叡智と真理を探究する者のために

講座サマリー

はい、どーも。またまたすっかり更新に間が空いたオレさまですが、ぽまいらはいかがよろしくやっていやがりますか。



いやはや。いろいろとマヂ多忙なものでのぅ。。。



さて、気を取り直して講座サマリー。



いやー。ようやくゴールが見えてきた。目下の懸念としては、一年の講座終了後、「ぽまいら、ちゃんと教えたことに取り組むんだろうな・・・」ということだったりする。w



人間、継続が一番困難だし、逆にいうと、継続するだけですでに勝利を手にしている。それはどんなジャンルにだっていえるのではないだろうか。



おっと、話がそれた。



まず、座学。


まぁ「いか超」現段階の参加者にかかわるところはもう講義を終えているので、あとは「読んでいるはずだ」と脇に置き、神秘学者が古来より受け継いできた法則系の勉強。前回に続き、今回は下記のもの。



対応の原理「上なるごとく下に 下なるごとく上に」
すべての現象と法則はと法則は常に対応しあう





古代多くの科学者、神秘学者は「観察」を通して、この原理の存在を確認をしてきた。



ただ唯物的視点しかない科学者よりも、神秘家のほうが視野が広かったということにすぎない。
フラクタル構造というものを科学者が発見したように、霊的世界、より高次の世界を見渡しても、―つまり縦軸でも―この原理は通用する。




たとえば、人はどのように創造するのか。すべては精神(マインド超物質)で作られているということをオレさまたちは学んだ。



精神は全―根源から流出している。そこで、対応の原理を利用して考えよう。東洋の神秘家たちは、根源は、識であるといっている。仏教の唯識派の識だ。名称はなんでもいい。この根本が、瞑想・イメージすることで、精神を流出させ、波動させ、形成させていく。



これとまったく同じプロセスで創造活動をするのが人間だ。オレさまたちは、何かをしようとしたり欲したりすると、そのアクションをイメージする。



そしてさまざまな手段を通してイメージを具現化していく。物質界ではイメージと形成されるものの間にタイムラグがあるが、より高い世界ではそれはもうない。




タイムラグがあろうがなかろうが、識(意識)が動き(イメージ)し、マインド超物質が形成されていく。単純だが、それが創造の根本だ。「神」と呼ばれる存在がそうしているように、オレさまたちもな。上なるごとく下に 下なるごとく上に、というわけだ。



この世界には、あらゆるものにこの法則が見て取れる。



続いて、



振動(波動)の原理 
停止というものは存在しない。万物は動き、振動する。






すべての物質がつねに「動いている」ことは、科学では当然のことだ。



分子・原子の世界は当然、さらにミクロの世界に目をうつしても、すべては動いている。生命とは躍動ではあるという言葉もあるように。



この原理は、物質、エネルギー、霊的現象のすべては単に「振動数」の違いによって生じているということを示している。人間の耳には可聴域があり、だんだんと音が高くなり、やがて聞こえなくなるように、霊的世界もそのようになっており、目に見えなくても、在ることはかわりない。




たとえば、熱エネルギーを考えてみるといい。振動数の違いとは、まさに熱エネルギーの違いだ。熱エネルギーが違えば、自身のあり方が変わる。



よく例に出す、水という物質がそうだ。最初の法則の練習で、自分へ与える条件を変更することで、自身のあり方を変えるということを練習た。



その法則は、この法則にもリンクしている。



自分の振動数を変えるということは、もしおまえさんが水なら、気体、液体、固体とまったく違ったあり方を示すことになる。



他者にとって爽やかな風になりたければ、それにふさわしい波動を持つということ。他者にとって安らぎと癒しを与える暖かなお湯になることもできる。そして同時に、人を殴りつけ、刺し貫く傷つける硬い氷になることもできる。それはすべて、熱と表現させる振動数の違いなだけなのだ。



この違いを人間において生み出すのが、最初に学んだ精神的変容だ。すべては、精神から生み出されている。条件付けをかえて精神を変容させることで、己をかえていく。



このプロセスに熟達すれば、自分の精神力を通して、自分の周囲の精神(物質)に影響を与えて、いろいろと意図するものへと変容させていくことができる。



このプロセスに習熟することが波動をあげることであり、変化させることだ。原理や方法論もわからないまま、「波動をあげよ」とお題目のように言うだけの盲目になってはいけねぇ。



