「なぜ生きるコトが辛いのか」という問い【3】
どーも。
夏樹です。
っていうか、夏樹です。
あなたの夏樹でございます。
皆さまはいかが過労気味な日々をお過ごしでいやがりますか。
さてさて、なぜ生きることは辛いのか。
このテーマの三回目だ。
前回は仏教を例にとった。
未読の方は先にコチラを。
そして世の中の仕様自体が人間にとっては、
そもそもが苦である、
だから認識それ自体を変えないといけねぇよ、
ということを書いた。
ただ、
おれはやっぱりその生き方は諦観的過ぎると思う。
仏教の偉大性を認めつつもだ。
しかし、
かといってどこまで行っても、
この世界は自分の生き方や願いを貫いていくには抵抗が大きすぎる。
仏教の偉大性を超えて
だから良い意味で執着を手放すことが大切だというのでは、
結局仏教に立ち戻ることになる。
だがここで、
神秘学徒は、
もう少し別の見方をした。
この世がしんどいのは分かる。
デフォルトで苦しいのもわかる。
しかし、
この世界の成り立ち、
法則それ自体を理解すれば、
応用することが可能ではないのか?
と。
神秘学は元来、
この宇宙の創造者(神とか一なる者とか、
善一者とか哲学派、神秘学派で呼び方は色々)と合一できる。
元々が、
そこから来た。
だからそこに還ろうとする思想だ。
すると当然、
還るためにはこの世界のことわりを紐解く必要があるし、
理解し、マスターしていく必要がある。
この世界の法則をマスターする。
そう、その過程でいわゆる「カルマの法則」
(原因と結果の法則)も発見されてきた。
そしてとりあえず、
この法則が我々の
人生にもっともディープに関与していることも分かった。
(このあたりの話はテーマとそれるので、また別の機会に。)
となると、
当然、それを実生活に応用しようと試みる人々だって出てくる。
「何をすれば(原因)、どういう結果が得られるのか」
それが分かるなら、
「望む結果だけを人生にもたらすことだってできるはずではないか」と。
そしてこれが、
のちに言う「引き寄せの法則」として、
世に普及していったカルマの法則の実生活版
とでも言うべきものへとなっていったわけだ。
まぁこの流れは、
ここ二百年くらいのことのようだが。
人々は幸せになったか?
さてさて。
では、
ぽまいらに聞きたい。
ここまで引き寄せの法則が流布したのに、
それだけ人々は幸せになっただろうか。
単純に、経済的、社会的意味だけにおいても、
成功者は増えただろうか?
どうも、
あまりそうは見えない。
そう、人生を楽に、
苦から解放されて生きることを願い、
カルマの法則を利用する人々は現れたものの、
その試みはどうもうまく行っていない。
むしろ、
減ってさえいるのではないかと思う。
そうなんだ。
世に流布している引き寄せの法則等には、
実は大きな欠陥があるんだ。
次回は、そのことを触れて行こう。
■編集後記
というわけで、
少しずつ核心に近づこうと書き進めているのだが。
最近はおれも少しはオトナになりまして。
できるだけ、
どこの誰様の批判等にはならないように進めていきたいとは思うよ。(笑)
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