放されそれがビジネスというだけで、
>相手がその金額で気持ちが晴れるならそれでいいと思うんですよね。
そこは否定はしないが、しかし、ユタでないものがユタであると騙り、
スピリチュアル・ヒーラーでないものがスピリチュアル・ヒーラーであると騙り、
稼ぐということ。
それは結果が仮に同じであったとしても、詐欺ではないだろうか。
>御釈迦ですら人々に悟りを教えるため人集めに賭け事を教えて集客したとも聞いています。
釈迦のかけ事の話は知らないが、
「教え」を広めるためのに宣伝・集客・布教があるのは否定はせんよ。
おれ自身も否定しないからこそ、こうしてブログサイトを運営したりしている。
>世の中でビジネスになるほど流行るのは
>それだけ人々が知らなければならないことが
>多いからそれに沿った伝達があって忙しくしてる人
>多いしその中で出会う救いの言葉が
>その形なら私はそれでいいのかと思います。
まず前提として、
一大市場が形成されるほど流行る=求める人が多い
という点ではそうだろうと思う。
しかし、そこに「詐欺的」なものをぶっこむのはまずいと思う。
一応表稼業はマーケターなんで知ってるけど、
多くのwebマーケターにとって
スピリチュアル系は、「カモ」扱いだよ。
ウブだし、高額を払いやすい。
不安に付け込みやすい。
ジャンル的に証拠も必要としにくい。
だから「一大市場」になる。
だから求める人が多いという前提は正しいけど、
そこを一大市場にしてしまったのは人の側の問題だと思う。
実際、霊感詐欺とかそのての問題は後を絶たない。
>反論するのではなくこの記事によって
>本当に人々の悩みを救っている
>人もいると思うので一言言わせてください。
もちろん!
こうして理性的な対話ができる人なら、いつでも歓迎だぜ。
加藤さん、はじめまして。あいりといいます。
実は10年近く、密かに加藤さんのブログの読者です。
特にエセスピ批判は、胸のすく思いで読んで来ました。
少し前にアメブロに加藤さんの新型コロナ三部作を勝手にリブログさせていただきました。
その記事をお読みになった方がこちらのユタの記事も気に入られ、私もすごくよい記事だと思うので改めてこちらもリブログしたいと思っています。
新型コロナ三部作については事後報告になり申し訳ありません。
どうぞよろしくお願いします。
あいりさん
ども!なつきです。
こちらこそありがとう〜( ̄∀ ̄)
リブログどうぞどうぞ!
てか、そんな長いこと読んでくれてたのな。
あざす!
引き続き楽しんでもらえたらうれしいぜぃ!
ありがとうございます(*^▽^*)
では、こちらもリブログさせて頂きますね。
10年近く読んでいる割にコメントが初めてなので異様に緊張していましたが、お返事いただけて嬉しいです。
これからもブログとメルマガ、楽しみにしています。
そんなw いつでも気軽にコメントどうぞw
うちのブログなんぞフリーコンテンツと思ってご活用ください(笑)
何時も有益なお話を有難うございます.
こちらこそ目を通していただき、感謝です。
何時も,魂の浄化をさせて頂いております.
有難うございます.
いえいえ。お役に立てていたら幸い・・・!