また、ヒーリングを可能とさせるのもこの力にほかならない。



いま熱エネルギーの例で、すべては振動数の違いにずきないと言った。それはさらにいえば、すべてはエーテルと呼ばれる根源に近い形態の素材の振動数の違いなんだ。



このエーテルの振動数の違いが、分子・原子の違いとしてあらわれる。エーテルのマスターになるということは、物質のマスターになることです。


神秘学徒がまずは、こうした精神的な法則や世界観を学ぶと同時に、エーテルのコントロールというものを実践していくのは非常に理にかなっているわけだ。



よくオレさまは、「マスターとは、この物質世界をマスターした者のことだ」と言う。



本物のマスターは、物質化・非物質化を完全にコントロールするからだ。離れた場所に自分の肉体を再生したり、キリストのように何もないところから食べ物を出してしまったり。こうした法則を知り、完全にマスターしてしまったという前提に立つならば、何も不思議なことではない。



もちろんオレさまたちがこんなレベルに到達するには、あと何回転生を重ねればいいのか、わからない。だが、「本当の最高の学びは人生が与えてくれる」と最近のすぴ系のようにうそぶいて、とくにこうした世界を学んだり実践したりしなかったとしよう。霊性の道に足を踏み入れなかったとしよう。




一方、こうした道を受け入れ、学びながら、人生をがんばって生き抜いていったとする。すると、人間時間で言えば、十万年かかるようなプロセスを、オレさまたちは数十年で終えることができまる。それほど学習効果・効率に違いがあらわれてしまうんだ。



オレさまたちは、すでに踏み込んでしまった者として、しかしおごることなく、学びを続けながら歩くべきだ。同胞たちのためにも、一歩でも二歩でも先を進み、暗闇にたいまつを掲げるべきなのだ。



そしてそのほうが、迷うという苦痛を減らして生きることができる。人生という大海原で、頼るべき指針がないことほど辛いことはない。


まずは、自分や感じることのできるエーテルに、意志の力で振動数をかえるように働きかけることを覚えよう。



朗らかでいたいなら、朗らかであるところの自分をイメージし続けよう。人は強くイメージするものそれそのものになっていく。それが、波動を挙げるということ。霊性の高き人になりたいなら、高い人の振る舞い、言動、思想を学び、常にココロにとめて、それを指針として生きるんだ。



それがてめぇの波動となっていく。それが自分の波動をコントロールし、高めていく最短方法に他ならない。



子どもが、オトナの誰かにたいして憧れを抱くのは、ごく当然であり、素晴らしい本能なのだ。子どもの成長欲求の本質は、波動を高めることに直結しているのだから。




少なくともぽまいらは、自分の波動をコントロールして、自分を高める方向性だけは見失わないようにな。



そして同時に、この道にいる以上、自分を一人の魂のセラピストとしてとらえ、他人の魂を高き波動へといざなうことを忘れちゃいけねぇ。



その方法論がすでにあることも忘れんなよ。エーテルのコントロールひとつとっても、常に高い輝きをイメージして、少しで波動の高いエネルギーを凝集させるように努めろ。



色や音も波動であるように、意志を使うことで、特定の波動、高き波動を帯びさせることは、いま練習しているとおりだ。



すべては、意志の力。そこにかかっている。




今回は少し長くなったが、座学に用意したテキストをほとんど転載してみた。



さて、続いてプラクティス。



まず、エーテルをよく吸収できる呼吸法の復習・練習から。続いて、気功に少し取り組み、内気を充実させる。そして、エーテルのより細かい取り扱いの練習。



エーテルには運動性・刷り込み性・感覚性、そして創造性がある。エーテルの動きを感じたり、コントロールしたり、色を変えてキープすることは、先の3つの練習となるわけだ。



そして続いて、例のちょっと特殊な周天法。



それが終わると、二人一組でヒーリングの練習。



今回は、単にエーテルを注ぐだけでなく、パートナーが必要する色を感じ、その色(波動)のエーテルを流すように練習してもらった。



パートナーが選択した色はなんなのか。見極めるのは無理だろうと思っていたが、意外なほど正解率が高くて驚いた。中には、三色に変化したにも関らず、その三色をすべて当てたつわものもいて驚いたぞ。そこまでいくと、もう偶然ではありえない。



なかなかエーテルの感覚性が育成されているようで、オレさまとしても、うれしいやら驚いたやらだ。



そしてしめに、オレさまたちにとってはシンボル的な薔薇十字瞑想。



薔薇十字瞑想は、集中、視覚化、思考などすべてを用いることで、サイキック能力の育成に必要な要素をすべて訓練できる。その上で自己の心身の浄化をも図れる。



非常にオトクな瞑想法だ。プロセスが長く、ようやく三分の二ほどが終わったところだな。この調子で覚えてしまおう。



さて。



今回は記事も長いものになったが、少なくとも参加者は、その意味を考えて、日々の自己鍛錬を少しでも取り組むようにな。


ま。そんな話だ。



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