叡智と真理を探究する者のために

キリストと生きるということ

いっぱい寝た。


うまいモン食べた。


そんなわけで、結構復活したオレさまですが、
ぽまいらはいかがゴキゲンな日々を送っていやがりますか。


さ。そんなわけで今日も書き書き生きてます。


さて。ツイッターのシュタイナーbotで

R_Steiner_jp ルドルフ・シュタイナー
キリストを正しく理解することによって、
人間は自己意識を完全に生かすことを学びます。
そして、自我意識が浸透し、
自我が内面にあるものすべてを支配するようになります。
これが、キリストが世に現れたことの意味です。
-ルカ福音書講義-



という言葉を拾った。


キリストがこの惑星に降誕した意味を、
人類の魂を「意識魂」と呼ばれる進化段階へと引き上げるため、
と位置づけるシュタイナーらしい言葉だと思う。


しかし、こうした見方はシュタイナーに限らない。
現代のキリスト教神秘家ダスカロスは、キリストを「理性」(ロゴス)と表現する。


そして「理性的」に、意識的に生きる者であれば、
宗派の違いを問わず、「クリスチャン」(キリスト者)と位置づけた。


だから、「キリスト教を信仰している」と言いつつも、
歴史上、侵略やら非人道的になことを血道をあげた教会と信徒を彼は
クリスチャンとは認めない。


同様に、別にキリスト教を信仰していなくても、無神論者であっても、
「クリスチャンだ」と認める人がいる。


このキリスト降誕の意味は、
それこそ壮大な宇宙論的見地からいくらでも言えることがあるので、
ここでは触れないが、問題は、
一人ひとりの心のあり方としての「クリスチャン」というもの。


よく、「理性的な対応をしなさい」「あの人は理性的な人だ」と、
肯定的な言葉で「理性的」であることは使われる。



一方で、知に傾きすぎた、冷たい印象をもつ、
ネガティブなイメージを付与するときにも、使われるときがある。


しかしながら、キリストが「愛の神」と言われるように、
本来、真に理性的であるということと、
「愛」と呼ばれるものとは矛盾しないのだ。


矛盾するときは、理性という言葉を単に「論理的」という意味合いで
用いているときだろう。


まことに理性的であるということは、
「愛と矛盾しない」あり方だといえる。


まぁオレさまが愛だのなんだのという言葉を使うと、
一挙にウサン臭くなるので、基本的に使いたくないんだがね。


だが、どうしたって、使わないことには書けないことも
たまにはあるのが厄介だぜ。


まぁそれはさておき。


で、キリスト者としては“キリストに倣う”という点からも
「理性的であること」が求められるわけだが、
これが思いのほか、難しい。


純粋に「分からない」ことならともかく、
人間はそのときどきの「理性的な言葉や行動」が分かっていても、
それを常に選択できるとは限らないからだ。


たとえば、オレさまの目の前にタバコがある。
百害あって一理なし。
理性ではわかる。
しかし、吸ってしまう。


などなど。


「ついハラがたって、言わなくてもいい一言をいってしまった」
「ついつい、手をだしてしまった」
「つい出来心で・・・」etcetc…


そのときのもっとも「理性的」な振る舞いがわかっていても、
容易に屈する。


浅慮、低次の動物的欲求、名誉、自尊心などエゴイズムの発露。
そうしたものに、容易に「理性的であること」は阻まれる。


それが人間だと言ってしまうのは、
さっぱりして潔くも聞こえるが、ただのカッコつけた逃避だ。


その積み重ねは、堕落であったり、心身、人間関係など、
もろもろに破綻をもたらす。


そうなのだ。そうした行動に走る一方で、
「理性的である」選択もまた想定できている人間という存在は、
人には基本的に理性=愛と呼ばれる「キリスト意識」がすでに内在している。


誰に教えられていなくとも、人の魂にはすでに宿っている。


根本的には、
その発露を妨げない「意志の強さ」が問題となる。


マザー・テレサのように、
極限状況でも内側から湧き上がるキリスト者としての衝動のままに行動するということは、
多分、オレさまたちには限りなく困難だ。


しかし、困難を困難だからという理由では、退ける理由にはならない。


人は、神の写し身だという。


それは、理性という「神さまのカケラ」が宿っているからに他ならない。
その発露をより十全的なものに近づけていく。


オレさまたちの人生というものは、
常にそのために様々な問題を提供してくるのだろう。


小さな積み重ねが、少しずつでも人をより確かな、
理性的魂を備えた、気高い存在へと導いていく。


飽くことなく、倦むことなく。


諦めずに最後まで歩いていきたいものだな。


ま。そんな話だ。
                     訂正 1  

「マジメな記事が続いたわね。はい、次ボケて!」なんて思ったら、ぽちっとな。(藁

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