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なぜ「その引き寄せの法則」はうまくいかなかったのか。

ダンブルドアの本

 

さて。
一人の神秘学徒として、
そろそろ引き寄せの法則とかカルマの法則とか、
世の中で乱用?されてる神聖な法則たちについて、
一度しっかり書きたいな、という気持ちがずっとあった。

 

引き寄せの法則と呼ばれている法則を利用して、
お金持ちになろうとしたり。

思考の現実化でビジネスを成功させようとしたり。

カタチは違えど、
そういう「スピリチュアルな力」で、
人生を改善させようという試みだな。

共感できるものもあれば、
違和感を覚えるものもあった。

「欲望激しい」と嫌悪感を覚えるものさえ、
世には流布している。

で、自分なりに少しずつ書き始めたが、
おれにしては珍しく、
あまり進まない。

で、形式を変えてみた。

下記のように進めていこうかと。

ちょいちょいここで出して反応を見つつ、
いずれキチンとしてまとめて、
電子書籍にでもするかなと。

まぁそんなわけで、
需要がありそうなら、
いいね!とか、コメントとか、
そうした反応をもらえると助かる。

よろしく。

以下、スタート。

 

物語の始まりとして


なぜ「その引き寄せの法則」はうまくいかなかったのか。

きっと、
多くの人が人生を変えようとして、
いろんなスピリチュアルの法則にを出すと思う。


潜在意識の活用系、
思考の現実化、
アファーメーション、
ひたすら「書く」というやり方、
も、数え上げたらキリがねぇよな。


でも、その大半って、
ほとんど失敗しただろ?


成功した人と、
失敗した人との違いってなんだろうな、と。


最近では、なんで自分はうまくいかないんだろう?
あるいは、
時間がかかるんだろう。


そろそろ、
もっとシンプルに解き明かしていいと思う。


もっとシンプルに成功法則が知りたい。

「わかる。キミたちの多くは、

 いつの時代もそんな風に、

 答えを求めては、天を仰ぎみてきた。

 きみもその一人だ。

 だから私は、こうして対話してきたね」


 そう、師匠はゆっくりとした雰囲気がおれに言う。
 いつものことだ。
 その口調はのんびりとしている。

 いい気なものだ。


師匠。


もしかしらた、
昔からのおれのブログで登場している師匠ダンブルドアというニックネームで
読んでいる師匠を連想した人もいるだろう。


「半分そうだ」、と言おう。


そう、今登場している師匠は、
ダンブルドアのときもあれば、
そうでないときもある。

しかし、二人いるというわけじゃない。

「そういう意味があるわようでないことを書いても仕方がないじゃないか。

 僕がどこのだれかかなんて、どうでもいいことさ。

 キミが若い頃、

 最初に書こうとした修士論文に指導教授でもないのに、

 『流行の理論を使いたいだけたろう?』とイタリアンのお店で

 ツッコミをいれたのは、今では懐かしい想い出だね」

 

やれやれ。
どっちが思わせぶりなんだ。

まぁいい。

しかし、師匠というより、
ここでは、教授・・・いや、先生と呼びたい。


彼の研究室は、おれは好きだった。

用もないのに、よく言ったものだ。

古びた本が好きだった。

自分の専門領域の本の背表紙を見るだけでも心が躍った。

答えがでない、

少し難しいことを賢げに聞くと、

「やれやれ・・・」

と微笑とため息まじりに嘆息する

その声が好きだった。

そして決して、「そんなことも分からないのかい?」

とは言わず、

こちらを否定するでもなく、

上手に諭すように教えてくれる。


やれやれ。

先生、おれにそれは難しいぜ。

あれから随分たつ。

おれが40歳あたりで、
今度はキミがキミのやり方で色々とやれと言っていたけれど。


うん、そう。

彼のことは、昔のように先生、と呼ぶのがやはりおれには一番しっくりくる。

だから、おれはここで彼を「先生」と表記することにしよう。

師匠って言い方、
なんか固いしな。


まぁいいや。

「そんなことよりも、

 これから僕とキミは久しぶりに懐かしい対話をする。

 そうだろう?」


「そうだよ、先生。

 問いがある。

 大きな問いだ。

 おれは代表して聞くだけなんだ」


「僕に答えられるといいけどね」


 肩をすくめて、彼は言う。


「答えてもらうさ、おれがラクをするために(笑)」


「相変わらず、横着だね。でも、いいよ。

 その問いが真剣なのはよく知ってる」

 正直、この手のスピリチュアルな本を書き始めたとき、
 すぐに手が止まっていたんだ。

 内容というか、
 書くべき項目それ自体はすぐに決まった。
 目次ができた。
 言うなければ、台割構成だ。
 
 さぁ、書くぞ。

 あとは書くだけだ。

 ただ、それがカタチになりにくかった。

 そこで対話形式にすることにした。


 だったら、

 もう先生に聞いて、

 それをおれが書き綴る。

 章立てを決めるのはおれ。

 答えるのはセンセ。

 ラクでいいぜ。(笑)


 だから問おうと思う。

 人生のカラクリを。

 一人の神秘学を学ぶ者として、

 人生の真実を。

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コメント

    • YM
    • 2015年 5月 18日

    メルマガ拝見しております。
    講座に参加できないのでサイトの記事をちょっとずつ読んで分かったような気になっています。
    いえ、全く理解が追い付いていません。
    なぜ「その引き寄せの法則」はうまくいかなかったのか。
    この続きはどうなったのでしょうか?私がまだ見ていない記事にあるのでしょうか?
    それとも電子書籍になって販売されいるのでしょうか?
    ぜひ続きが知りたいです。
    あと、体調を崩されているとのことですが、どうぞご自愛下さい。

    • 加藤 夏樹

      おっと、ごめん。レスしてなかった。

      えーと。。。

      その。。。

      ・・・

      ・・・

      ・・・

      俗にいう、
      企画倒れというヤツだ・・・。

      触れてくれるな・・・。orz…

      似たようテーマとして、
      存在との対話シリーズの中で今後
      触れていくかな、と。

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最近のコメント

  • User Avatar ポチ さんより(21/10/02)
    ありがとうございます。 >基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 >観察することに集中するんだよ。 >その結果、 >色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 観察への集中、確かにここは欠けてるようです。 また、その結果得られた衝動や意味も、 祈る時は捨てて観察に集中するようにしてみます。 ありがとうございました。
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/10/01)
    ポチ ども、夏樹です。 多分だけど、意味をイメージしすぎているんじゃないかな。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 とくにこのあたり。 こういう崇高なイメージは結果湧いてくるものであって、 視覚化においては 基本的に「視覚的イメージ」を形成し、 観察することに集中するんだよ。 その結果、 色んな崇高な魂の衝動や意味がわきあがってくる。 最初からそういうイメージをもって 挑むもんでもないんだ。 今度は映画を観るように 視覚的イメージだけに集中してみなよ。
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar ポチ さんより(21/10/01)
    なつきさん こんばんは 薔薇十字の瞑想の時の最後の薔薇十字の表象の時に、上手くいきません。 植物の光を求める衝動をキリストの父なる神への衝動にかさねて7輪の薔薇をイメージする、 十字架はもちろん贖罪の罪=私の罪で託して背負い、 十字架と薔薇の間にある私を含めた現存在の全体をイメージしてるのですが何かが違う気がいつもしてます。 どこがダメだと思いますか?
    » ルドルフ・シュタイナーの薔薇十字瞑想について
  • User Avatar 加藤 夏樹 さんより(21/09/17)
    4年目さ。
    » この世に何を遺せるのか

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