叡智と真理を探究する者のために

薔薇十字瞑想のプロセスの詳細について

 

この記事では薔薇十字瞑想の実践方法がわかります!

・そもそも薔薇十字瞑想とはどんな瞑想法なのか。
・薔薇十字瞑想とはどのようなプロセスで練習するのか。
・薔薇十字瞑想とはどんな効果のある瞑想法なのか。

 

以上について学べる内容です。

 

 

 
 
 

Contents

薔薇十字瞑想の詳細について

どーもー。

なつきちです。


さてさて。今日は、薔薇十字瞑想について少し触れたい。


いやね、講座ではじめたんだけど、

まぁ、、、

「難しいよ、こんちくしょう!!」

という声が続いています。(笑)

そりゃね。

まぁ難しいと思う。


そんな薔薇十字瞑想の全プロセスだが、

簡単に全体を記すと次のようになる。

 

1.植物がタネの状態から成長する様を視覚化して、観察をし続ける。

 

2.動きまわる人と比較して観察。


3.大きく育ち、花開く状態の観察。


4.深紅の薔薇を観察。


5.漆黒の十字架に深紅の輝く七輪の薔薇が輝く状態を観察する。


こんなながったらしい状態を視覚化して、観察し続けるわけ。

そして各シーンごとに、色々なイメージを想起して象徴的意味を受け取っていく。

まぁむずいよな。(笑)


そんなわけで、薔薇十字瞑想というものを分解して、その意味を補足していきたいと思う。

 

薔薇十字瞑想のプロセス1


さて。

薔薇十字瞑想は、まず土の中で発芽し、光へと向かって成長する植物の種の視覚化から始まる。

土の中の種は、当然、闇に包まれている。

しかし、植物の種は誰に教えられたわけではないが、光へと向かい始める。

「完全な闇の中」にいるのに、光に向かうことができる。


深く視覚化と観察、瞑想中なので観想。


これが進むと、もうこの段階で、このプロセスだけでひどくうち震えるほどの喜びを見出せる。

人にたとえたら、どれほどの絶望の闇に落ち込んでいても、光へと向かって成長しうる資質を生まれながらに持っているとわかるからだ。

 

決して植物だから、光へと向かう器官があるとか、そういう問題ではない。

生まれながらにして、生命存在は、光へと向かい、成長するという資質があると、はっきりとわかるのだ。

 

その喜び。生命の奇跡。


存在するだけで持ちうるこの奇跡に気づくとき、歓喜に包まれない魂はない。

この生命の神秘に歓喜するのもまた「訓練」だ。


偉大な芸術をみて、感動することができるのも、美術が「分かる」にも、ある程度慣れや理解がいるだろ。

それと同じだ。


宇宙の神秘に気づき、歓喜することができるのも同様に訓練がいる。


それは己の魂の器官の育成次第だ。


そして歓喜することでこの魂の器官はさらに発達していく。


一連の瞑想を通して、魂自体が霊的に進化発達する。


薔薇十字瞑想は、そのための良い訓練だ。


そんなわけで、まずは土中の種が、「闇の中から光へと成長する」というプロセスの観察から始まる。

人の霊的成長といっしょだな。

 

薔薇十字瞑想のプロセス2

プロセス1は、まずは土中の種が、「闇の中から光へと成長する」というところまで触れた。

今回はその先だ。

 

さて、土の闇の中で芽吹いた種は、光へと向かって成長を始める。


たとえばそれが、一本の樹であるとしよう。(花でもいい)


土の中、さらに地中深くへと根を伸ばしていく。


地面へと芽吹いた芽は、光をついに直接受け取り、

まっすぐ陽光へと向かうように伸びていく。

どこまでもまっすぐだ。


葉を広げ、光を受け取り、光へと向かってグングン成長していく。


それは根も同じだ。


この成長の様を観察するとき、

「光へと向かい、近づくためには、地中深く根をおろしていく必要がある」

と感じる。


光へと向かうほど、高く伸び行くほど、根はより深く地の底へとむかい、大地に深く張りめぐらせる必要がある。

それこそが、葉や花が風を受けても幹を支え、風雪に耐えさせ、しなやかで、折れない力を与える。


植物は、そうしてまっすぐに伸びていく。

その様をイメージする。


大切なのは、ただのイメージの展開だけで終わらせないこと。


瞑想とは、一種の「睡眠」であり、─つまりアストラル界を意識を保ったまま体験する─感情体験なのだ。


これらのさまを内的にじっくりと観察して、魂が「正しい感情体験」をすることだ。


そのような体験が、霊的器官を育成するのだから。

 

