スピリチュアル・カウンセリングについて考える
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スピリチュアル・カウンセリングについて考える
どーも。夏樹です。特技はパルプンテです。
書いていた記事の前半が飛んで自分のハートにイオナズンです。
誰か、ベホマかぱふぱふをプリーズです。(血涙)
・・・・
そんな昭和なそして伝説へ・・・なネタは置いておきます。
多分平成生まれの読者がついてこれないし。
えーと。
あー。そうそう。スピリチュアル・カウンセリングね。
あの詐・・・じゃない、自称霊的能力でカウンセリングする人たちのお話ね。なんかもう、占い師までスピリチュアル・カウンセラーを名乗ったりして、ワケわかんないよね。
そのカウンセリングはスピリチュアリティの進化を促すのか。
悩みの解決。アドバイス。人生という航路における、道案内。占術はときに、そんな役割を果たすことがあるといえるだろう。
しかし、スピリチュアル・カウンセリングは、性質がまったく異なるんだ。本来はね。その人物の霊的状態等を見極め、適切な「霊性進化」を指し示すことが求められる。
時に、沈黙が答えかもしれない。
時に、議論が応えかもしれない。
時に、放擲が答えかもしれない。
いずれにしても、スピリチュアルな進化をサポートすることが求められる。それがスピリチュアル・カウンセリングの本質なわけ。
いわば、
「師匠と弟子の対話」
なわけ。
この役割、「世のスピリチュアル・カウンセラー」を名乗る連中で、一体何人が可能なんだろう。
申し訳ないが、オレは自分の講座に出ている人たちでも、相当回数を重ね、お互いよく知った状態─いわゆるラ・ポールを形成─してからでないと、自信はない。
スピリチュアル・カウンセリングを実施するにあたり、
求められる経験、
求められる知識、
求められる技術、
求められる霊性・・・。
すべてにおいて、「相応しい」高みにあると、自認することはできん。少なくとも、オレは自分ではそう思う。
なぜ世のスピリチュアル・カウンセラーは、恥ずかしげもなく自らをスピリチュアル・カウンセラーと名乗れるのか。
まぁ江原さんがこの言葉を流行らせたので、都合がいい、と安易な理由が一番だろうけど。。
オレは少し前に、ある人の相談で、「スピリチュアル・カウンセラー」に「脅されている」という人に会ったことがある。結論から言うと、もうその人は恐怖というか、マインド・コントロールから解放されてそのスピリチュアル・カウンセラーに頼ることをヤめているが。
しかし、そのカウンセラーは、HPの写真を観る限り、確かにある程度の霊能は持っていると思われた。程度は低いだろうが。
結局、一般社会で食っていくことができずに、人を脅してまで繋ぎ止め、金づるにしようとしていたんだけどね。
そのカウンセラーはさ。
もちろん、すべてがこういう人とは言わない。しかしね。あまりにも「ただの商売」でスピリチュアル・カウンセリングをしている人が多すぎる。
別にカネを絶対とるなとは言わんよ。
(※ヒーリングではとるな、とオレは言いたいけど)
しかし、ただの商売としてクライアントと接するとき。
その人の霊性進化に責任を持つ身ではなく、
「人生相談のお仕事をする自分」
として接することになる。それはもう「スピリチュアル」なカウンセリングじゃない。違うんだよ。一般的なカウンセリング、コーチング、コンサルティング、あるいは占いの相談といったものならわかるけど。
そうすると、「ウソ」を行っているに等しい。
スピリチュアルな世界で、「嘘」をつくことは、決定的なまでに破壊的影響をもつ。シュタイナーあたりは、殺人にも等しいほどの悪徳だと言った。
だからよく見てみるといい。
「スピリチュアル・カウンセラー」
の多くは、すぐに「堕ちる」ことになる。
オレが潜入調査していたカルトの霊能者もそうだったな。
本質は気の弱い、しかし、少しだけ霊能がある
程度の人だった。
でも、、、、末路は悲惨だった。
嘘に嘘を積み重ねた
結果だ。
オレの知る限りの最後は、低次アストラル界に直結していたぜ。
霊的世界で、「嘘」を行う者は、必ずいつかは破綻するものなのだ。たとえ一生逃げ切っても、そのカルマは必ず重いカタチで清算されることになる。
やれやれだ。
この問題は、もう少しこの話題に触れていきたい。
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