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非日常〜「エゴイズム」と「理性」って何だ。

 

親愛なる皆様

 

ファイアー!な火曜日突破お疲れ様です!(>∀<)ノ

次回の講座に向けて通常の仕事&資料作りに勤しむ夏樹を尻目に、

「鬼嫁Tシャツ」を買うかどうかで迷っているたーこです。

講座が近いので、当分たーこによる更新が続くと思います。

いやはや申し訳ない。

さて。

 

夏樹のメルマガやブログの記述に

「エゴイズム」とか「理性」とかという単語がよく登場します。

ちょいちょい勉強させてもらっている私たーこですが、未だに

「エゴイズム?理性?なんやねんそれ?」と思うことがあります。

これを夏樹に直接問うと十中八九「お前今までの講座で何を勉強して来たねん」

〜と、大目玉食らう羽目になるので黙って勉強します。

 

ええ、最近やっとわかってきたんです。

「勉強は自分でするもんだ」って。

授業を受けたり・人に教えを乞うたり・手ほどきを受けることはあっても、

結局勉強は自分でするもんなんですね。

知らなかった(ノ∀`;)←冗談のようですが、マジです(笑

 

〜で、エゴイズム。

聖人ダスカロスの書籍ではエゴイズムをこう記述しています。

(出典:著:ダスカロス 「エソテリック・ティーチング」p222~p223)

●用語11 エゴとエゴイズム(EGO and EGOISM)

本書ではこれら2つの用語を、現代の心理学用語とは異なる意味で使っている。

私たちが利己的な感情・敵意、妬みなどによって利己的欲望を生み出す時、

「エゴイズム」はマインドを誤った目的に使っている。

「エゴイズム」とは、野放しになっているエレメンタルの総計であり、

1人ひとりのパーソナリティから国家に到る世界中の混乱や病気の根源と言える。

一方、「エゴ」とは永遠の存在、すなわち「自己認識ー魂」としての私たちの本質であり、

理性と愛に満ちたパーソナリティーを通して現れる。

「エゴ」という本質は、愛、憐れみ、理性的思考と行動を私たちにもたらす。

※太字・下線はたーこが強調しただけ&エレメンタルとは何かについての解説は割愛。

 

また、ダスカロスの弟子の1人であるところの

ハラランボスの書籍「私たちは何のために生きているのか?」には

「エゴイズムとは人間の外側についている汚れの反映」

「私たち(人間)≠エゴイズム」

「むしろ私たちのエゴイズムは「病気」ともいえる存在」

とか書かれてたりもします。

 

これを踏まえた上で。

別の書籍でダスカロスはこう言ってるんです。

※本当は全文載っけたいところですが、長いので一文だけ。

(「真理の言葉」p62)

「エゴイズムが何であるかを学ぶ前に、

ただ盲目的に自分の感情や欲望に服従することを止めさせなくてはなりません。」

 

・・・これ、言い換えると

「エゴイズムが何か以前にお前ら内省して潜在意識を顕在化してろよ」みたいな、

なんだか暗に「中間テスト・期末テストが何であるかを問う前にテスト勉強しろよ。」

的なこと言われているような気分になるのは私だけでしょうか。。。まあいいや。

 

とりあえず、

「ただ盲目的に自分の感情や欲望に服従すること」を止めさせる

そのために必要となってくるものこそ理性とやらのようです。

 

で。

ここで、ようやっと「理性って何だ」となってくるのですが、

過去、夏樹が理性について書いていた記事を発見したので一部をそのまま抜粋します。

※長いですが、夏樹の考えという意味も含めほぼまるっと抜粋します。

※ちなみにいつのなんてタイトルのものかは内緒。興味がある方は頑張って探してくだちい。

 

