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すぴとカネ

はい、どーも。オレさまです。ここでよく批判記事を書いているが。イマイチ理解されない分野のひとつに、「すぴでビジネスするということはアウト!」というものがある。



何かを仕事するにあたり、「技術」や「覚悟」、なんであれ独立独歩でやっていくならば、そうしたものは必要だろうが、ことスピに関しては、そうはいかない。充分な技術や覚悟(マインド)が伴おうがいまいが、この領域はビジネスにしたらアカンのだ。



たとえば活動後期はちと堕してしまい、後継者に至っては完全に魔窟と化した団体GL●wの創始者高橋信次にしても健全なときは、「宗教で稼いだらいかん」と明言。生活は経営者として自分で稼ぎ、むしろそっちのカネを宗教活動に投入していた。後期は霊能はイカレぽんちきになってきたが。(ただ彼は最後までカネにはクリアーだったようだ。)



多くの宗教者などの霊性に関わるヤシらが、この道を商いにしたらアカン、というのには単なる倫理以上の理由がちゃんとあるのだ。



まぁほんと。すぴとカネをからめるとロクなことにはならんわな。知らぬうちに、自分ではまともと感じている思考・判断力が表層的になり、堕している。しかし、気づけない。少しずつからめとられ、削りとられていくんだがね。



もう何年もマトモだと思っていた、あるヨーガ系霊能者の団体も見事に堕ちたしなぁ。その指導者の霊性・霊能はそれなりの高みに達していたと目されていたが、堕ちるときは、高いヤシほど早い。



一方、もうなくなった古神道の相曽誠治さんなんかは、わずかな謝礼としての金額はいただくことはあっても、過分には受け取らず、そして最後までその霊性の高さを示し続けていたようだが。そうした例は、少ない。



チャネ、霊視リーディング、ヒーリング、etc….



すぴな探求の道においてそうしたスキルは副次的どころか、わき道へとそらしかねない「超能力」だ。ましてやそれを金銭で提供するというのは意味がなく、双方にとって危険な行為だ。



なぜそうした能力を人は持つのか。もてるのか。そしてなんのために?



ちょっと考えないやからが、おおすぎるな。



ま。そんな話だ。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


はいはい。そんなワケで。オレさま主催の『神秘学講座 基礎編』の案内だ。


↓ここ見ておくんなまし。参加してみっか、という奇特なヤシはどうぞ。


神秘学講座 基礎編 参加要綱はこちら


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  • User Avatar ポチ さんより(21/10/02)
    ありがとうございます。 >基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 >観察することに集中するんだよ。 >その結果、 >色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 観察への集中、確かにここは欠けてるようです。 また、その結果得られた衝動や意味も、 祈る時は捨てて観察に集中するようにしてみます。 ありがとうございました。
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/10/01)
    ポチ ども、夏樹です。 多分だけど、意味をイメージしすぎているんじゃないかな。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 とくにこのあたり。 こういう崇高なイメージは結果湧いてくるものであって、 視覚化においては 基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 観察することに集中するんだよ。 その結果、 色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 最初からそういうイメージをもって 挑むもんでもないんだ。 今度は映画を観るように 視覚的イメージだけに集中してみなよ。
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar ポチ さんより(21/10/01)
    なつきさん こんばんは 薔薇十字の瞑想の時の最後の薔薇十字の表象の時に、上手くいきません。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 どこがダメだと思いますか?
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/09/17)
    4年目さ。
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