薔薇十字瞑想のプロセス3

プロセス2は大地の闇の中、その温かさに育まれ、命を芽生えさせ、光へとまさっすぐに成長していく種子の成長のプロセスの視覚化する、という点まで触れた。


今回はそのあとだ。大地に目を出した植物は、ぐんぐんと成長していく・・・。


では、プロセス3に入ろう。

 

成長した植物のかたわらに、一人の人間を視覚化する。

その人間と植物を比較し、次のように考える。

「人間は植物と比べて、意志、感情(欲求)のまま、自由に行動することができる。


この意味で、人間は確かに植物より高次に進化した存在だ」


人間が、植物と比べたときどれほど進化した存在であるか考え、しばらく没頭する。


自由に動けるさま。

ものを生み出す創造力。


人間は霊長類として比類なき力をもっているだろ。

も、植物とは比較にならないほど高次の能力をもつた存在だとすぐに色々と思いつくだろう。

引き続き、次のように考える。

「確かに人間は植物より高次の存在だ。しかし、人間にはある種の特性がある。そのために、人間は植物より劣っている点があるのではないだろうか。人間は欲望と情熱に支配されている。私の行動は、欲望と情熱の赴くままではないだろうか。

 

だが、植物はどうか。その成長の様は、純粋に成長の法則に従い、葉を生じさせ、根を伸ばしていく。そして清らかな光に向かって花を咲かせている。だからきっと、次のように言えるに違いない。人間は確かに一定の完全さを植物より有している。

 

しかし、人間は一定の完全さを手に入れるかわりに、植物には未だある純粋な成長への力の中に、衝動、欲求、情熱を付け加えてしまったのだ。植物の緑の樹液をみてみよう。これは純粋で、衝動や情熱をもたない成長法則の表現そのものだ。」


ここまで考えて、植物の樹液の純粋さに沈潜する。


次いで、人間の場合は血液が欲求、情熱、衝動を担い、カラダの隅々までいきわたり、肉体を支配していると考えて、沈潜する。

このとき、植物の樹液の流れに対して、清らかな純粋さを感じる。

一方、人間の血液の流れに対して、自分を支配して、欲求のまま自分(の肉体)を動かしてしまう血液の流れに対して、忸怩たる思考内容を魂の中に生じさせる。


と、ここまでやってみよう。

 


薔薇十字瞑想は長く、難しい。

しかし、スピリチュアルな道を歩むうえで練磨しなくてはならない、

5つのマスターキーのうち、観察、集中、視覚化、瞑想の4つに同時に取り組める。


さらに自己の内的浄化、魂の進化発展、霊的器官の開発へとつながる。


少しずつでいい。


がんばっていこう。

ちなみに「天国への黄金鍵」とは、観察、集中、視覚化、瞑想、内省の5つな。

 

薔薇十字瞑想のプロセス4

プロセス3までは、

「一方、人間の血液の流れに対して、自分を支配して、欲求のまま自分(の肉体)を動かしてしまう血液の流れに対して、忸怩たる思考内容を魂の中に生じさせる。」


という点までやったな。


今回はその続きだ。

 

次に、人間はいかに進化の可能性があるか考える。


いかに自分の衝動や情念、情欲を浄化しうるか、イメージする。

 

そしてそんな低次の情欲が根滅すると、高次のものへと進化するとイメージできる。


そのとき、低次元の衝動・欲望の担い手だった血液が、今度は純化・浄化された衝動・欲求の表現となる、とイメージできる。


そのとき、薔薇をイメージしつつ、次のように自分に言うのだ。

 

