「正しさ」とは何か3
はい、ぼくちゃんかも? ちょっと頼りないギモン系なのは別に意味はなく。
ぽまいら、前回のシーン1と2、考えてみたか? 前回の「正しさ」とは何か2を読んでないヤシは、まずそっちを読んでおいてくれ。
さて。シーン1のケースだとさ、どうせどっちかを殺すことになるなら、「5人殺すよりは1人のほうがまだマシだ!」と思って、一人だけがいる路線に突っ込むことを選ぶ。それが大半じゃないだろうか。
で、シーン2のケースはどうだった? こっちもこのままでは5人が死ぬ。この5人を助けるために1人の太った男を線路に突き落とす・・・とはなかなか選べなかったのではないだろうか。むしろ、「いくら5人を助けるためとはいえ、その男を突き落とすのは間違っている!」と本能的に感じたのが大半ではないろうか。
しかし、シーン1も2も、シチュエーションは微妙に違うが、「5人を助けるために1人を犠牲にする」というコアの部分では共通している。なのに、シーン2においてはそれを実行することがためらわれる。それはなぜだろう。
シーン2で、「突き落とす」という行為が残酷だからだろうか。本人の意志を無視したからか? だが、シーン1の一人でいた男だって、自分の意志に関係なくハネられることを選ばれるという点ではやはり同じだ。
あるいは、「泣く泣く電車のハンドルをきって5人か1人」を選ぶ行為は、「5人のために1人を無慈悲に突き落とす」行為よりも、「まだやむをえない選択」と感じられる、つまり「実行者の意志」の意図の部分において道徳的違いがあると感じているのかもしれない。
また、このジレンマはこうした見方もできる。そもそもシーン1と2は、対立する道徳原理の問題である、と。シーン1の場合は、「できるだけ多くの人を助けるべき」ということを問いかけ、シーン2は「正当な理由があっても、人の命の犠牲を無理強いするのは間違っている」と問いかける。
はっきり言って、この問題には正解はない。あえて状況を制限することで、道徳原理を抽出して明確にし、検証していくためのものだからだ。
答えはでないかもしれねぇが、安易に「内なる智恵」wに走るよりは悩みぬくほうが人間らしいぜ。
ちなみに、こうした問題を考えていくと、いずれ取り上げるが、カントのところで、「心が喜ぶ」「ワクワクする」「楽しい」「ハッピー」を感じるコトを重視する最近のエセスピが大いに間違っているんじゃねぇの? つか闇に堕ちるんじゃね?といえることもわかってくる。
エセスピに堕ちないためにも、人間らしく「考える」ことを放棄しないでいこうぜ。
今回、リアルにあった道徳のジレンマの話にまで踏み込みたかったが、長くなったのでそれは次回にしよう。
ま。そんな話だ。
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