アセンションよりも・・・
はいどーも、放射能の影響でナゾの生命に進化しつつあるオレさまですが、ぽまいらはいかが不謹慎な日本脱出計画を立てていやがりますか。
いやー。
更新をさぼっていた。はっはっ。
いやな、最近はアストラル界でダンブルトアにしごかれていて・・・というのはもちろん冗談だが。
しかしなんだな。ここまで日本、涙目な事態が続くせいか、「アセンションアセンション、とにかくアセンションくるよ! 日月とか黙示録のアレくるって! UFOだってUFJに融資受けてたから!」と叫ぶスピ系が10.8倍(当社比)ほどに増加している様子。
そろそろ「すでに宇宙人が公園で昼寝してます」なんて本も出るかもなんて勢いだ。
でもな。オレさまも基本はアセンションは最終的には「起こる」としているが、「もうすぐ」とか言われるとマユツバだな。
だってさ。メルマガ「ロシア政治経済ジャーナル」にあったんだけどさ、日本は1853年1860年―とくに幕末の三年間―の間に、もっとなみだ目な事態にあってんだよね。
そのメルマガ事態引用してる部分になるので転載はさすがにやめとくわ。なので時系列にまとめると。
嘉永六年(1853年)小田原大地震。
7月、黒船四隻来航。
8月、長崎にロシア軍艦四隻。
嘉永七年(1854)2月、黒船七隻で再来。
5月、京都大火。
7月、伊賀地震。
12月23日、東海地震。
24日、南海地震。
26日、豊予地震。
わずか4日間で大地震三連打に大津波で死者は三万人超。
で、すぐに安政に改元したと思えば、江戸大火。
で、年が替わって安政2年2月。再び江戸大火が発生。
11月11日、江戸直下型の安政大地震。
まぁそのあとには安政の大獄だの桜田門外の変といった政治系も・・・。
そりゃね、放射能こそないけどよ、こんだけ天変地異と人災のコンボをくらってそれこそ日本人にとっては世界がグレンwとかわってくれたが、まぁ空からの助っ人はなかったってわけだ。
当時のほうが生活のすべてがシンプルだから回復は早いという向きもあろうが、代わりに政治的、技術的な救済制度とチカラは現代と比べ、及ぶべくもない。
どっちがより辛く、大変かというのは比べようがないけどさ。
要は、「バカみたいにひどい」天災が来ても、結局人は人のチカラで乗り切ってきた。神に祈っても、救いの手は人の手であったし、再興の力は人の内から流出したものなのだ。
思うんだが。
おすぴな方々のようにスピな知識・スキルを振り回してみたり、アセンションとなえてみたりするよりも。リアルに明日を描いて取り組んでいくマインドとチカラの方が、よほどスピリチュアリティが高いと思うんだがね。
神の愛も救済のチカラも。結局は、「ひと」を通して具現される。それはほかならぬ、おまいら自身を通してなのだ。
ま。そんな話だ。
せっかく来んだから、押しておけって、コレ。(藁↓
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