叡智と真理を探究する者のために

「いか超」4 礼賛の小道についての補講

前回の礼賛の小道について、
もう少しすすめましょう。

私たちは、対象がヒトであれ、知識であれ、事象であれ、
批判的に検討する姿勢をもっています。

それは合理性の一つの発露であり、
私たちの文明をここまで偉大に発展せしめたあり方です。
こうした批判力、判断力を発揮するあり方は、
それ自体は立派なものですが、この力を手にいれた代わりに、
代償を「高次の霊的認識」に対して支払わねばなりませんでした。


霊的認識を求める「礼賛の小道」で見出すべき知識とは、
批判・判断力といった合理理性で検討するものではなく、
「礼賛と賛美」によって自分のものとしていく領域なのです。

合理理性で検討するに相応しい知識があるように、
礼賛と賛美に基づく「畏敬の心」で向き合うに相応しい知識がある。

現代人は、すべてにおいて合理理性で向き合いますが、
それでは踏破できない、
あるいは踏み込むべきでない世界もあるということなのです。

どちらがいい、悪いではないのです。

夏と冬。

それぞれの世界には、
それぞれの世界にふさわしい服装があります。

同じように、
合理性で歩くべき領域と、
「畏敬の心」で歩くべき領域があるのです。

霊的世界で高次の認識を求めるものは、
まずそうした前提を心にとどめることが必要です。




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