「そのままでいい」と「変わらなきゃ」
はい、どーも。
オレさまです。
ここでも何回か取り上げたことがあるな。
よくスピ系で言う紋切り型のセリフ「あなたは、そのままでいい」
「あなたはあなたのままでいい」
みたいなセリフ。
多くの甘い系のスピリチュアルでは、
「あなたはそのままでいい」「あなたのままでいい」という。
今更ながら、
この問題について考えてみた。
結論から言うと、
今「そのままでいい」を言うには、
あまりにも怠惰だといわざるをえない。
究極的には、
我々は神だ。
だが今は、神へと向かって歩む存在だ。
「神との対話」などは、
一足飛びに、
この究極終着点としての「神」を想定した話になっている面も大いにあるので、
そのまま受け取ると、勘違いする輩も出てくるのは事実だ。
シュタイナーは、
たとえば神へと至る位階には、
天使の階梯でいえば、10や12を想定されているというのに、
一足飛びに「あなたの内に神は在る」的なことを言うのは、
あまりにも物臭だ、という表現を使っていた。
その通りだろう。
天使の位階で言えば、二つ上っただけでも、
もう我々からしたら「神」と認識してしまうほどの乖離があるというのにだ。
オレさまたちは、未熟だ。
人としても、
成長する神としても。
この世とは、
そんな未熟なる魂が、大いなるチャレンジをするために造られた場所ともいえる。
物質世界の困難、相対性、有限性とは、
我々の魂が大きく成長するために欠かせない。
そしてこの困難な世界に生まれた、
その事実が、すでに大いなる勇気を持っていることの証明だ。
このことは、生まれること、それ自体が、
イニシエーション―「秘儀参入」の第一歩だ。
そしてこの世界に生まれることを選んだ勇気あふれる魂たちの
一つひとつの小さな努力、前進が、この壮大な世界それ自体をよりよくするための一歩となっている。
シュタイナーの言葉を借りよう。
自らが努力して「一本の美しい薔薇になることは庭園全体を美しくすることに貢献する」ということだ。
だからぽまいら。
おまいの人として「一歩前進しよう」という意志、努力、行為は、
自分だけでなく、この世界それ自体を美しく、良くすることにも貢献しているのだ。
歩くことをやめたら終わりだぜ。
ま。そんな話だ。
・・・せっかく来たので押していただけると、
とってもうれしゅうございまする。。。
はい、ぽちっとな♪
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