「赤い薔薇の花びらのなかで、緑の樹液の色が赤に変化しているのを、私は見る。赤い薔薇は、緑の葉のように純粋で、無垢な生長の法則に従っている」

と。

 

そういえるとき、薔薇の赤は、純化された衝動を担う血の象徴として感じられ、至福の想いが湧いてくるのを感じることができるのだ。

と、今回はここまで。

 

くどいが、薔薇十字瞑想は、この一連の視覚化と、視覚化に伴う「感情体験」が重要だ。

視覚化は当然、高度の集中力を要し、その努力自体が心魂の霊的器官を育成する。

そしてある種の感情体験は、心魂を浄化する。


心魂の浄化と霊的器官の育成。


薔薇十字瞑想にはじっくり取り組んで欲しいと思う。

ま。そんな話さ。

 

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コメント

    • ポチ
    • 2021年 11月 09日

    前回、観察への集中のアドバイスをもらいました。

    視覚化と観察のために、意図的に自己とは外部化して切り離して映画を眺めるようにしてます。

    その結果、今まで得られなかった体験もしていて面白いなぁ、と思いながら時々、薔薇十字の瞑想を楽しんでます。

    その上で、質問です。

    アドバイスを頂くまでは、視覚化への意識が弱く、感覚の内面化を重視してました。

    薔薇の高貴な赤が昇華される様を、自身の存在で味わいながら行う、みたいな感じで視点は内向きでした。

    でもアドバイスを頂いてから、一旦それは捨てて、視覚に現れる様を取り敢えず観察しよう、となりました。

    内面化は観察した後の感覚質が生むものだとは頭では分かってはいるのですが、以前のやりかたの身体性への影響力は弱体化した、とも感じてます。

    これらを両立するコツは何かあるのでしょうか?

    • アバター画像

      ポチ
      すまない、コメントに気づくのが遅れた。なんか最近コメントのお知らせがこないような・・・。

      >内面化は観察した後の感覚質が生むものだとは頭では分かってはいるのですが、以前のやりかたの身体性への影響力は弱体化した、とも感じてます。

      すまない。ここのところの意味がよくわからなかった。
      ここでいう「身体性の影響力」とは?

      前の「視覚よりも意味を強くイメージする」瞑想の方が影響力が強かったということだとは思うのだけど、
      この影響力というものが何をさしてのことなのか、もう少し説明してもらってよいかな。

    • ポチ
    • 2021年 11月 19日

    夏樹さん

    ご返信ありがとうございます。

    > ここでいう「身体性の影響力」とは?

    例えばですが、前は薔薇を表象した後に、純粋で高貴な赤を観察し、感じた後に、視点を内向きに変えて、自身の身体の血液がその高貴な赤になるよう働きかける、みたいなことをやってました。

    意識して身体に働きかけてたので「身体性の影響力」という分かりづらい表現を使いました。

    • アバター画像

      ぽち
      ども、夏樹です。身体性への影響の低下の意味がわかった。
      身体性というか身体感覚の低下、だな。
      感覚の内面化というのはとても良いと思うよ。
      一方で感覚の内面化をするのなら本当はこの段階で視覚化がなされているはずなんだ。
      今回は意識的の視覚化を前面に打ち出したから、「慣れていない」
      と感じてしまっているのではないか、というのがざっと感じたとろこかなぁ。

      もう少しやってみたら問題なく感じるべきものは感じられるように思うのだけどな。

      それでもなんか違う、というのならまた教えてくれ。

    • ポチ
    • 2021年 11月 25日

    夏樹さん

    ご返信ありがとうございます。

    ご指摘の通りで「身体感覚の低下」でした。

    今までは中途半端に視覚化して中途半端に感覚の内面化を行っていたようです。
    夏樹さんからのアドバイスを受けて、視覚化に集中するようになって、内面化の質も一層深くなる予感があります。

    慣れるまで地道に続けようと思います。

    言葉足らずにも関わらず、的確なアドバイスありがとうございました。

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