叡智と真理を探究する者のために

自己の有限性を知りつつ、無限なる魂の衝動に生きる気高さ。

どーも。
日中、
業務の合間をぬってメールを書くふりをしてブログを書く男、オレさまです。
ぽまいらは、いかが日々モチベーションゼロと格闘していやがりますか。



ところで、今回は、物書きの師匠としての彼のブログ記事の紹介



すんごい共感してねぇ。


二つの意味でさ。


一つは、物書きとして。
もう一つは、神秘学徒として。


魂を揺さぶることができるのは、
まさに魂から生まれた激しい衝動に他ならない。
そのことを彼は体現し、教えてくれる。


オレさまは、学生時代に知遇を得た。
以来、つきあいが続いている。
不遇のときもよく知ってる。


魂にただようある哀しみも、
多少とはいえ知っているつもりだ。


そして暗い絶望の闇の中で、
祈り、自分が魂の救済に値しないと思いつつ、
それでもわずかな光さす方向へと手を伸ばそうとしていたことも・・・。


オレさまが彼を敬愛してやまないのは、
魂の暗闇に侵され、
自分が絶望のさなかにいるそのときでさえも、
他者に対しては、限りなく優しいまなざしを注ぐ
気高い魂を抱いているからだ。


彼の心は、決して強くない。
むしろ、いつ折れて消滅しても不思議ではないほど、
繊細で、美しい。


それでも彼はおのれの有限性を理解しつつ、
魂が羽ばたこうとする無限への憧憬に生きている。


有限と無限の狭間で、いのちを削りながら生きている。


いのちの時間を燃焼させきる瞬間まで、
彼はそうだと思う。


だからこそ、尊敬できるんだ。


ま。そんな話さ。



                     訂正 1  

「こんな魂のあり方に共感できる!」なんて思ったら、ぽちっとな。(藁

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  • ポチ { とっても共感します。 キリスト教ではキリストに似る、であったり創造を完成させることがゴールですが、キリストは創造を完成させるために受肉と贖罪とその後の継続的な働きかけを行い、創造の完成は「(自我の束を含む)この社会」を指してるわけなので、社会運動に参画せざるを得ない。 それをキリスト教で一番端的に表現しているのがプロテスタントなんだろうと思います。 アメリカは理想と現実の狭間で矛盾だらね。でも彼らはだからといって理想を捨てることはありません。 }
  • 加藤 { いえいえ。お役に立てていたら幸い・・・! }
  • 市川康明 { 何時も,魂の浄化をさせて頂いております. 有難うございます. }
  • 加藤 { こちらこそ目を通していただき、感謝です。 }

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