とくに日本だと、すぴな世界も含めて「感覚」というものを重視するきらいがある。

理性、そして理性から生まれる思考というものをとかく軽視するきらいがあるんだな。

学生時代出入りしていた某掲示板でも、デンパ感覚の発達した連中に共通していたのが、そういう傾向だった。

当時から理性・思考重視のオレさまはデンパ人の中でも異端だったわけだが。


しかし、シュタイナーにしろダスカロスにしろ、「理性」を極めて重視しており、

むしろこの道を歩むにあたって中心的な捉え方をしている。

というより、人間存在を「理性的存在」としている。

理性と感覚。

単に前者を人間の能動的な思考能力、

後者を受動的な判断能力といった能動性と受動性以上のものとして捉えている。

このあたりのことは、むしろ霊性思想の研究家たる菅原さんが詳しい。

彼によると、「理性」というものは単なる論理的思考ではなく、

元来は宇宙的な叡智を捉える神的知性を意味していた、とのこと。

それが今のような意味のような矮小な意味になってしまったのは、

啓蒙主義に伴う科学的な世界観が世界を席巻するようになってからのようだ。

つまるところ、本来の意味であれば、

<理性>こそ能動的に霊的世界を踏破していくために欠かせない力となる。

偉大な神秘家が重視するのも当然かもしれない。

というより、霊的深みに到達した神秘家で、非理性的なのはいないんじゃなかろうか。

 

私には知的すぎて何言ってるのかよくわかりませんが、(あ、言っちゃったw^^;

要は

理性≒「人間の」能動的な思考能力

であり、

全盛期菅原さんという方曰く

理性≒単なる論理的思考ではなく、

元来は宇宙的な叡智を捉える神的知性

であり、

<理性>こそ

能動的に霊的世界を踏破していくために欠かせない力となる。

みたいです。※はい、これも後半たーこよくはわかりません。

 

全体を強引にまとめてしまいますが、

エゴイズムは「私」ではない。

エゴイズム(「病」※ここでいう病はハラランボスさんの言うところの病気ね)

まみれている状態の”私”は「私」から離れてしまっている(ズレている?)

そんな「人間」のようであって「人間」とは言えない状態。

”私”が「私」に還るために必要とされるのが

「私」による能動的な思考である「理性」

※てゆーか、エゴイズムが何であるかを学ぶ前にきちんと内省して自身の潜在意識という畑を耕しましょうネ★

〜ということですかね。

 

非常にわかりづらいというか、私にはまだよくわかりません。

わからないことを説明するなんて大それたことをしようとしました。すみません。

ですが、夏樹が当たり前のように使用する「エゴイズム」や「理性」という言葉。

その単語の裏にはその位深い意味・内容が含まれていて、

そいつを自分が理解するには能動的学びが必要であるということをということ

理解していただけると幸いです。

※この辺のこともシュタイナーは○○魂とかでいいあらわしてるようですが、今日のところは勘弁してくれえw

 

追伸


夏樹が2015年3/21(土)に神秘学講座Vol.4を行います。
講座の合間のちょいとした小話も役立ったりするので、お勧めです。

詳細はコチラから。

今回からの参加もOKみたいです。

 

追伸2

メルマガ「魂の神秘学」は、
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(※こいつは冗談ではなく、本当にガチです。)

本物のスピリチュアリティとは・・・?
と、真摯に問う方には超お勧めです。

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最後まで読んでくださってありがとうございます!m(_ _)m

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  • User Avatar ポチ さんより(21/10/02)
    ありがとうございます。 >基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 >観察することに集中するんだよ。 >その結果、 >色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 観察への集中、確かにここは欠けてるようです。 また、その結果得られた衝動や意味も、 祈る時は捨てて観察に集中するようにしてみます。 ありがとうございました。
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/10/01)
    ポチ ども、夏樹です。 多分だけど、意味をイメージしすぎているんじゃないかな。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 とくにこのあたり。 こういう崇高なイメージは結果湧いてくるものであって、 視覚化においては 基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 観察することに集中するんだよ。 その結果、 色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 最初からそういうイメージをもって 挑むもんでもないんだ。 今度は映画を観るように 視覚的イメージだけに集中してみなよ。
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar ポチ さんより(21/10/01)
    なつきさん こんばんは 薔薇十字の瞑想の時の最後の薔薇十字の表象の時に、上手くいきません。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 どこがダメだと思いますか?
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  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/09/17)
    4年目さ。
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