受胎と聖霊—親を選ぶ神秘学
今回はある意味とてもセンシティブで議論になりかねない内容です。
この記事は次の3つが学べます。
授かり婚の霊的な真実
子は親を選ぶ霊的事実
聖霊の受胎(妊娠)におけるスピリチュアルな意味
以上3つのポイントから霊的事実を伝えます。
どうも。なつきちです。
おっぱいは好きですかー!
はい、大好きです!!!
自信をもってそう言える、
汚れ系神秘家なつきちdeath.
はい、反省していません。
そういえば、そんなおっぱいなマントラを
ルシファーのマントラだと言い張った
遠い過去記事があったな・・・・。
あのときは、スピ界におっぱい旋風を
吹き荒らしたものさ・・・。(遠い目
さて。
今日はね、受胎に関する神秘な話。
いやね。
出来ちゃった婚を昨今は「授かり婚」というだろ。
これ、神秘学的にはほんと、
正しい言葉になったな、と。
現行の人類は、創造エーテルの意識的な
使用を通常の霊性のままでは禁じられている。
その意味で、おれたちが本当の「創造力」を
発揮しうるのは、見方を変えると、
まさに命を授かることくらいかもしれない。
と言った傍からアレだけど、子どもは「授かる」というように、
文字通り授かりものであり、おれたちの意識的な意味での創造ではない。
どういう意味か。
おれたちは、動機が肉欲的なもの、愛する人とひとつになりたい
というより高次の接触的表現としての愛情のコミュニケーションとして、
あるいは子どもが欲しいという家族愛的なものまでを含めて、
「子どもを作る行為」自体は、自由に企図できる。
まぁそうはいっても、相手があってのことなので、完全に自由じゃないけども。(笑)
細かい機微はおいておくとして、
とりあえず、
「子づくり」行為のタイミングは、人の側にある。
しかし、ここに神秘がある。
身心は健康で、
子どもが欲しいにもかかわらず、なかなか子どもができない。
望まぬ状況なのに、子どもだけはできてしまった。
と、「受胎」のタイミングは、人がはかっているようで、測りきれない。
なぜか。
実は、「受胎」のタイミングというのは、聖霊の管轄だからだ。
子は、親を選べないという。
ちがうのだ。
完璧に、選んで、選んでくる。
中には、暴力的被害によって妊娠してしまい、なくなく出産か堕胎かを選択した人もいるだろう。
しかし、
実は受胎が成立するとは、
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降りてくる魂が、
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すべての状況を踏まえた上で、
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自分と親となる人の
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霊的成長のために最適と判断し、
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聖霊の許可のもとに降りてくる。
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親(片親確定であったとしても)の環境。
親から与えられるでろあう身体。
起こりうる可能性。
それらすべてをひっくるめて、
子は親を選び、カルマの管理者、
そして聖霊のもと、受胎が成立する。
形骸化してしまったが、堕胎を禁止する宗教があるのも、もとはその叡智を受け取っていたからだ。
そして結婚が本来的に神聖なのも霊界から縁ある生命を迎え入れるための準備を意識的にしているからだ。
ゆえに、神職が二人を祝福する。
しかし、まぁおれ自身もそうなのだろうが、
カルマが用意した課題の10%も実行できるかどうか、よくわからない。
せっかく授かった命と環境が厳しすぎ、
向き合いきれないケースも世の中には多々ある。
個々、いろいろなケースはあり、状況によって考えることは
多いのだが、たったひとつ。
今回は、たったひとつ、持ち帰って欲しい知識がある。
新しい命を授かることは、聖霊の祝福により、霊的意味で「望まぬ」受胎というものは存在しない、
ということさ。
ま。難しくいっちまったが、
おまえさんは親を選んで生まれたし、
おまえさんの子どもたちも、
おまえさんを選んできた、ってことさぁね。
ま。そんな話さ。
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