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友の言葉

いちビジネスマンでありつつも、その世界観、理解が神秘家的高みへと至っている我が親友。



ほんの2歳ほど年上だけなのだが、親友であると同時に、マジでリスペクトしているビジネスマンであり、クリエイターだ。




今の彼からは想像もつかないが、彼は学生のころ、自分を社会的落伍者だと思っていたのだが、しかし、今は這い上がり、ひとかどのビジネスマンとして活躍している。



そんな彼の放つ言葉にはいいものが多いのだが、とくにおれに響いたのは次の言葉だ。






自分自身を諦めないこと

自分自身を信じること

自分自身を夢見ること

自分自身を懸命に生きること

自分自身を誇りに思うこと

それだけ。

だけど、それだけでここまで辿りつける。

この意味を真に理解し、
体現できる者が世の中にどれだけいるだろう。




他の誰でもない。


彼が言うからこそ、誇り高き波動とともに、放たれる言葉となり、響いた。



彼は、本当にカッコいい、いい男だ。



なにがカッコいいか。



それは、魂が誇り高く、飛翔している点にある。



そんな在り方を示してくれる友に、無限の感謝を。




ま。そんな話だ。

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  • User Avatar ポチ さんより(21/10/02)
    ありがとうございます。 >基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 >観察することに集中するんだよ。 >その結果、 >色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 観察への集中、確かにここは欠けてるようです。 また、その結果得られた衝動や意味も、 祈る時は捨てて観察に集中するようにしてみます。 ありがとうございました。
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/10/01)
    ポチ ども、夏樹です。 多分だけど、意味をイメージしすぎているんじゃないかな。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 とくにこのあたり。 こういう崇高なイメージは結果湧いてくるものであって、 視覚化においては 基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 観察することに集中するんだよ。 その結果、 色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 最初からそういうイメージをもって 挑むもんでもないんだ。 今度は映画を観るように 視覚的イメージだけに集中してみなよ。
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar ポチ さんより(21/10/01)
    なつきさん こんばんは 薔薇十字の瞑想の時の最後の薔薇十字の表象の時に、上手くいきません。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 どこがダメだと思いますか?
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/09/17)
    4年目さ。
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